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近鉄生駒線擬人化歴史漫画『張子兄弟と絵図の虎』【6・終】+あとがき

信貴電と交野、会社が分かれたふたり。
以後会えぬまま戦時に突入、縁者でもありライバルでもあった信急が不要不急線として全線撤去供出となるが……

英雄譚でないローカル線話、最終回。
(あとがきに料金設定をつけておりますが、本編漫画は無料で最終ページまでお読みいただけます)

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本編

※大軌→関急→近鉄はこの頃「関急」ですが、京阪系になりこちらの動きに疎かったと解釈して、交野には「大軌」と呼ばせています

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<了>

解説

資材をすぐさま撤去供出した信貴山急行電鉄(信急)は、会社だけが残りました。
もちろん会社としては立ち行かなくなるため関急(現近鉄)との合併話が持ち上がるのですが、関急の社長・種田虎雄氏は一度合併を「拒絶」します
その真意として、『種田虎雄伝』に載っていた言葉が、「何事も歴史をかえりみよ、根本を忘れてはならない」。

その言葉の解釈について、信急の専務であった山口定亮氏(初期の展開より枚方線→交野のロールモデル)に曰く「信貴山電鉄免許当時の古い私の努力をかえりみ、部下を戒め合併拒絶」されたことを「さびしさに同情してくれた」ととらえ、「信貴山急行電鉄側から進んで合併を願った」。
擬人化漫画として厳密に描くならば合併の申し出は弟からになるところを、漫画として調整した結果兄からにしました。

そしてラストシーン。
都市部で強制的な合併が進む中、ゆるーく関急系だったローカル鉄道二社(信貴電と大和鉄道)は、ここから60年代までも引き続き独立を貫くこととなりました
(信急は落ち着いた頃に鋼索線のみ復活します。現 西信貴ケーブル。ここもいずれ描きたい……)

ここまでお読みいただき有難うございます💛

以下あとがきです。
晴れ舞台がほぼない田舎路線の話をまとめるためにどういう本を読んでどう取り入れたかという話が続きます。
創作されてる方へのおすすめ本紹介を含みます。投げ銭感覚でも。よろしければ😘

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