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彼女と私の7年間⑧後悔

10年間介護士として勤めた施設を辞めたのは2019年の6月。

コロナ禍の真っ只中で娘の学校は休校が決まった。尋常ではない事態の長い休み。

当時娘は中学2年生。
私は…
娘を一人にしたくない。
だから休みを申請して休校が終わるまで休むことにした。

やはり人手不足だ。
チームはみんなで協力し仲がよかった。
だけど、多分この状況下が招いたことなのか少しずつ介護士のメンタルが崩れて行く。

私はそれを感じたら休む事ができる。
しかしそれが出来ない人もいる。

次第にこの状況は利用者本意の介護を遠ざけた。業務優先で淡々と業務をこなす介護士。

さらにはイライラが心理的虐待に繋がってしまう介護士もいた。

私は業務優先でなく利用者本意の介護をずっとしてきた。それを変えなかった。
そして体調が悪くなると休む。

だからそれを続けられた。
そう思う。

しかし私のように自分の体調やメンタルを第一に考えられない人がたくさんいる。

心理的虐待が横行してそれを目にするたびに私は誰彼構わずに叱咤した。
それを繰り返した。
ダメなものはダメなのだ。
上司にも相談した。

しかしそれは煙たい行動だった。

次第に私一人が孤立して上司にも注意するなと責められた。

私は単純にできている。
弱いものいじめを放っておけない。

責める、詰め寄る、罵る。
そんな狂気の鎧を何層にも被って周りの介護士を威嚇した。

職場の環境が介護士のメンタルに影響がでる?
そんなの知らない。ダメなものはダメ。

おむつ交換を適切にやらなかった夜勤職員に電話までして詰め寄った。

毎回毎回無理やり早く食事介助をして誤嚥させる職員には私がいる時は絶対に食事介助をやらせなかった。

ずっとずっと気が張っている。

泣いている利用者がいたら誰に泣かされたのか聞いて泣かせた介護士に攻撃する。

必死だった。

でも限界が来た。

私は介護士が天職とずっと言っていた。
やめることはないと。

でも、もう無理で、占い師を頼ってお金を振り込んで相談に乗ってもらい、施設を辞めた。

信頼していた直属の上司も私を見放した。
汚い言葉で罵られ、その後内容証明を送った。しかし施設は対応を伸ばして伸ばして今はもう返事も来ない。

私も諦めた。

私は必死で自分が虐待されている利用者をすくわなければならないと思っていた。

相談する人もいない。

いつまでそんなことを言っているんだという冷ややかな目線に攻められた。


あれから4年。

今私は理解した。

やっと。

私ができる事はみんなができるわけじゃない。
もっと相手を考えてより良い介護を話し合えばよかった。

私のやったことは火に油も等しい。

7年間過ごした彼女を共に介護してきた仲間たちだったんだ。

私は相当彼らを傷つけた。

でもね、家族も本人も食制限されていない利用者が好きなものを食べて、それを目撃して廊下まで聞こえる声で怒鳴ることっていいの?

とっさに彼女の部屋に行ったら泣きながらしがみついて彼女は泣いた。

家族から救急時は救急車呼ばなくていいと言われた利用者が命の危機に瀕した時、平然とした顔で舌を噛まないようにと口に手を入れたままま何にもせずに次第に断末魔の顔になり緑色になって死んでしまった人の姿を見て普通にしていることって恐ろしい。

いろんな事が私とは考えが違った。

私は価値観を周りに押し付けたのは間違いだったけど心理的虐待を減らすためにしたことはきっと不器用だったかもしれないけど間違えてない。

ただ一つ言えるのは私は人の心に入り込みすぎて、好きな人を傷つける人には容赦ない攻撃をしたということだ。


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