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偽善者

2024/03/08

この日記を書いてるいろんな理由のひとつに、自分の何が異常で、何が私の人生を生きづらくさせているのかを発見するという目的がある。
自分を客観的に見て考察し、果てしない自己分析を毎日やっているようなもんだ。
その中で、大きな発見があったのでまとめる。

私の醜くて歪んだところ。
誰しも、真っ直ぐに成長できずねじれたり歪んだりしながら自分を形成して生きてる。それが個性だし、どんな形であれ否定されるべきではないと思う。私の歪みがどんなもんなのかもう一度書き出してみることにした。



前提として、私はとても抑圧された環境で育った。不安とか恐怖とか負の感情を表に出すことが許されなかった。
言わなくても頭の中で思っていたらそれは同罪だからなって、頭の上のあたりにいる神様にも言われた。だから、そもそも何も感じないように感情にフタをする努力をした。

あの神様は追っ払ったつもりだけど、これを書いてるのも、罪の意識を私に押し付けてくる神様まがいのクソ野郎にケツを蹴られてるからかもね。



ここまでは何度も書いてきたことだ。こんなふうに幼少期を過ごした人間が、この生活に慣れるとどうなるのかは書いてなかった気がする。なるべく短く具体的に書くね。

・近所のいじめっ子の手下として行動した。
学校や家であったことの愚痴や、特定の誰かの悪口を聞きながら登下校する。何もしてないのに罵倒されたり叩かれることもあったが、私を必要としてくれるのが嬉しくて小中学校ずっと一緒にいた。

・学校などで、誰もやりたがらない役や係の仕事を率先してやった。
みんながやりたいことを譲ることで、みんなから感謝されるのが嬉しかった。元から自分の意見なんてないので、余りものを選ぶことが多かった。ほんとにやりたいことは自分でもよくわからなかった。

・みんなから嫌われていたり、ハブられている子と積極的に仲良くなろうとした。
私は別に好きでもなかったが、話を聞いてあげるとみんな喜んでくれた。私のことを信頼して好きって言ってくれた。それがとても嬉しかった。
その子たちを疎ましく思っている他のクラスメイトからも、感謝されるのが心地よかった。罪悪感は当時からあった気がする。

・親戚の集まりでよくわからない大人の話を聞きながら、わかってるふりをして相槌を打ったり愛想笑いをし続けた。その行動が親戚からキモがられていることを後々知った。

まとめると、周りの流れに任せて都合の良い奴として利用されて、自分からも率先して周りが嫌がるようなことをする。そんな存在として、コミュニティに身を置くほうが抵抗するよりずっと楽だった。



う、うう…
初めて言葉にした…キモ…いまもやってること変わってない…
これが私の歪みだ。気持ち悪い。偽善者め。みんな気づいてたよね。キモいよね。
こんなのさ、身売りと変わらないじゃん。セルフ売春行為じゃん。かわいそーじゃんか!あはは!

なんでこんなことができたのかって、本当の自分は別にあったから。
現実世界の誰にも見せない、神様ですら入れない私の頭の中が幸せなら、それでよかった。それを守る義務が表面上の私にはあった。だから、現実の私は好きも嫌いも押し並べて平等だった。




そして、話は現在に戻る。
職場での面談の際にこんな話があった。
私は人間関係の間を取り持つのが上手いから、今月人員が減ることで崩れてしまう人間関係のバランスを取っていってほしい。そんな役目を言い渡された。
びっくりした。要領を得なくてどんくさい仕事ができない自分が唯一得意だと思っていたことが、職場の人に認められたのだ。
とんでもなく嬉しかった。人の役に立ちたいという夢が一年越しに叶った瞬間でもあった。なのに、とても悲しくなった。
私はこの能力を、好き好んで身につけた訳ではない。あの環境で、己の身と魂を削って得たものなのだ。誉められて認められても、あのとき辛かった自分はまだ心の中でずっと泣いてる。どうしたらいいんだよ。



今の私は昔の癖が足枷になって、前に進めず苦しんでいる。
1人暮らしで家族と離れてひとりだから、もう誰も攻撃してこないのに。頭と身体が一緒になって自由になっていいはずなのに。どうしてもできない。
頑張ってきた私の防衛本能が「自分」を押し潰して無かったことにしてしまう。
偽物で満たされているときの気持ちよさは涙が出るほど本物だって知ってるから。誰かを演じるのは心の底から楽しいって思っちゃったから。やめたいのにやめられない。このへん具体的に書けなくて申し訳ない。

これはただの現実逃避ではなく、れっきとした自傷行為で、私はそれに依存している。
もう、自分は自分としての人生を歩んでいきたいのに、頑張りを認めてあげたいのに。どうしても自分を受け入れられない。

自分を押し殺して、同調して媚びへつらうことでしか人間関係を築き上げられないなんて嫌だ。偽善者としてではなく、意思を持った私として誰かと接したいし、話がしたい。
本音を言うことは自分も他人も傷つけるかもしれないが、嘘っぱちな絆よりもマシだ。
自分のことを好きな人に、心の底から私も好きって伝えられるようになりたい。

そして、今の私には何よりそれが必要だということ。こんなふうに人生に抵抗しても負けないくらい、生活がわりと安定していること。これを吐き出せる場所が今存在していること。

ああやっと反抗しても住む家が無くならない環境にやってこれたんだなあ。
ほんとにすごいよ。よく生き延びた。生きるためにはしょうがなかったんだ。

遠くの人の幸せを願えるように、自分自身の幸せも応援できるようになりたい。でもまずは、依存を少しずつでもやめていかないとなあ。


この曲を聴いて他人事とは思えなくなっちゃった。ほんとにハズビンホテルで更生させられそうになってるよ私やばいよなんでだよ。

他人に侵略されて、自分が身体から離れて消えていく。好きも嫌いも飲み込んでわけがわからなくなることは気持ちが良いよね。わかる。

(たまたま支配的な人と出会って付き合わなかっただけで、もしそうなっていたら確実に身を滅ぼしていただろうと考えるとこわい)
(エンジェル好きだ愛してる…というでかい感情のみが残る)

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