見出し画像

「うつ」と「自死」について①

生まれいずる者が、

ぬくもりを知り、求める。

早産である人間は、未熟なまま、育てられ、愛を知る。

長く時間をかけて、人間として成長する。

幼き人間は、小さな喜びをみつけ、心躍らせる。

だが、人間は成長し、環境に包まれ、感情を養い、
自己を保持する中で、

小さな不安を見つけてしまう。

それを追求する人間がいる。

**********

幾多の複雑な感情は、呪縛となることがある。

**********

幼き頃に、抱きしめられた感触。

守られている実感

遠足の前日の興奮。

淡い恋を抱くときめき。

失恋の切なさ。

趣味の充実。

才能の開花。

貢献の実感。

かけがえのない友の存在。

愛を見つけた喜び。

目を閉じると、薄い映像になって、まぶたにうつる大切な思い出。

生きている、そのこと自体の奇跡。

生きている、生かされている、奇跡。

人間は、それを知っている。

でも、呪縛となってとりついた自分の感情が、

ふと、

自分の存在を消すことを提案してしまう。

目頭が熱くなり、自然と涙はこぼれ、そして涙がとまるとき、
途方もない感情の波が一時静止する。

思考回路が止まる。

そして穏やかに。

意を決して?

衝動的に?

静かに?

自分を消してしまう。

そんな行動に。

でも、自ら命を絶つ、そう思っているのかな。

消える。

自分を消す。

遠くに行くと思っているのかもしれない。

目をずっと閉じたい。

眠りたい。永遠に。

そう思って行動するのかもしれない。

その思いの中に、幼き頃の無邪気な感情は残っていない。

いや、残っている。

ただ見ないだけ。

ただ、自分の脳の中、心の中にその感情を入れないだけ。

ただ、無になり、自分を消すことにしてしまう。

自分の大切な人。
守りたい人。
残される人。

きっと、一人は必ずいる。

でも、こうなってしまうと、

心が穏やか過ぎて、
逆に心が騒がしすぎて、

無数に広がるシナプスに、

その思いがよぎることが、まばらだ。
大切な人が、脳裏に浮かんでは消える。

浮かんでは消える。

思いだすことに頑張っても、消える。

生きる喜び、

復活の希望、

大切な人との日々、

そして自分という「生命体」という名のギフト。

その奇跡の喜びよりも、自分の存在を消してしまおうと願う。

それがどれだけ、すさまじく恐ろしいことか。

その恐ろしさも感じず、

自分の存在を消してしまう人がいる。

想像を絶する

苦痛、

苦悩、

絶望・・・。

断末魔といっていい。

その恐怖を抱え込んだまま乗り越えてしまう決断。

それが自死だと思う。

こんな苦痛を抱きながら、自分の存在を消す人がいる。

この苦痛、苦悩を考えると、

簡単に、自死はいけない、と、

私は言えない。

自死に迷う人がいたら、

私は止めるだろう。

私はいけないと言うだろう。

なんとしてもその人の自死を食い止める努力をするだろう。

自死について、肯定はしていないのだから。

しかし、既に自死を選んでしまった人のことを

私は否めないだろう。

だから自死はいけないと簡単に言えない。

自死を選ぶ人は、

自分以外の誰もが想像できない、
自分以外の誰もが理解できない、

自分だけの苦悩を抱えているのだから。

続く・・・。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?