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【 命を身ごもり育むということ(後書き)】

臍の緒が切れて、


赤ちゃんは、
この世に独立する。



安堵と共に、
不安が襲うのは、
産まれたての赤ちゃんが、

母親からすぐに離れてしまうから。


小さな足には、
母親の名前のバンドが巻かれ、
小さなベッドのには、
母親の名前の書かれたプレート。


しかし、
それの、
なんとも不確かなものか。


産まれてから数十時間で、
初めて母親の元に帰ってくる赤ちゃんは、
今見た顔と、さっき見た顔と違う。


病院の部屋の鍵がないので、
タオルを数枚、
つなぎ合わせ、
赤ちゃんの寝ているベッドの柵に縛り、
もう一方を自分で引っ張りながら、
トイレに行こうとするのに、
トイレまで、
つなぎ合わせたタオルが届かない。
他に長くするようなものもない。

泣きながらトイレを我慢して、
翌朝を迎える。

赤ちゃんを、
ベッドから抱きおろし、
自分のベッドで抱きながら翌朝を迎えた。

朝起きて、赤ちゃんの存在を確認するが、
やはり、顔が違う。

赤ちゃんが産まれて、
半年間、
そんな不確かで、不安の中を
行ったり来たり。


この子は誰?
本当に私の赤ちゃん?
私の赤ちゃんはどこ?


十月十日、
守ってきた命。

産まれ出る命。

臍の緒が切れること。


それは、そうとうな衝撃。

臍の緒が切れることは、
そうとうな覚悟。

人間も動物。

赤ちゃんを産んですぐに、
自分のそばにずっといてもらいたい。

しかし、人間は早産。
人間は未熟なまま、産まれてくる。

だから、誰かの手が必要。

だから、産んですぐに、離れてしまう。

自分以外の誰ものが近づくものなら、
唸って歯を剥き出して威嚇する母犬。

人間も同じ。

その離れた時間を取り戻すまで、
我に帰るまで、
我が子を肌で、魂で、脳で、
無意識に感じるまで、

時間のかかる母親がいる。

妊娠も、
出産も、
母親になることは、


そうとうな覚悟。

全ての命に言葉では表現できないほどの
感謝の心をこめて。

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