【 命を身ごもり育むということ⑨最終話 】
自分が産んだ、自分の赤ちゃんが、自分の赤ちゃんではない。
自分の赤ちゃんは、誰かに連れ去られてしまって、今ここにいる赤ちゃんが、私のところに置いていかれた。
目を離すと、今ここにいる赤ちゃんも、誰かに連れ去られてしまう。
そんな支離滅裂で、ありえもしないことを考え、
焦燥感と、漠然とした不安の中、入院期間の5日間が過ぎた。
母と、旦那さんが、
「ミカは、出産後の精神の不安定のせいで、こんなことを考えてしまっているんだよ。この赤ちゃんは、ミカの赤ちゃんだし、誰ももなを連れて行くことはないんだよ。」
そう何回も何回も言ってくれた。
そういわれるたびに、安心するが、また疑ってしまう。
その繰り返し。
退院の日、
診察をしてもらうため、診察室に入った。
先生は、私のこの状態を知っていて、いろいろとお話をしてくれた。
ざっくばらんな性格の先生は、私がいろいろ不安に感じないように、
いろいろとお話をしてくれた。
そして、一通の紹介状を私に渡した。
それは、ある大学病院の精神科の紹介状だった。
母が、私のことを助産婦さんと先生に相談して、
先生が紹介状を書いてくれたのだ。
先生は、その紹介状を渡す前に、私にこういった。
「あなたは、精神科医を受診する意思があるのか?
自分の意思で、受診したいと思うのなら、これをもって、受診してみなさい。」
先生は、私の意思の確認なく、
精神科医への受診の紹介状を渡すわけにはいかないと言った。
自分で、今の状況をなんとかしていきたいと思ったなら、行って見なさい、と言ってくれた。
入院中、看護師さんも何故かみんな私を気遣ってくれてなんでだろうと思っていたら、母が私の知らないところで病院のスタッフの方に不安定な私の事を話していてくれたのだった。
自己嫌悪と安堵の気持ちでいっぱいだった。
母が私を後押ししてくれて、私の気持ちも変わった。
赤ちゃんを出産し、
これから私は母親としてわが子を守らなきゃいけない、
そう思って病院へ行く決意をした。
今まで、何度も精神科医を受診したい意志があったが、
心も中の何かが邪魔して、避けていた。
でも今回、母が受診のきっかけをつくってくれて、紹介状もかいてくれて、受診の日も決めてくれたことにより、
私は、今、行かなければならない。
今を逃したら、ずっと精神的な病を背負って生きていかなければならない、
そう思ったのだ。
退院した次の日に精神科を訪れた。
今まで何度か精神科を訪れたが、
何故か今までのような怖さがなかった。
担当の先生がとても良い方だったので安心したのかな。
今の私の強迫観念は、精神的な病気であり、
この病気は絶対治ると断言してくれて、
今までのいろいろな話を親身に聞いてくださった。
薬の処方を薦められたけど、
どうしても母乳で育児したいので、
しばらくは薬なしで通院する事になった。
先生はこう言った。
今まで自分の中にいた、自分の命が、生まれたことによって、
身が二つに分かれてしまった。
これは自然の摂理であり、女性が子供を産むのは自然の流れ。
しかし、へそのおを切り離したとき、自分の中で育ってきた命は、
自分の身から離され、一人の人間としての人生を歩み始める。
今までは自分のお腹の中で守ってきた命。
それが生まれたことによって、外観的な一体感がなくなってしまった。
そして、外界の刺激により、自分の命と等しい自分の子供をどうしても守りたいという強い意志と危機感がいっそう強まっていく。
わかりやすく言えば、
母犬が子犬を守るため、近寄るものに威嚇する様子に似ている。
しかし、内面的な一体感は、続いていく。
あるとき、ふと、頭の中で思い描く妄想以上に、魂のつながりが、
その疑念と強迫観念を解いてくれる。
その後、受診を繰り返し、受診のたびに、
精神状態が安定したが、
自分の赤ちゃんが自分の赤ちゃんではないという、強迫観念を抱き続け、
3ヶ月が過ぎた。
そして出産してから4ヶ月が経った頃、
私は、通常の精神を取り戻した。
あるとき、ふと、頭の中のある疑念が消えた。
あとかたもなく。
何がきっかけなのかわからない。
ただ、ふと、我に帰ったのだと思う。
出産して4ヶ月後、私の赤ちゃんは紛れもなく私の赤ちゃんで、
誰が連れ去ったわけでもなく、
ずっとずっと生まれたときから私のそばにいる。
そう、心が確信している。
先生の言ったとおりだった。
心が戻ってから初めて撮ったもなと二人の写真。
もなを抱っこして、自分の身体をゆらしながら、子守唄を歌う。
この歌は子守唄でもないし、子守唄に値するような歌詞でもない。
でもこの曲が心地よく、この頃いつももなに歌って聴かせていた。
https://youtu.be/a4TQ4Nlj_fQ
この曲を聞くと当時のことを思い出す。
嫌な記憶としてではなく、穏やかな記憶として・・・。
この出産、育児の、とても大切な期間を、
こんなありもしない疑念を抱え、本当のもなを探し求め、
3ヶ月を過ごしてしまった。
だから、私は育児日記を書くことが出来なかった。
書くことが誰よりも好きな私が、一番書き記したかった、
娘が誕生してからの日記を、書くことができなかった。
でも、私が妊娠し、出産し、その喜びを感じ、
ありもしない観念で情緒不安になり、その観念を抱えたまま、
育児を手探りでしてきたこの月日のことは、
紛れもない事実である。
あの時かけなくても、
今こうして、書くことができるくらいに、
私の記憶の中に、鮮明に、あのときの記憶がある。
忘れたくない感情がある。
ずっと、心に抱いていきたい感情が。
そして、それを言葉に綴っていきたい。
言葉につづり、文章にして、自分で感じ、人に伝えたいという、
私の意志がある限り。
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