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彼女と私の7年間②介助方法の変換
彼女の旅立ちのときが近いと感じ始めた4月。
彼女が毎年楽しみにしていた地元のお祭り。
今回は車から降りることなく施設にとんぼ返りだった。
「死んじゃう、死んじゃう、早く部屋に連れて行って」
施設の入り口についた彼女は顰めっ面でそう言った。
「全くおばあちゃん、車から降りもせずに」
そう娘さんは笑った。
その日の彼女はよほど疲れたのか、
一日中寝ていた。
*****
この頃から彼女の筋力はゆっくりと低下し始め、1日の睡眠のサイクルも変わっていった。
あらゆる介助場面で、
彼女は今まで出来ていた自力の部分が、
少しずつ少なくなっていった。
「あ~ダメだ、やっぱり歳だね。私もダメだ」
「お尻がくっついちゃう。ダメだね、立てないよ」
97歳の彼女はあらゆる場面でそう弱く呟き、
落胆の表情を浮かべる。
この頃から、
私にできることは?
彼女のために私にできることは?
瞬時に答えが浮かんだ。
老衰のためのADLの低下で、
だんだんと現有能力が少なくなっていく彼女に、その現実を極力感じさせない介助。
今までの介助ではダメなのだ。
例えば立ち上がる「立位介助」。
今までは、両手で跳ね上げ手すりを持ってもらい、背部に介助者の胸をあて、臀部に左手を添えて彼女の「立つ」動作を誘導するやり方だった。
これだけの介助で彼女は簡単に立つことが出来た。
しかし、今の彼女は、
跳ね上げ手すりを握る強さも弱く、
自分の身体を起こす下肢と上半身の筋力もない。
だから、今までの、
跳ね上げ手すりを両手で持ってもらう動作をそのままに、左手での臀部への手の位置もそのまま、ただ、彼女の背部を自分の胸で押しながらの立位誘導を辞めて、右手を彼女の右脇に少しだけ添えて立位誘導する介助方法に切り替えた。
この介助に変えたことにより、
彼女が立位時に、「あ~ダメだ」と自己嫌悪に陥ることは少なくなった。
*****
人間はきっと今の自分の状態が、
だんだんと死に近いと、
脳神経がクリアな限り、
その現実を自覚していくのだろう。
それは避けられないことだけど、
彼女が落ち込み、ベッドに端座位で、
下を向きハンカチで涙を拭く姿を、
できるだけ見たくない。
立位介助から始まり、
食事、入浴介助の場面で、
彼女への介助方法を、
まだまだ自分の力で出来ると思わせたくて、
少しずつ変えて行った。
死が近いのは、彼女も私も気づいている。
大切なのは、
私が彼女に感じて欲しいのは、
まだまだ自分で出来るという自信。
人間の底力とはすごいもので、
こんなにも衰えて弱くなっても、
少しの自信があれば、
自分を奮い立たせる可能性を持っている。
7年間一緒にいて、
彼女の思いはわかっている。
彼女がどうに死を迎えたいか。
どうすれば彼女らしい死を迎えるために、
残された時間を彼女らしく生きるか、
それは生前彼女が私たちに教えてくれていた。
彼女は事あるごとに私たち介護士に伝えてくれていた。
「最後まで、自分で」
その力強い言葉のおかげで、
お寺のお祭りで沈んで帰ってきた彼女のための、これから私たちが出来る介護を、私たちチームは、話し合い、相談しあい、介助方法の統一、各々の介護士の個性や性格を活かした死への恐怖のメンタルケアを実践していくようになった。
認知症の一切ない97歳の女性の、
自ら感じる死への恐怖へのメンタルケア、
これが1番重要なポイントになった。
チームが一丸となり、
彼女らしい死を迎えるための支援が始まった。
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