当事者性の有益さとフラッシュバック

当事者性の高い情報は大変有益だけれど
それでフラッシュバックしてしまったら結構まずくて
それでフラッシュバックしてしまって今、かなりまずい。

「なるほどこれが世に言うフラッシュバック〜!」とか思いつつも全くコントロール出来なくて生活が破綻してしまうし家族にしわ寄せがいくし自営業なので飢えて死ぬ。

私は本が好きでよく買うしよく読む。
文字、とくに書籍を介して世界と接しているので
何かっていったら本を読む
本は私を助けてくれるもので、助けられてきたのに、当事者性の高いものは解像度を上げて解放してくれることもある、けど、爆撃喰らったみたいにこうやって駄目になっちゃうのも本だからだ。入りすぎる。人間相手みたいに距離が取れない。

じゃあ読まなきゃいいのかっていうとそういうわけにもいかなくて、不器用すぎる。偏っている。

チキンレースみたいにどこまで有益か、どこから死ぬのか、賭けるように読んでいって結局引き返せたことがない。
知りたいって思うこと自体に蓋をするのは無理
フラッシュバックしないのも無理ならどうしたらいいんでしょうか。困る。困っている。

でも大丈夫。
どこにも繋がれなくてもなんとかしてきたのだから、なんとかなる。今まで生きてこられたのだからこれからも生きていける知らんけど。

なんっにも解決していなくて
コントロール出来なくて
家族にみはなされたら終わりやんけと思う
けど
生きてこられたし生きてる。
というようなことを書いて書いて書くことでどうにか、どうか。今日1日。今日1日だけをどうにか生きていかなければ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?