見出し画像

【命を身ごもり育むということ①】

真夜中にふと目が覚める。 


暗がりの天井を眺めていると、 
だんだん目が慣れてきて、 
カーテンの向こうの月明りが見えてくる。 
電気の傘、キッチンの窓。 


月明りが、 

オリズルランの葉のシルエットを
きれいに映す。 



こんな真夜中に私は目を覚ましたけど、 
私の隣には、私の娘が小さな寝息をたてて寝ている。 



そんな、今の私にとって当たり前のことが、 
まだ私には、当たり前に思えないことがある。 



今、私の隣で寝息を立てているのは、私が産んだ私の娘。 
それがいまだに信じられないときがある。 


この現実が、言葉にならないくらい愛おしい。 


この現実に、安心しきって、 
私はまた目を閉じる。 




********** 


あなたにとって、 





忘れられない涙はありますか? 




ずっと大切にしたいと思う涙はありますか? 



********** 



娘を授かっているのがわかったとき、 
私は不安でたまらなかった。 
それが私にとって、
一番望んでいたことなのに、 




焦燥は瞬く間に心を覆いつくし、 
精神が揺らめいた。 

*****

これから綴るのは、妊娠・出産の記です。 
ジェンダーにとらわれず人間として、読んでもらいたいという意向です。 

妊娠、出産特有の症状が綴られているため。 
不快の思う表現があると思います。 
苦手な方は読まないで下さい。




********** 




2005年6月13日、 

赤ちゃんを授かっていることを知った日。 


この日はとても涼しい過ごしやすい日で、 
周りの景色と空気に、自分だけが置いていかれた気がした。 



妊娠を知って、喜びよりも、不安が大きかった。 



むしろ、喜びは、ない。 


待望の妊娠、不安が渦巻く。 


結婚して8年後にようやく決心して子を授かりたいという気持ちになった。


精神疾患のため子を授かることが怖い。
しかしこの時期強く子を授かることを望むようになったのだ。 








なのに、妊娠を知って、 






うれしくない。 






それは何故かというと、 







お腹にいる命は、一体誰なのか? 




そう考えてしまったのだ。 




全く持っておかしな考えである。 






お腹の中にいる新たな命は、私の子であり、旦那さんの子である。 



今なら、当然のようにそう思える。 
人間誰だってわかることだ。 





でも当時の私は、倫理という文字に、縛られていた。 
人間が人間をお腹の中に身ごもるという現実。 







このとてつもなく大きな重責。 






私はその重責を果たせるだろうか。 




お腹の中にいる子は、一体誰なのか、そういう考えに取り付かれていた。 


この子は誰なの? 
どこから来たの? 

怖い。 



人間じゃないのかもしれない、そういうことだってありえるかもしれない。 





そう、普通に、何も疑わず、思っていた。 




何たる怖い思い込み。 





今ならわかる。 
これは強迫観念だ。 








********** 











精神的なものが大きいのだと思う。 
翌日から、つわりが始まった。 
食欲がなくなり、吐き気が酷く、めまいがする。 
仕事も行けなくて、そのまま辞めた。 



ほぼ一日中、クイーンサイズのベッドの中で過ごす日々の始まり。 



私が寝ているすぐ隣には、ルイ(犬の女の子)がいつもいた。 
ナナ(犬の男の子)は、ベッドの下にいつもいた。 



寝室で、二匹と過ごす日々。 



食欲がなく、何も受け付けない。 
母がフルーツ入りのヨーグルトをいつも買ってきてくれて、 
私は寝ながら、少しづつヨーグルトを食べていた。 



寝室とトイレを何往復もする。 
体力がほとんどない。 


そんな日が一週間ほど続き、ある日、寝室のテレビを見てみようと思った。 
そんな時につけたテレビには、チェ・ジウ主演の「真実」という韓国ドラマが放送されていた。 



つけては消し、またつけては消し、そんなことを何度もしていても、「真実」は終わらない。今考えると2話連続で放送されていんだと思う。 




何も食べたくなくて、でもお腹が空く。 
そして気持ち悪くなって、それの繰り返し。 




つわりって、辛いと噂には聞いたことがあるけど、 
こんなに辛いものなのかと疑問に思う。 



ある日、旦那さんが、引きこもる私を心配して、外に行こうと誘ってくれた。ドライヴに行こうと。 


乗り気ではなかったけど、何度も言われてしぶしぶ家を出た。 
ドライヴ、どこへいくのかと思ったら、旦那さんは、児玉長瀞線のくねくね山道に車を走らせ始めた。 
ただでさえ気持ち悪いのになんでこんなとこにくるんだ、とかなりイライラしていたが、怒る気力がない。 


山の高いところへ出て、外に出てみた。 
少し気持ちが良かった。 

でも、変なことを考えた。 




車に乗って、このまま下に落ちたらいいかも。 



そんな変なこと。 


死にたいとかそういうことを思ったわけじゃないけど、 
なんだか、山のふもとに引き込まれそうで、なんだかそれが気持ちよさそうに感じた。一種の陶酔と、現実離れの欲求だと思う。 



今まで挫折や苦悩を味わったことのない、のうのうと生きてきた自分。 



つわりこそが、今まで生きてきた中で一番つらいものだった。 




プラムやソルダムを食べていた時期があった。 
でもすぐ吐いてしまう。 


その次に何故かポテトが食べたくなった。 
でも見たとたん、吐き気がする。 


水が身体に痛い気がした。 
水を飲むと、痛い。 
水が硬い。 


ジュースもだめ。 



唯一飲めたのが牛乳。 
でもやはり吐く。 













吐いてばかりなので、吐くものがなくなり胃液を吐く。 





胃液もなくなり胆汁を吐く。 




この胆汁が喉を通るときの気持ち悪さをいったら、 
言葉にできないほど。 




そのつわり、一切状態が変わらず2ヶ月続く。 


その間、8キロ痩せた。 




ジーンズのお腹にあたる部分、 
ブラジャーのしめつけが苦しくて余計吐き気を催すので、 
ずっとワンピースを着ていた。 





その一方、お腹の中にいる命が、怖いと感じた。 




自分のお腹の中に新たな命が宿っている。 
私はどんな小さなことでも失敗できない。 
そんなことを思っていた、常に。 


なので、少しでもお腹に何かが触れると怖くなった。 
赤ちゃんが死んじゃうのではないか。そう心配になった。 
お腹をかばって神経が張り詰める。 
守らなきゃ、守らなきゃと、ずっとずっと思う。 
ずっとずっとお腹を気にしている。 





でも、このとき、お腹の中の赤ちゃんに対する愛おしさは、なかった。 
全然なかったのだ。 



この頃、妊娠の喜び、出産への待ち遠しさ、ウキウキ感、一切なし。 






続く・・・。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?