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【 命を身ごもり育むということ⑥ 】


2006年2月15日、朝の5時頃、 





お腹の鈍痛で目が覚めた。 
その鈍痛とは、弱い生理痛のような、 
わずかなお腹の痛みだった。 



でも、妊娠に、お腹が張ることも、痛みを感じることも全くなかった私にとって、これは、陣痛の始まりだと確信できた。 


鈍い痛みを感じながら、冷蔵庫の水を取り出そうとした。 
冷蔵庫の一番上の段に、自分が昨日、旦那さんに作ったバレンタインのチョコレートが、ブルーのギフトボックスに入って閉まってあった。 



もうすぐ出産というおしるしと疑うものも来て、 
クリニックに電話して、入院準備をして旦那さんと出かけた。 




私は、いつも気に入って着ていた、母から買ってもらった茶とベージュのタートルネックのセーターと、マタニティジーンズを履いていた。 


車の窓を開けると、明け方の、うっすらと明るさを感じ始める。 
風のにおいも覚えている。 
肌に染み入るような、爽やかな風。 
冬だし、寒いのに、感じる風に、冷たさはなかった。 

いつも見慣れている車窓の風景が、いつもと違うような気がした。 
閉まっている商店のシャッター、見上げると複雑に絡んだ電線。 



全てが優しく感じる。 




クリニックにつくと、正面玄関に明かりがついていた。 

硝子戸の母子のシルエットのクリニックのマークが綺麗。 
いつも見ているのに。 


明け方の時間からみるクリニックの中は、とても温かく感じる。 

すぐに診察室に通され、内診。 
まだすぐには生まれないだろう。 
陣痛室に入るにはまだ早いから、一般居室にと、案内された。 


自分が入院時に使用する個室に通された。 
まだ明け方で眠いということもあり、ベッドに横になった。 



朝食の時間になり、個室に朝食が運ばれてきた。 



連絡をしていた母も駆けつけてくれた。 


それからお昼頃になるまで、 
お腹の鈍痛は一向にその感覚を狭めることはなかった。 



お昼ごはんも来て、あまり食欲がなかったのだが、少しだけ食べた。 
なんだかお腹の痛さが強くなってきているように感じた。 


お昼ごはんのメニューは、メインがカレー。 


食べたくなくて、少し口をつけて残した。 


しばらくすると看護師さんが来て、食べられていない昼食を見て、 
私にこう言った。 


「これからが長いのんですよ。もう少し食べてください。」 


その言葉を聞いて、母も促し、自分でも力をつけるために食べる努力をした。少し残したが、結構食べた。 



昼食が終わると、先生が個室に来て私の様子を伺いにきた。 
このとき痛みが少しづつ強くなってきていた。 

先生は私の表情を見ると、 
「これはしばらくまだ生まれないな。今日の夜か、明日の朝だ。」 
そういって笑った。 

旦那さんは仕事なので、そのことを伝え、 
一旦帰って仕事に行ってもらうように言った。 
ここで旦那さんは一旦家に帰った。 
だが実際は会社には行かず自宅で待機していたのだ。 



だがそれから痛みが強くなり、看護師さんに伝え、 
念のため、陣痛室に移動になった。 


陣痛室に、看護師さんが、お昼に残したバナナを持ってきてくれた。 


「野澤さん、はい、バナナちゃん、ここにおいておくね。」 



それから私は自分でももうすぐ産まれるかもしれないということ認識し、母に旦那さんに電話するように頼んだ。 



しばらくしてまた旦那さんが戻ってきた。 



旦那さんが戻ってきた頃には、 
陣痛の感覚がかなり狭くなり、その痛さは倍増していた。 




よく、出産の痛みは忘れてしまうと人は言うが、私はよく覚えている。 


陣痛とは、生理痛の酷い感覚で、その上、下腹の内臓全体をぎゅうぎゅうと捻じ曲げられるような、のた打ち回るような痛みだ。 



実際にのた打ち回りはしないが、痛みで、同じ姿勢でいられなくなる。 
背中をどうしても丸めてしまう。 

助産婦さんがマッサージを旦那さんに教え、旦那さんがやってくれるのだが、邪魔に感じ、すぐに母に変わってもらった。 
旦那さんには本当に悪かったのだけど。 


私が、陣痛で苦しんでいる間、旦那さんはそんな私を見ながら、何回も何回も深い深いため息をつく。 
それがとても耳障りで、母に、旦那さんに陣痛室から出て行ってもらうように頼んだ。 


のた打ち回るような激痛を感じながらも、女性というものは判断力と決断力が強くあるのだと思う。 




陣痛の間隔がもうほとんどなくなるころ、 
今度は、いきみたくなる間隔が始まった。 


よく、いきむのをぎりぎりまで我慢しなければならないと、 
そう聞いていたので、私は出来るだけいきむのを我慢した。 


だが、それからしばらくたって、もうどうしても我慢できない状態まで来て、先生の内診後、すぐに分娩室へ移動になった。 



もういきむのを我慢しなくていい安堵感で、分娩台に乗り、 
助産婦さんの導きで数回いきんだあとに、すぐに赤ちゃんが産まれた。 



自分では生まれるまでの時間がすごく早く感じたが、分娩室に入って、大体1時間かかって赤ちゃんが生まれた。 



分娩の痛み・・・。 




自分がまだ経験しない頃はいろいろな出産経験者にその間隔を尋ねた。 
でもその人によっていろいろな答えが帰ってくる。 




とても仲の良いお友達に、分娩の痛みを聞くとこういう答えが帰ってきた。 






「赤ちゃんを産むときの痛さは、象に踏まれるような痛さ、腰を砕かれるような痛さ。」 





分娩で苦しみながら、思った。 




まさしく、象に踏まれるような痛さ。 
腰を砕かれるような痛さ。 

象に踏まれたことはないけれど、上手い表現だなと思った。 

つまりは重いものに腰を砕かれるような痛みなのだ。 




つまりは鈍痛である。 


出産の痛さは、陣痛の痛み。 




陣痛は鋭い耐え難い痛みだ。 


それに比べ、分娩の痛さは鈍痛。 
しかも、ほとんど感覚がない。 
赤ちゃんが産まれた感覚もわからなかった。 
そして、裂けてしまった部分を縫う感覚もわからない。 
麻酔をしているわけではないのに、麻酔をされているように感覚一切なし。 



私の出産はとても軽いものだった。 
安産だったのだ。 




8時間の陣痛に、1時間の分娩。 




本当に軽い出産だった。 




10ヶ月と5日、そして出産の日。 

旦那さんに立ち会ってもらい、無事出産する事ができた。 



初めての出産。 




自分が産んだわが子を目の前にした時には、 
涙がどんどん溢れてきて止まらない。 



周りのことも気にせずにわんわんと声をあげて泣いていた。 
涙がぜんぜん止まらない。 




先生が赤ちゃんを私の目の前に連れてきてくれたんだけど、 
私は赤ちゃんの手を握る事しか出来なかった。 
だっこしたかったのに、目の前にいる赤ちゃんがとても神聖すぎて。 
触れる事も出来ないと思えるほど神聖に見えた。 
自分の赤ちゃんなのに。 





無事出産を終えると大事をとるため、 
分娩室に一時間ほど一人残された。 



見えない目で(眼鏡をしていないから)広い分娩室の天井を見つめていた。相変わらず涙は止まらず・・・。 

右手につけられた点滴、 
いつのまにかつけられていた鼻腔酸素チューブ、 
赤ちゃんの手を握った自分の手、 
分娩室の外から聞こえる話し声や笑い声、 
何もかもが優しく体に触れているようでした。 




何とも言い難い気持ちでいっぱいだった。 




それから看護師さんが私を迎えにきてくれた。 
車椅子が用意され、車椅子に乗って、個室へ移動した。 


旦那さんも母も一緒に来てくれた。 


赤ちゃんが気になり、母に赤ちゃんはと聞く。 
保育器に入っているからまだ会えないと言った。 



そのまま個室へ行き、ベッドに横たわった。 



私はうれしくて興奮して、ベッドに横たわるも、 
すぐに上半身を起こしてしまい、母にベラベラベラベラとおしゃべりをしまくっていた。 
頭の中が軽い混乱状態と錯乱状態で、なんだか、お酒を飲んだときのような気分の高揚を感じた。話が止まらない。 
気が狂ったようにベラベラしゃべって止まらないのだ。 
酸素が薄い状態で苦しいのに話したい気持ちがどうも落ち着かないのだ。 

母と旦那さんと看護師さんに止められて、少しづつ落ち着きを取り戻した。 


その後、私と旦那さんの共通のお友達夫妻が子供を連れてお見舞いに来てくれた。お友達の旦那さんは、私がまだ赤ちゃんを見られていないことを聞き、硝子越しに保育器の中の赤ちゃんの写真を撮ってきてくれて見せてくれた。 



初めてみるわが子の顔。 
ぶれてよく見えなかったが、写真には、保育器の中で、大きな口をあけて泣いているような表情のわが子が見えた。 





それから、1時間以上たち、私は初めてわが子を見に行けるようになった。 

これが、産まれて初めて撮ったもなの写真。 



 

目も鼻も口も小さくて、私に似てる。 
硝子越しにわが子を見ても、早く抱っこしたいとは思わなかった。 

まだ自分の赤ちゃんのような気がしない。 


赤ちゃんの存在が神々しくて、 
勝手に触ったり、触りたいと思ってはいけないような気がしていた。 





これは、生後1日の写真。 
本当に私にそっくり。 



 


旦那さんがあんなに濃い顔をしているのに、こんなこともあるんだな、 
と思いつつもうれしかった。 









だが、 






生後2日目のときに、 








この喜びと幸せに満ちた気持ちが・・・、 






一転するのだ。 

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