【仮想空間に芽生えるシンパシーの行方】
ヒーローになるという意思は
あまりにもありふれたものだが
その意思をどう現実化させるのが問題だ。
そこにはいろんな葛藤と妥協があるからだ。
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実際に存在するのか否か
それを決めるのはユーザー本人であるが
目で見て音で聴いて肌で感じることのできる
「もう一つの世界」は
実は存在しうるのかもしれない。
一方では虚しいだけの華々しい幻影に見え
また一方では主動する世界に映る。
自分そっくりの、または自分とかけ離れた理想的なアバターを作り出し、仮想空間で泳がせる。そこには心悩ませるべき要素は皆無。
あるとしたら偽りの羨望に対する煩わしさ。
人の苦しみや悩みはそれは十人十色で強度も違う。性格が相まって指の間からするりと滑り落ちる砂のごとく掴むことのできないジレンマを抱え解決策にたどり着けず逃れられない人もたくさんいる。
人はそれを生きづらさと呼び、そしてネットの中のセルフチェックで自己診断して何とか病と呼び、やれ何たらかんたらと名前をつけて誇大する。
それが仮想空間のせいだと思う人もたくさんいるだろう。
実際仮想空間にしか生きられない人もいるのだから。
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この作品は仮想空間での物語が
キーを握っている。
母親との永遠の別れで心に傷を負った少女は友人の勧めで足を踏み入れた「U」という仮想空間に迷い込む。そこで自分の意思と反して多大なる影響力を発揮してしまい、現実とのギャップに混乱するのだ。
ギャップとは、ここでは、見た目や生活のことももちろんそうだが、それ以上に、掴みきれない、把握しきれない世界の大きさにある。
全世界の人間が「U」の中にもう一人の自分を泳がせているのだから。
少女は手の届かない、果てしない情報量のこの仮想空間に身じろぐ。
しかし共通点がある。
それは彼女が生み出したアバターが持つ「そばかす」と美しい声だ。
物語の核心部に触れることなくこのレビューは進むが、言えることは、この作品は
「仮想空間を肯定している」ということだ。
それは作品を見ればわかるだろう。
さてプロローグに戻ろう。
ヒーローになるという意思は
あまりにもありふれたものだが
その意思をどう現実化させるのが問題だ。
そこにはいろんな葛藤と妥協があるからだ。
そして一番厄介なのが、それが「偽善」なのかそうでないのか、そして「偽善ではないのか」という自問だ。
人を助けたいという気持ちは
きっと多くの人間が持っている感情なのだと思う。
しかし、それを実行する人がいるか。
すなわち人を助けられるのか。
むやみやたらに正義感を振りかざして行動皆無の者もいる。
助ける意思を伝えておいてやっぱり無理だと引き下がり相手の心に倍のダメージを与えて燃え尽きる者もいる。
人を助けるのは自分の何かを捧げてもいいという覚悟がいる。
それは時間であったり、愛であったり、名誉であったり、はたまた生活であったりする。
そしてさらにそこに一番必要なのは、「助ける」という意思を燃やし続けるキャパシティが自分の中にあるかないかだ。
そして自分こそできるという
自信と行動なのだ。
そこには根拠があってもなくてもどうでもいいのだ。
何故ならそれが
ヒーローの要素であるからだ。
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