【 コートの星達に説く人生の授業 ⑧】

こんにちは!
お久しぶりです、覚えてますか?
明朗快活な女性から声をかけられた。
娘が保育園のときにお世話になった先生だ。ベビーカーに乗せた赤ちゃんを連れた懐かしい笑顔が眩しい。

もちろんです!
お久しぶりです!

娘が4歳の時、
保育園に入園し、始めての師だ。
抱っこをして先生に娘を託し、去り際には腕を大きく伸ばして泣きながら私の腕の中に戻ろうとした娘。
心を強く持ち、笑顔で見送り振り返らずに車に戻った。バックミラーから保育園の様子を見ながら涙が溢れて来る。

その日のお迎えにはけろっとしていて、
輝く笑顔。よかった、と安心したのを覚えている。それから保育園を楽しみにして毎日たくさんの話をしてくれた娘。

中学生になった今も、帰宅後のマシンガントークは変わらずに、私は娘と同じ時代をタイムスリップして一緒に過ごしている錯覚に陥る。彼女がたくさんの話をしてくれるから、もう一度青春時代を生きているような気になるのだ。
私はそんな娘に感謝している。

先生は後に言う。
「もなちゃん、明るくしてたけど、いつも私の膝の上に座って静かに泣いていたんです。ママ離れて寂しくて」

年長の時の担任の先生は、
私の中学時代からの友達だった。
大人になった今でも子どものような無垢さを持ち、一方芯の通った強さがある。
素晴らしい先生だ。
私は特に彼女と高校時代、
たくさんたくさん素晴らしい思い出を共有してきた。
まさかそんな大好きな友達に娘をみてもらえるとは思わなかった。

娘はまだ始まったばかりの人生の中で素晴らしい師にすでに巡り会い、色鮮やかで豊かな集団生活を送ってきた。
母親からすると本当に
これほど感謝すべきことはない。
バレーボールの顧問の先生との生活は、
一年だけだった。
しかし、その中で、娘は、
「礼儀」の部分を強く吸収した。

目上の者に対する言葉遣い、
電話のかけ方、挨拶、
自主性、努力、
人生におけるたくさんの大切なことを、
この先生から教えていただいた。
一方私は、成長する娘に対する親の在り方を教えていただいた。
この一年で先生にたくさん
お世話になったのだ。
保護者会で人柄に触れ、
親と同じくらい生徒を見ている様子は先生との会話で知ることができた。
子どもの良さをしっかりわかってくれて、
その良さを褒めてくれる。

この先生と3年間過ごせればきっと大丈夫。

そう、当たり前に思っていた。

*****

先生はこの中学で8年間バレーボールを教えてきてたくさんの生徒の成長を見守り促し送ってきた。

娘たちがこの中学での最後の生徒となった。

定年まであと2年。
そんな矢先の別れ。

先生自身も別れの寂しさはひとしおだ。

最後の先生の話は
「ありがとう」この感謝の気持ち一言の意味だった。

「ありがとう」の反対語は「当たり前」

人生には「当たり前」のことなど存在しない。

人に支えられ
人は生きている

先生とずっとバレーボールができるという「当たり前」はふと思いがけなく終わりを迎え私たちは途方にくれる。

最後に一人一人の名前を大きな声で呼ぶ先生。「はい!」とありったけの大きな声で返事をするコートの星たち。
下を向き、涙を流すことを惜しまない先生。
見つめて涙するコートの星たち。
彼らを見守る私たち保護者も皆涙に暮れる。

ずっと続いてほしい時間は静かに幕を引いた

しかし私たちは一年前に先生に出会えた。
切りたくない縁はきっと
ずっと続いていく。
みんなそう信じている。

出会いと別れの春に
私たち母子は同じ涙を流した。

それだけの影響を私たちに与えた先生の存在は、私たちにとってとてつもなく大きく
温かい。

コートの星達はもちろん、
私たち保護者にとって、
こんな素晴らしい場に立ち会えたことは
ただ、ただ、感謝しかないのだ。
そう、何度も何度も思うのだ。

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