西洋の思想

西洋の人達の行動原理を読み解くには、やっぱり聖書とか福音書とか神話とかちょっと知っておいた方が面白いです。

聖書(旧約)、福音書(新約)、民話、神話などについて書いたものをまとめています。

政府機関も民間企業も、びっくりするほど聖書や神話に絡めたもの(イベント名とかトレードマークとか)が多いです。

分かりやすいところでは、よく目にするのが医療関係。

ヘルメスの持つ、蛇が2匹巻きついたカドゥケウスの杖。このシンボルはクンダリーニエネルギーですよね。命を産み出し、その命を破壊もするというのが2匹の蛇で、多分、予想ですが、米国の医療関係機関のシンボルが蛇1匹巻きついた杖なのは、医療なので命を破壊する役割の方の蛇がいないのかな?と。それか、人間の医学には欠陥があるよというのを示唆するために1匹外したか。それとも、西洋医学と東洋医学で対になっていて西洋医学は半分で1匹だけとか?いや、実際の意味は知りませんよ。なんとなくそう思っただけです。

NASAのプロジェクト名も神話からが多いですよね。

あと、CERNやWHOにあるシヴァ神の像とか。あれはインドの破壊神なのになんで?って感じですが、なーんか厨二っぽいのが好きですよね。

映画なども、神話や聖書、福音書に影響されたものが多いです。そういうのは「そこに真理が隠されている」的な、勘違いさせるそれっぽい作りが多いですね。多分ほぼ100%はそれっぽく見えるだけ、です。あんまり有難がるようなものはないです。そういうのも入れてます。

宗教学的なことは全く興味無いので、シロウトのお茶の間トーク程度でお願いします。ほぼ妄想で好き勝手書いてます。


(2017年12月3日)
ダ・ヴィンチ・コード、流行りましたね。この本も面白かったです。

英国図書館で埃をかぶっていた古文書に記された、これまで知られることのなかった、バチカンがずっと隠し通してきたイエスの人生の“ある期間“。

初期イエス運動の中で意外な役割を果たしていた、男女の性。

その謎を、実はイエスとマグダラのマリアの物語かもしれない『正しい人ヨセフと妻アセナトの物語』から読み解いています。

以前読んだ時は、結構衝撃が大きくて読み終わった後そっと閉じたのですが、善悪の既成概念をはずしてもう一度読んでみようと思います。

内容は難解だけど面白かったです。

(キリスト教に関しては浅学なので語る資格はないですが、イエスの直弟子ですらなかった・・・会ったことすらもないパウロの天啓によって作られた宗教なのにどうしてパウロ教じゃないのか、とか、直弟子達が表舞台から消えてしまったのは何故なんだろうという素朴な疑問はあります。無知(というか興味ない)故に浅い感想しか持てませんが、まあ一般的に日本人てこんな感じですよね。でも本当のイエスの教えは、今伝えられているのとは違うんじゃないかという気がします。門外漢なのでどうかご勘弁を。)



(2018年3月20日)

ケルトの神話が多分一番好きです。

ギリシア神話とか他の神話のような訳のわからなさや不条理さがあんまりなくて、ストーリーとして割とちゃんと成り立っているので、あんまり深読みしなくても読みやすいからです。登場人物が覚えやすいというのも大きいですね。

ケルトにも、浦島太郎とちょっと似た物語がありまして、英雄フィンの息子オシーンが常若の国へ行って3年過ごした後故郷へ帰ると300年経っていたというお話です。

この物語では、帰ってきたときに人々が小さくなっていたという記述もあって、北欧の巨人伝説を彷彿とさせるのも興味深いです。

ケルトの血もついでいる息子の名前は、ケルト神話から選びました。



(2018年3月20日)

北欧神話は、よく漫画のモチーフになる事が多いので、基礎知識を得るために読んでいます。漫画のために ( ・`ω・´)

これは、挿絵がFF風でかっこいいです。



(2018年3月29日)

これ、分かりやすいです。相関図が載ってるんですよ。私は登場人物が5人を超えるともう全然ダメなので、相関図を見ながら読めるのはうれしいです。旧約聖書なども相関図を見ながら読みました( ・`ω・´)

ところでこの著者の肩書、聖樹・巨樹研究家って。。色んな職業があるんですね。この本、イラストもきれいです。



(2018年12月21日)

大好きな石井桃子さんが翻訳されたギリシア神話。

これは、本当に珠玉の名作です。

ギリシア神話自体よりも、石井桃子さんの解釈された『物語』が、もう魅力あふれているのですよ。

ギリシア神話って、結構「何言ってんの?」という内容だったり訳がわけわからなかったりして難解なものが多いですよね。石井桃子さんの文章は、そのわけのわからなさを資料を丁寧に調べた上でご自分なりの解釈で補ったり登場人物(神)の説明も何度も適宜挟んでくれて非常に読みやすいのですよ。

そして何より、表現の美しさ・豊かさにため息が出ます。

私の貧困な表現力では語り尽くせないのがもどかしいです。

これは2000年に再版されたものなのですが、なんと1958年に出版されたものを丁寧に訂正・加筆された石井桃子さん(この時93歳ですよ!)の書籍への愛情を感じます。

レトロな感じの挿絵もすごく素敵です。

私は、この本の前書き(写真のページです。撮影しちゃいけないかもしれないので、時間のある時にあらましを書きます。)を読んで以来、アーリア人が気になってしょうがありません。アーリア人って一般的に知られている定義と違うんじゃないかと。とりあえずそちらはまた別の話題として。。



(2018年12月21日)

観ました。

プロメテウス。

これ、好き嫌いがはっきりと分かれる映画だと思います。

予想していたのとは内容が違いましたが、私は最も好きな映画の一つが『エイリアン2』なので、思いがけず楽しめました。そしてエイリアン コヴェナントが観たくなりました。

内容はざっくり言うと、地球人を含めて人間を作ったエンジニア(人間と同じDNAを持つ)が、地球の人類を(生物兵器を使って)絶滅させて最初からやり直そう(リセット)としたのを、すんでのところで止めて、生き残った女性とアンドロイドはエンジニアの意図を知るために彼等の惑星へ向かうところでいったんおしまい。次へと余韻を残します。

なんというか、いわゆる陰謀論的な創造と破壊、みたいな感じで映像も後味の悪いビジュアルを狙ったのか、色んなシンボルが使われていて結構おどろおどろしいです。こういうことを本気で考えている存在がもしあるとしたら、すごい悪趣味ですね。

洞窟にいた謎の生物は白羽衣つむぎ(シドニアの騎士の)にしか見えませんでした。



(2018年12月23日)
12月25日。

北半球で日照時間が長くなり始める頃で、「光が闇に打ち勝つ」ことを象徴しているそうです。

キリストやミトラの誕生日ともされるのは、この太陽信仰がもとになっているのでしょうね。無敵の太陽の誕生日になぞらえて。

世界でただひとつ太陽を国旗に持ち、天照大神を祖神とする日本にとっての12月25日って何だろうとふと思って調べてみると、この日に天照大神が天の岩戸から出てきた日かもしれないのですね。へえ〜。(旧暦の1月8日で、年によって違いますがだいたい西暦12月25日頃)

冬至の日から3日後というのも意味深です。(キリストの復活と天の岩戸開きの類似点かも。もしかすると、宗教としてのキリスト教にとっては死後の復活による「誕生」の方がむしろ重要なので、この日を隠された意味での"誕生日"にしたのかなとも思います。ベツレヘムの星の位置から計算した誕生日は12月25日じゃないという人もいますし。素人頭なので全然違うでしょうが。)

世界中の神話や宗教は、ひとつの雛形から出来ていると言われますが、おおもとを辿るとやっぱり太陽信仰だったのかなと思います。

とすると、クリスチャンでなくとも12月25日を祝うことは、原始宗教そのものなのでしょうね。

というより、今よりもずっとお日様の恵みが命と直結していた昔の人々にとって、太陽が生まれ変わる日を祝う事は自然なことだったのでしょう。

私は特定の宗教はやってないので、この日は改めてお日様に手を合わせる日にします。

世界各地の太陽信仰についてはあまり詳しくないのですが、12月25日をどうとらえているかという点を調べたら面白いかも。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/太陽神

我が家のベツレヘムの星⭐️

今年のツリーは息子が全部用意してくれました。(めんどくさいので助かりました。)



(2018年12月27日)
※私はいかなる宗教もやっていません。色んな宗教や神話について読んだりするのが好きなだけで、それが正しいとか間違っているとか言おうとしている訳ではないです。

グノーシスの創世記。

創世記にも色々ありますが、グノーシス派キリスト教の宇宙観と救済論がちょっと面白いなと思ったので書きます。(しつこいようですが、私の持論じゃないですよ。グノーシス派の人達がそう言ってるだけです。私はへえ~そんな考えもあるんだ、程度です。こんなこと、ほんとかどうか誰にも分かりませんからねえ。。)


(以下、『失われた福音』より引用)

 グノーシス派の宇宙観では、根本的な亀裂が宇宙にあるとする。『ヨハネによる秘密の書』(外典)というグノーシス派の書物では、イエスは弟子のヨハネに、天地創造がどのように起こったか明かしている。ここでは創世記とは全く違う話をヨハネに示しているのだ。

 彼らの宇宙観では、唯一の神、完璧な神は、ヘブライ語聖書の神よりも偉大な目に見えぬ霊(Spirit)として述べられている。完璧な神は絶対的に完全で、無限で、深淵で測り知れず、永遠で、言いようがなく、名前の付けようがない。存在するすべてのものよりもずっと偉大で、空間や時間を飛び越えており、全慈悲と知恵の源で、全により宇宙を維持するすべての世界の長だ。すべてのものの父母である創造の主は、男性と女性の完璧な対だ。この対が原始的な存在を次々と作り出していった。グノーシス派はこのような存在を「バルベロ」と呼んだが、それは存在するすべてに選考する「完璧な霊」のイメージである。そこから、「イオン」、つまり「完璧な神」から男女の働きにより、様々な創造が行われた。その詳細を述べる必要はない。ついには、「ソフィア」と呼ばれる天の知恵が作り出されたのだ。

 そして、これが問題の始まりだ。

 ソフィアは、一人で、男の関わりなくやっていくことを決めたのだ。『ヨハネによる秘密の書』は次のように述べている。「ソフィアは霊の許可も同意もなく、伴侶に話すこともなく、自分に似た何かを作りたかった」。この大きな望みにより、彼女は「ヤルダバオト」という子供を作る。ヘブライ語でこの名前は、「彼女はしるしにより創造した」という意味だ。ヤルダバオトは、われわれが通常神と呼ぶもの、つまり聖書の神となる。グノーシス派では、彼はすべてを創造した真の神ではなく、ずっと下等なもの、ヤルダバオトである。グノーシス派は、この神を嫉妬深く邪悪で、自分以外に素晴らしい霊の存在があることを知らず無知だとしている。この神は自分が誰なのか、どこから来たのか知らない。このたかが知れた神から人類は生まれたのだ。その結果として人間は、真の命と善の源である完璧なる神から遠ざかってしまった。つまりは、ヤルダバオトは創造をやり損ったということだ。『トマスによる福音書』には、「世界を知った物は、それがただの死骸であることに気付いた」とある(発言56)


(引用終わり)

2世紀初めの伝道者であり、もっとも偉大なグノーシス派キリスト教の教師と言われたヴァレンティヌスの解釈によると、

”神聖なイエスは、わがままな神ソフィアを見つけて一緒になり、宇宙を再び調和させるために、肉体を持った。”

そうで、グノーシス派にとって人間の姿をしたソフィアこそがマグダラのマリアと信じられていました。

彼らは、彼らの神話に基づき、

宇宙の根源的な亀裂はソフィアが伴侶から離れた事で起こり、そしてイエスの使命は、ソフィアとの婚礼により、ソフィアが一人で行った”間違い”(天地創造のことですね)を直すこと

だと考えます。すなわち、真の救済とは、新しいアダムと新しいイブの共同の贖い(まあ、肉体による・・ということですね)によってもたらされる、ということらしいです。

なるほどなるほど。パウロによるキリスト教と真逆ですね。

でもまあ、三大宗教の主流は男尊女卑の傾向がかなり強いので、『男性エネルギーと女性エネルギーのバランスをとる』とも取れる初期グノーシス派の教えにも一理あるのかもしれないなあと思いました。(ほんとにしつこいようですが、宗教批判とかじゃないですよ。単なる感想です。)

※何でもそうですが、特にこういう方面の思想は紙一重なので、中途半端な興味と知識でやると非常に危険だと思います。今のグノーシスは全く別物だと思います。そして神話や福音書は、初期のものであっても当時の時代背景などから隠喩的な表現にならざるを得ないということもあるので直接的な意味で受け取ることは出来ないという事を念頭において読んだ方がよいです。

(追記)
ここにコピペするにあたって読み返したのですが、私、勘違いしてますねこれ。初期グノーシスも、ソフィア(女性)が独りで行った“間違い”を正すって言ってるんだからめちゃくちゃ男尊女卑ですね。なんで好意的に取っちゃったんだろう。女が勝手にやったら間違ったから男が正してやらないといけないんだ、みたいな。一理あるとか言ってんじゃないって感じですね。



(2019年1月2日)
アメリカは政府も企業もだいたい聖書、福音書、神話に絡めています。米に限らず、ですが。

分かりやすいところで言うと、政府や企業のシンボルや名前、商品名など、笑っちゃうくらいそのものです。中2か!でも本人達は至って真面目なところが恐ろしいです。

でも聖書(福音書も)は時の為政者(宗教指導者)によって都合よく編纂されてきてるので、呆れるほど壮大なマッチポンプ。(かも)※妄想です!(`・ω・´)



(2019年1月9日)
息子が小さい頃読み聞かせた絵本や民話を読んでいます。この4冊は高学年向けで大人が読んでも楽しめます。

世界中で語り継がれている民話の不思議な共通点や、世界各地の神話や福音書との類似点などを探してみると、色々と想像がふくらみます。

民話というのは、『昔話』、『動物昔話』、『笑話』、『伝説』の4つが含まれるというのが定説なのだそうです。

不思議なのは、国境や民族を超えて世界各地で似たような物語(類話)が語り継がれていて、それが一体どうしてなのか、どこに起源があるのか、ということは学者によってさまざまな説があっていまだに分かっていません。

そして、民話のいくつかは、信仰を隠すためにも使われたのかもしれません。いくつかの民話の中に出てくるシンボル(特定の物や色、形など)は、神話や福音書、聖書にも共通するものがあって、もしかすると信仰が命がけだった時代に母から子へと連綿と語り継がれてきた何かがあるのかもしれません。特に男性優位の時代や社会で信仰の自由がなかったりしたら、軽視されていた“女子ども“の語る物語は取るに足りないと見逃されたのを隠れ蓑にして、本当に伝えたい信仰を色んなシンボルを使って、何でもない物語の中に紛れ込ませて語り継いだのかなと思います。

誰が、いつ、作ったのか、ということよりも、なぜこれが語り継がれてきたのか、ということを考えながら色々と想像をふくらませるのも面白いかもしれません。

上にあげた『グリムの昔話』は、編纂者のグリム兄弟が書いたものにより忠実に翻訳されていて、結構残酷だったりしますが『(1)の野道編』『(2)林の道編』『(3)森の道編』と、子供の年齢や成長に添って収録されています。大人が読んでも面白いです。

そして、このシリーズの翻訳者のおひとり矢﨑源九郎さんが編纂された『世界の民話』

は、世界各国の民話から、一か国一遍を目標として81編選ばれています。

これを読みながら、日本にある似たような昔話を見つけたり、各国で共通する考えなどを見つけるのも楽しいです。

大人になってから読み返す民話もまた、視点を変えると奥が深くて面白いですね。


(2019年1月14日)
先週急に観たくなったフィフスエレメントを観ました。

以前何度か観てるけど今改めて観るとまた違った面白さでした。

古代から引き継がれてきた地球の崩壊を防ぐ為の方法。「風」「土」「水」「火」の四大元素を表す石と、最後のひとつが「愛」、Loveが鍵となっています。

この映画での“地球を救う愛”は、アガペーではなくエロスの方の愛。5番目のエレメントである女性(リールー)が、男性によりもたらされる愛によって補完され完成された結果(聖なる結婚)、やっと最後のエレメントが揃うわけです。

多分これ、根底にグノーシス がありますね。そしてリールーとマグダラのマリアが重なりました←フランス映画だし。

そうそう、最初に出てきたエジプトの遺跡は、どう見ても隠された花嫁/ マグダラのマリアを表す『塔』だし。色々シンボルが隠されてて面白かったです。

多分、聖杯伝説(アーサー王物語じゃない方の)とかにおわせて(聖杯=聖なる肉の器=隠された花嫁→実はその時が来るまで地球外に隠されていた)とか示唆的な思わせぶりな作品にしたかったんだろうなーというのは充分感じられましたが、ここから何か学ぼうとか隠されたヒントを得ようという姿勢で観るような種類の映画では無いと思います。モチーフはSFバージョンの民話に近いかなと思いました。



(2019年1月25日)

古いSF映画、Logan's Run を観ました。

あまり期待せずに観たのですが、思いのほか楽しめました。これ、何というかやっぱりあっち方面ですね。

2274年の話で、人間はコンピュータ制御されたドームの中で暮らしていて、人口コントロールのために30歳までしか生きられません。30歳になると、カルーセルという部屋で儀式を受けて命を”リニューアル“するのです。ストーリーはこちらのサイトに書いてありました。(リンク先のサイトが削除されていました。)

目が点になったのが、このカルーセルの中で命を再生する儀式がですね、そのまんまラプチャーなのですよ。白装束にマスクをつけた人々が円陣を組んで祈ると、上から光がピカーと出て空中携挙されて、プラズマかなんかで消滅させられるのです。(ラプチャーについては検索してみてください。カルト思想です。この映画では、多分ラプチャーという比較的新し目のカルト概念の怪しさを演出するために使われているんじゃないかな。)

赤ちゃんは人工的に特別な施設で作られて、4歳頃に“再生”されます。(例えば、ローガンだったらローガン1、ローガン2、ローガン3、ローガン4・・と、再生の儀式によって次々に命が引き継がれるということになってます。)

このドーム内のディストピア、どっかで見たことあるなあと思ったら、あれです、ヴィーナス プロジェクトの未来都市にそっくりでした。

そしてこの都市のシンボル、左手の真ん中にはめ込まれたクリスタル(生まれた時はクリア、30歳前は緑、そして赤になったらターミネートされる)ってのも何とも分かりやすい。

後からじわじわと怖かったのが、サンクチュアリ 。一部の人々が、『外の世界には30歳になっても”命を再生“しなくてもいいサンクチュアリという場所がある』と信じていて、逃亡を助けるグループがあるのです。ところが、逃亡した先に待っているものは、養殖場や冷凍庫のような場所。そこで逃亡者は急速冷凍されて“蛋白源“になるのです。いやあぁぁ。。

それにしても、キャストが全員白人ってのも珍しいですね。生き残ってるのは全部白人。今だったら出来ないでしょうね、こんなキャスティング。

ファラ・フォーセットかわいかったです。

カルトムービーというよりも、将来もしかするとこんな世界が来るかもしれないけどきっとまやかしだから疑ってかかれ、というメッセージかなと思いました。考えすぎですね。



(2019年2月2日)
映画『アバター』

(めちゃくちゃこきおろしてます。好きな方は読まないで下さい。ごめんなさい。)

公開当時に一度観たけど全然覚えていなかったので、昨夜家族で鑑賞しました。

なんだろうあの映画。多分1時間以内に縮小出来るんじゃないかな。CGがすごいという感想だけで中身はなーんもなかったというかむしろものすごい違和感というかアメリカ人の自己満足・自己礼賛・自己正当化を見せつけられた印象だけが残りました。精神的な何かを描きたかったのであろうとは思いますが、全然描けてない。漫画文化で育った日本人はあんなのでお茶を濁されてもねえと苦笑ですよ。もう忘れたい。内容を覚えていなかった理由はたぶんこれです。シリーズで5位まで出す予定のようですが、もうお腹いっぱい。CGはよかったです。

(息子の感想「アメリカ人とネイティブアメリカンの歴史とそっくりだった」だそうです。子供にも分かりますよね。。)



(2019年5月6日)

これも定期的に読むと面白い本。
イエズス会を作ったイグナチオ・デ・ロヨラの自叙伝。

イエズス会と聞いて、すわ悪の中枢みたいな短絡的な事を言う人もいますが、何に関してもそうであるように、初期の動機というものは純粋なものであったと思うのです。後々人を介して伝わって行く途中で変えられてしまったり悪用されたりしただけで。

イグナチオは、ただひたすらに道を求めてイエスのように生きようとした、実践の人だったんじゃないかと思います。

その道を求める苦しく険しい人生において何をどう思っていたのか、淡々と述べられていて(口述書記)興味深いです。

なるほどーと参考になったのが、ひとつひとつの事象に関して「自分の欲や保身から出たもの」なのか、「魂の願いから出たもの」なのかを見極めて行く弁別方法。

その苦悩の過程がとても分かりやすく書かれていて、なるほどそういう風に考えるのかと面白かったです。

私はは如何なる宗教も信仰しませんが、思想を知ることには興味あります。(自分も含め)人間て魂は強くとも肉体を持つと弱くなるんだろうなと思いながら。

表に出ているいわゆるスピリチュアル系は、ほぼ100%何か別の物にまみれているので論外です。下手に近付くと変なモノ飛んできそう。



(2019年6月11日)
蜜蜂社会について考えています。

古代ではきっと理想社会のお手本みたいに考えられていたんじゃないでしょうか。

共存共栄の女系社会。注目されない者たちのはたらきの大切さ。

最近の蜜蜂激減と蜜蜂を守ろうとする社会的な動きは、色々と象徴しているようにも思えます。

アルテミス像の胸に沢山ぶら下がっているのは蜜蜂という説もありますね。アルテミス、アセナト、マグダラのマリア、女性祭祀。

男性優位・物質至上主義の西洋社会において、隠された花嫁の謎が解かれつつある今、女性性が復活すればもっと住みやすい生きやすい社会になると思います。

日本はまだそういうのに毒されていない人が多いので、もっと謙虚に自然に倣って日本のいいところを引き出せるようになるといいですね。

私も私の現場で取り組みます。



↓これはちょっとカテゴリーが違いますが、大きな括りで創世記ってことで。
(2019年9月30日)

諸星大二郎さんのマッドメン。

ニューギニアと日本の神話・・伝承といった方がいいのかな、と、聖書をリンクさせながら描く人類創世記。

神話は繰り返され、そして新しくかきかえられてゆく。

比較神話学では、世界中に伝わる神話の類似点が数多く見られますが、やっぱりそうなんだろうなと思います。

作中で、デマの儀式によって泥の中から生まれる人間、無原罪の人間というのが出てきまして。で、その原初の汚れない人間達が暮らす村へキリスト教の宣教師が踏み込んで行って「文明的な暮らし」を説くわけですよ。それを聞いた村の人々は、自分達が汚れのある存在(言いかえれば、文明的でない存在)であるということを教えられてそう思い込んでしまい、「天国の鳥」と呼ばれる模型飛行機に乗って去ってしまいます。(作中における)現代のこの世の楽園は宣教師によって失われてしまうのです。聖書における、アダマから生まれるアダム(原初の人々)とそれをそそのかす蛇(宣教師)のメタファー でしょうね。

文明とはなんぞや、楽園とはなんぞや、というそんなエピソードも絡めつつ、諸星大二郎さんならではの視点と物語の進め方が面白いです。

最後に、「神話における一番最初の男女」の繰り返し的な存在である二人が、どうも三次元ではない所で生活しているっぽい描写が、ちょっと意外でした。諸星大二郎さん、他の著書でそういう最近の次元上昇的な流行りものに否定的だったので。

人間が新たな神話を繰り返して次のステージへ進むということであれば、それはこの物質界ではない、という感じで描かれたのかもしれないと想像します。



(2019年10月16日)

何年か前に観た映画。

ちょっと古い小説と映画のリメイク版ですが、宇宙人信略(あれだけのテクノロジー使ってるのに全然知的に見えない頭悪そうな宇宙人に描かれてる)、プラズマビーム、EMP攻撃、色んな要素がぎっしり詰め込まれています。全然面白くないし学ぶところもないしエンターテインメント性も無いので観る価値はないですが、陰謀論的な視点で観るとへーそうか、と思うかも。

ウィキペディアによると、

"『未知との遭遇』『E.T.』と過去に人類に友好的な異星人との交流を扱った作品を手掛けてきたスピルバーグが、一転して宇宙侵略物の古典の映画化に挑んだ本作は、2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件で受けたアメリカに住む人々の衝撃・思いを反映している。映画には墜落したジャンボ旅客機、掲示板に貼られた無数の人探しの張り紙などが登場するが、映画のメイキングでスピルバーグも公言している通り、これらは9.11のテロを連想させるため、あえて描いたものである。"

なんでまたそんな。

この解説を読むだけでなんとなく分かりますよね。

悪趣味。



(2019年10月20日)
妄想です。

各方面の専門家が呆れて怒りそうなこと書いてます。

宗教家や為政者や神学者達によって難解と思い込まされてきたイエスの教えは、もしかすると現代生きている私たちがもし直接聴いたら案外誰でもすっと分かるシンプルなものじゃないと思うのですよ。そして熱心なクリスチャンほど、期待外れが大きくてがっかりするかもしんないですね。

もしかすると、イエスが人間として生きて見せたかったことはただふたつ。

ワンネス(人間は、忘れているだけで最初からずっとつながっているという意味の)、そして行為すること。

生きることで一番難しい点は、思うことのバランスをとってそれを実践するかしないか。イエスはひたすらに祈り(思い)イコール行為の実践の人だったんじゃないかと。

思いと行為を一致させること。人間としての私たちとイエスの違いは、イエスが言われたと伝えられる言葉、

『汝、信仰あり。我、行為あり。』

それが全てじゃないですかね。信心深く祈っているだけではずっと停止状態ですからね。

信仰は信じるという行為であり、状態ではない。イエスにとっては信じる、というのはもう当たり前の状態だった。私達は最初からずっと大いなるものとつながっているということを全て忘れてしまった人間に示して下さっていたんじゃないでしょうか。

誰も理解出来ないくらいにこねくり回して難しくしてケムにまいてその真の意味を分からないように阻む理論ゲームで忙しくさせて大事なところから目を逸らす、宗教や神学の狙いは実はそこかもしれないとぼんやり思います。

ついでに暴論を承知で書くと、
キリスト教異端信仰といわれる初期グノーシスこそが、イエスの直接の教えからの派生に一番近いのではという気がします。

(だってパウロは同時代生きたにもかかわらずイエスに会ったことは一度もなく、最初は反キリストだったのが"天啓"によってキリスト教を始めたんですよね。もはやそれってパウロ教じゃ・・モゴモゴ
直接の弟子達は水面下に潜って伝道を続けていたはず、と思います。)

ただし、表に出ているグノーシスは、意図して作られた多分表バージョン・こちらで惑わせて大事な部分が知られないようにされた。

その真逆の裏バージョン・真のグノーシスは、初期イエス運動のことで多分水面化で脈々と語り継がれているのかもしれないという気がします。そして今それが表に現れ初めていますよね。もしかすると古事記との類似もあるのかな。

グノーシス=認識する、ということらしいですし。
ついでに言うと、イエスは誰も救済してはくれないと思いますよ。自分の足で立ってしっかり歩くことを、自らお手本として見せて下さった方じゃないかと思います。一人ひとりが自立してねというメッセージを持って。



妄想です(`・ω・´)



(2019年10月20日)
アモル(エロス)とプシューケー

人間の女性であるプシューケーは、嫉妬深いアプロディテから次々と出される試練を、周りの助けを得ながらクリアして、好奇心によって死にかけたところをアモル(エロス)によって生き返り、最後は神々の仲間入りを許されます。

プシューケーの2人の姉というのは、実はプシューケーの己心の魔(妬み、疑惑・・)の象徴じゃないですかね。

プシューケーがあまりにも盲目で軽はずみなうっかりさんに描かれているのが引っかかりますが、考えてみればそれが人間ですかね。

筒井賢治氏によりますと、この物語はプシューケーの知りたがる【好奇心】が悲劇を招き、アモルによる啓示によって救済されるという構造があるそうです。

好奇心、知への過剰な欲求は・・つまりエゴですね。

救済は解放とも言えると思います。

プシューケーは魂という意味があるそうですよ。



(2019年11月15日)
アメンホテプ4世

歴史上初の一神教の開祖とされるエジプトのファラオ。

彼は首都も新たにして一時期アマルナという場所に移していたのですが、当時その場所に住んでいた人達がイスラエル人(民族としての、です。イスラエルの民。)であるという説があるそうです。(フロイトの説だとか)

出エジプトを率いたモーセは、アメンホテプ4世の時にイニシエーションを受けたとか。モーセというとラムセス2世ばかり思い浮かんでいたので、アメンホテプ4世との接点はちょっと盲点でした。モーセの唯一神というのはこの流れ?

ツタンカーメン(トト・アンク・アメン)の名前も最初はアトン神を信仰するトト・アンク・アトンでしたね。

今読み返している本に、すごく面白い仮説が書かれていて、色々と妄想しています。(まあ、妄想なので思い込み&自己満足な内容なので秘めときます。)

最近、偶然アメンホテプ4世に関連してるかもしれない記事(先日の頭長骸骨とか)や本を目にする事が増えて気になります。彼が分岐点というかキーパーソンだったのかもしれませんね〜。



(2019年12月3日)
面白かった。

このたび世界遺産として認定された潜伏キリシタン。

誰もが抱くであろう、その信仰についての疑問・・言葉も通じず、長い間伝道者もいないのにどうやって教義は伝えられたのか、その教義は果たして理解されていたのか・・が解けます。

結論から言うと、それは教義として理解されたキリスト教ではなくカトリックでは決してなかった。八百万の神のひとつに加えられた素朴なご利益信仰であった、というのは、そうだったのだろうと思います。信仰を否定する訳ではなく。

祖父母が大切にしてきたものを今でも守り通している、そのこと自体は尊いことだと思います。

多分、キリスト教に限らず、日本に入ってくる全てのものは、日本人によってカスタマイズされて、元々のイデオロギーとは似て非なるものになるんじゃないかと思います。

↓著者ご本人のインタビュー記事がありました。



(2020年1月11日)

アバター

よくそこまでアメリカの自己賞賛自己満足が描けたねとドン引きした映画。2もおそらくそうなのでしょう。

これ観ると、アメリカのネガティブサイド、鈍感さとか半端ない自己肯定感、偏った正義感によるヒーロー感(によるマッチポンプ)とかが透けて見えて、「そういうとこやで・・」と思います。ほんと、そういうとこだよ。もしかするとこの監督(カナダ人)もわざとそういうストーリーにしてるのかも。気付けよ、と。

(アメリカ、いいとこも勿論沢山ありますよ。何でも100%どっちか、なんてのは無いですから。)



(2020年12月14日)
帝国書院出版の、高校生向け世界史図説なのですが、しれ〜っとすごいことが書いてあります。

ユダヤ人の歴史のページ。

聖書(旧約)というものは、バビロン捕囚の時にユダ王国から連れ去られた人々により遡って編纂された、ユダ王国の人々を『選民』として正当化するための『民族の歴史』で、シュメールの神話に影響されたような箇所や色んな神話をつないで自分達こそが正統であるということを書いた、まあ言ったもんがちみたいなもので、史実かどうかっていうのは不明なんですよね。(そもそも今の湯田屋人は民族ですらないし)←ビビりなので当て字

それを、他国の学校で史実として出エジプトだのモーゼだのソロモン王だの教えるのって、ちょっと待ってって思いますよね。まあここをおさえておくことで、新約(福音書)の方にも正統性を持たせることできますから、外せないのでしょう。

でもこれ、たとえるならば、世界中の学校で古事記を日本の歴史として教えろって言ってるようなもので。それはおかしいよねって普通は言うと思います。

これ、自分が高校生の頃には習った記憶無いのですが、今こんなこと教えてるんですね。エルサレム→イェルサレム、イスラム→イスラーム、ってのも昔と言い方違うので、え〜ってなります。最近流行りの、現地の発音で表記するってやつですかね。

この本はパラパラとめくってぼちぼち読むのが面白いので、テーブル横にいつも置いてます。



(2021年2月16日)
誤解されることを承知で書きます。

西洋人の思考回路を読み解くためには、やっぱり宗教観というものを少しでも知っておかないと、日本人には絶対に分からないことが多いと思います。

ものすごく乱暴な書き方をすると、大きなポイントは

他力本願

一神教の絶対神という考え方は、多分多くの日本人には理解出来ないと思います。私も分からない。

クリスチャンの多い米国では、どう見てもクリスチャンらしさとは程遠いふるまいに見えることだらけなのは何故なのか。

多分それは、自分の内ではなく外側に全てを見ているから。

一神教の絶対神は人間とははっきりと一線を画す絶対的な存在。

そして、キリストはものすごく都合よく利用されているように見えます。こんなこと英語で書くと激怒されてしまうでしょうが。

自分達の『罪』を全て引き受けてチャラにしてくれた存在。

のみならず、現在に至ってもなお人々は日常的ににキリストに祈り、自分達の『罪』を引き受けてもらっている。

そして、そういうことに慣れてしまった人々は、事あるごとに誰か全ての罪を被ってくれる人・・いわば人身御供を仕立て上げて、チャラにして安心する。

全米各地で起こる銃撃事件然り、BML然り、先日の議事堂襲撃然り。

よーく見ていると、必ず人身御供じゃないの?って思えるような存在を仕立て上げる。

そうやって大衆は、その罪を自分とは無関係のものと切り離し、誰かに全てを引き受けさせて安心する。

キリストは人身御供と言うとクリスチャンの人はたいそう激怒すると思いますが、本当に敬愛するのであれば、いつまでも磔のままじゃなく、もうそろそろ解放してあげたら?って思います。誰かの名の下に祈るということは、その人を縛って未来永劫磔のままにしておくこと。そう思います。

こんな短い文章では全然説明しきれませんが、とりあえず大すじだけ。これまでもちょこちょこ書いているし今後も書くと思います。



(2021年5月11日)
先日、郊外の小さな協会の前にあった聖人の銅像。(聖人の像とかカードとかよくある)

肩に羊を乗せてるんですよ。

肩に小鳥だったらアッシジの聖フランチェスコだけど、羊?と思って隣にいた夫に聞いてみたら、知らないという答え。

それを今思い出して検索してみたら、肩に羊乗せてるのってイエス・キリストじゃないですか。

へえ〜知らなかった。

って私が言うのはいいけど、カトリックの人(夫)も知らないって、羊をしょったイエス様って珍しいのかな?それとも宗派が違うと銅像も違うのかな。

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