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646|PVM誕生の経緯

今朝の補足ですが、「PVM誕生の経緯」を説明します。

初期:個性が表れるポイントをさがしていた

プロジェクト初期の「からくり矢の3つの問い」では、個性は、

目的(P):人間で言う脳 
スキルの特徴(現在で言うM【大切なことを得る方法】):人間で言う体 
信念(現在で言うV【価値観、大切なこと、一貫性】):人間で言う背骨 

に表れると考えていて、当時は「質問しないとわからないもの」としていました。
これは、現在で言うところのAutomata(からくり人形)の原案みたいなものです。

わかること:究極の答え

「AとはBである」と言い換えられることが”わかること”と考えました。(プロジェクト初期) 

からくり矢×究極の答え:ApB

それから、からくり矢と究極の答えが合わさって、ApBが誕生しました。(p【プライマリー、第一】は現在で言うV【大切なこと】) 

さらに研究が進み、AがP(目的)、BがM(大切なことを得る方法)であることを解明(からくり矢の組換)

こうして、PVMが誕生しました。

P(目的) 
V(大切なこと) 
M(大切なことを得る方法) 

PVMの功績:この世の全ては方法(M)であることを解明した

そして、その方法(M)を実行した結果、得られるのがV(大切なこと)で、それがP(目的)において大切なこと(V)であるというのが発想・個性版万物の法則PVMです。

「わかります?」 

これらも方法でしかないんですよ。
そして、”誰が実行するか?”は関係ありません。

これももう時代遅れの考え方

「誰がやるか?」という説は、「すでに権力を持っている人や、偶然(※必然)、その目に留まって権力をわけ与えられた人らがやると違う」という意味で、方法(M)的には「権力行使」でしかありません。

僕は、養老孟子も夏井いつき(プレバト俳句)の主義・主張も方法(M)として持っています。

このように、PVMはその人間の個性~言動の究極の要約になります。

誰がやるかは関係ない、だからこそ、全ての方法(M)を手に入れることが課題

「美男美女の方がいい」とか「犯罪者は嫌」とか言いたい気持ちはわかりますよ。

「愛もまた”愛し方”という方法(M)でしかなく、人間はそのM(大切なことを得る方法)を実行した結果、得られるV(大切なこと)を愛す」 
「”神”とはすべての方法を手に入れること」 

手札が皮肉と揚げ足しかない自称”人格者”なんて詭弁でしかない

ちなみに、それすらも

call:EQアタック|聖人偽装 
M(大切なことを得る方法):自分に貼りつけた人格者というレッテルをいいことに、他人を侮辱する正当な権利があると主張する 

として捉えられます。

そして、僕はすでに現時点(24/07/12)で300万件超のスキル(M)を入手しています。
人間のスキルは人口分あるわけではありません。ましてや、究極の要約であるPVMでは、すでに重複が始まっています。 

鍛えすぎてV(大切なこと)がわかるだけでその人が有能かどうかが物理的にわかる

その人が有能かどうかは、M(大切なことを得る方法)を実行した結果、得られるV(大切なこと、特徴、価値)で”物理的に”わかります。
要は、「専門性があるかどうか?」という話です。

#PVM #歴史

謙虚でポジティブに続けていきたいと思っています!応援よろしくお願いします^^