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自己流「かわいい」だけどまぁいいか

先日来Xのほうでもそもそ呟いているが、モノトーンと寒色系ばかりが最近気になる。昨年までの流れで暖色系も持っているから着るけれど、気持ちがそこにあらずな気がする。

上半身に黒は顔色にも年齢的にも重くなりすぎると思って、黒に代わり選ぶのはチャコール。

グレーの色彩心理的な意味を検索してみると、目立ちたくない気持ちが筆頭に出てくるが、気持ちの上では黒を着ている心理に近い気分で選んでいて、また、落ち着きとかシックなイメージを表現したいとも思う。

そこに合わせる有彩色も、主に手に取るのは寒色系。

最近まで、春となれば柄物や暖色系が気になって仕方がなかったのになぁというモヤモヤと、春だし明るい装いをすべきでは、と謎の義務感にこの所苛まれていているのだが、

つい最近、ブレザー着たいと思い立ち、ウエストシェイプでバルーンぽい袖の、買ってしまった。ほぼスミクロのチャコール。

別に嫌なことがあった訳ではなく、好きだと思ったし着たかったから、なんだけど。

その心は。と自問自答してみているけど、
あまりドス黒い感情は出てこない。
出てこないが、何かあるはずでは、と自分自身に若干不安を覚える。

・・・とここ暫く考えていたのだが、思い当たる節が少しずつ言語化できてきたように思う。

  • (これはXにもポストしたが)ジュエリーや小物で華やかさを表現したい、服はその引き立て役になるものを選びたい。ライフイベントにかかるお金を考えるとき、ファッションについては長く身に着けられるものに資金をシフトさせていきたい。

  • 親しみやすく無害に見られなければいけないという強迫観念が鎮火してきた。40代前半ぐらいまで、とにかく加害性のある人からは身を隠すように、年下の人からは怖がられてはいけない、という気持ちで生きてきた感が強くて、それを表現する手段として服の色に頼ってきたかもしれない。ある時点ではそれは効果を発揮したかもしれないが、そこに頼らなくても、という風に心境が変化してきたと思う。

  • 全身色を意識しなくてもメンタルが安定するようになった。以前は色を纏うことがセラピーの一つでもあったのかもしれないが、最近憑き物が落ちたように、綺麗な色は愛でたいが、必ずしも纏うものではなくてもいいか、と思うようになった。前項にも通じるけど、無彩色中心に着てきつい印象を与えることへの恐れが減った。外側を一所懸命明るくするより先に内面を元気にしたいと思うようになり、自分ではコントロールできるはずもない他人の気持ちまで考えあぐねても仕方ない、どう思おうとそれは相手の自由である、と構えられるようになったのかもしれない。

  • 装いに関してはシンプルに纏めたくなった。今後10-15年は仕事のリタイヤを視野に入れて次のステップを考え、子供を育て上げる期間。装いは制服化に寄せていき(とはいえ恐らく人より制服の数が多いと予想)、エネルギーをファッション以外のなりたい自分に向けても傾けたい。

  • 追記)加齢にともない、顔回り気になり始めた粗と、賑やかな服が喧嘩するのに無意識に違和感を感じ始めている。本格的に初老の年を迎えたらまた匙加減が変わってくるだろうけど、今は顔回りをすっきりさせておきたいと思う。

敢えて理由を探すなら、そんなところかな。
とはいっても最終的には、何故だか「好きになってしまったから」ここに尽きるんですけどねー。。なんなんですかね。

白黒グレーでカラスっぽくなっても、モード系で怖いと思う人がいたとしても、それが今の私にとっての「かわいい」なので仕方がない。また次に憑き物が落ちる瞬間が訪れるまで、楽しもうと思います。


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