おじいさんと相性が良い

マンションに子どもをみつけると必ず話しかけるご老人がいる。話しかけるといっても、基本的に

「おにいちゃん(おねえちゃん)何歳なの?りっぱね!」「(幼児相手に)中学生かと思った!」「(児童相手に)地方国立○○大生なの?」というものだ。

誰に対しても、男の子でも女の子でも同じ。どの子どもにもこれを言う。これ以外の声掛けを聞いたことがない。

正直、まったく面白くない。

子どもたちはみな、初対面では「??」となる。小さな子どもで、答えられる子はあまりなく、たいていは固まって母などにしがみついている。

2、3度目の子、特に年齢の上がった学齢児は、ご老人の姿を見かけたら走って逃げる。この人を「ちょっと怖い」と思っている女児が複数いることを知っている。

私もこの人を「怖い」と最初思った。それは、彼の声掛けがかなり一方的で、内容も相手に伝わっていない(子供たちには彼の意図が伝わらないし、大学生?と呼ばれて誇らしいとかうれしいとか思ったりはしないのだ)。

そのうえ、保護者(ここでは私)が「まだ小さいので(わからないですよ)」と遠慮しようとするのだけど、彼の目には徹頭徹尾子どものことしか見えておらず。母の私に目を合わせて会話をしてくれたことはない。

このような経緯から、私の母は「くそ爺」と呼び始め(※これはひどい)。子どもに彼と会話することなどを禁じるようになった。

ところがである。誰にでも話しかけ、自分に興味を持ってくれる人物が大好きな坊やは、このひとは大きな声で楽しそう、とばかりに「こんにちは!A君だよ!中学生じゃないよ。間違ってるよ。幼稚園生だよ。」などと超ノリノリに応対してしまう。ついには「おじちゃんは6階よ!」という声掛けに「うちは8階、★号室だよ。」と答えてしまう始末。

ほとんどの子どもから無視されているおじいさんは、るんるん、ノリノリになっていしまい、子どもとハイタッチしようとしたり…

こうなると、どう対応すべきか、母としては悩んでしまった。おそらくだけれど、おじいさんはごく軽く認知機能に問題が出てきたかもしれないが、身体的には割とお元気めのご高齢者なのだろうと思う。子どもに対する言動がなんらかの理由により習慣になり、止められなくなっているのかもしれない。

決して害をあたえる人ではない。

しかし一方で、ご老人は子どもの個別の顔や名前を全く覚えておらず、子どもの答えにも無反応で、自分の話したいことだけを続ける。みていて、子どもが可愛がられているというより、何か道具のように扱われているような気がしてきて憤りがふつふつとわく…

母は「あの人本当に腹立つ」「だって変だもの」「近づきたくない」ということをしきりに言っていた。けれど私は、彼をそんな風に簡単に排除することは、どうしても私にはできないな、と思った。

私は「変」と人を排除することの結果は、息子に返ってくるものだ、と考えている。今でも、おしゃまな年長女子などには「いつもへん」など声をかけられることがある。息子は「自閉症スペクトラム」と言われているが、おそらくは昔でいうアスペルガー積極奇異型だ。

「積極奇異」の文字は本当に私の心をえぐる。息子の言動はたしかに時に「奇異」だし、距離がなかなか測れていないし、相手軸の考え方は丸っとそのままなかったことになっている。

これからさきこの子はどれだけの人にどれだけ「へん」といわれるだろう。

もうすでに、遊んでいるとき、あの子からは離れて、というようなあからさまな拒否を受けたこともある。

坊やはいま私に何かを説明するとき、たまに「へんだよね」という言葉をつかう。たぶん、自分が「へんだ」と言われていること、それが排除のことばであることを、感覚的に悟っていると思う。

「変」な老人と「変」なこの子は同じ地続きだ。ただ、そこらへんにいる人となんらか、少しだけ違うだけだ。それは暴力だろうか?避けられるべきものなのだろうか?

私は、わたしたち親子だけでも、彼と「ご近所さん」として(彼の奇妙な様式にも)付き合えばよいのではないか、と考えるようになった。

そもそも、子どもから「なぜあのおじいさんと話してはいけないの?」と聞かれたとき、私はこたえることができない。「ふつうとちがうからよ」「善悪の判断のできない悪い人かも」そんな理由を並べることは、この子のためにも毛頭できない。

そう思っていた矢先、登校自粛になりマンションにあふれかえるようになった小学生の女の子たちに、ご老人は毎日凸するようになった。

あるとき、ご老人が自ら「ぼっけじいじ、ばっかじいじ」と言って帽子を脱ぎ、とある女児が平手でパチーンとその頭を力の限りたたいているところを見かけてしまった。※その女の子は強烈なものがあり、彼女についても私は少し書きたいものをもっている。

ご老人はその後自分から「ボケじいじ、バカじいじ」を連呼するようになり、自分で自分の頭をたたくようになった。短期間でかなり症状が悪化したのではないかと思う。

女児は「この人には何してもいい」と思っていたかもしれない。

女児ほどではなくても、こどもたちはみな「変なじいさんの相手してはだめ」「うるさい人、むかつく」というような態度だった。

おそらく、そういうとき、そういう風にふるまうもの、というやりかたが、何世代かにわたってより保守的で、より排除的な形で進んでいるんだろうと思う。ここにはこの地域の「お国柄」のようなものもあるかもしれない。

私たちおとなが、これでいいのか、その行動が当たり前なのか、考え直すphaseにある、と思う。結局のところ「共生」「多様性」は、地域でつくっていかなければならない。ただひとりの「不思議な行動をする」「ご高齢者」にどう接するか、そういうひっかかりをひとつひとつ拾っていくことが土壌を作る、そういうことだろうと思う。

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