Kalafina語り【第二弾】

※文章は2014年12月のものですが、ある程度加筆修正しています。

*前記事【第一弾】
https://note.mu/mille_lapis/n/n0afd7da58de0

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音楽 (1st album「Seventh Heaven」)
red moon (2nd album「red moon」)
destination unknown (3rd「After Eden」)
signal (4th album「Consolation」)
アレルヤ (「空の境界ー未来福音」主題歌)
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http://www.kalafina.jp/

【音楽】(1st album「Seventh Heaven」)
 
これももうマジ泣きする…(つд`)
歌詞がものすごく刺さる。
私は音楽を創ることはできないし、楽器もできないから演奏もできない。
時々、夢の中で曲が流れることはあるけど、それを書き留められる記譜能力もない。
楽譜だって簡単なものしか読めない。
それでも
歌うことしかできなくても(下手だけど)
私なりに音楽を愛している。
辿りつきたい場所がある。
目指すべき何かがある。
音楽ではなくて、音楽を含めた何か。
音楽を含めて、私が求めている何か。
音楽を愛しつづける先に見つけられるかもしれない何か。
それを、これでもかと思い知らされる。
まざまざと見せつけられる。

“僕に見えないものが 君には見えていたの” 

【red moon】(2nd album「red moon」)

もう言い飽きてるけど…泣きます。・゜・(ノД`)・゜・。
なんなんだろう、この、「どうぞ泣いてください、自分のために」という感覚は。
6分40秒の、わりと長めの曲。
でも、正直全然長く感じない。
もっともっと聴いていたい。
もっともっと歌いたい。
もっともっと、浸っていたい。
曲が終わってしまうのがせつない。
なんと言えばいいのか…レクイエム(鎮魂歌)のようであり、歌詞のなかに「アレルヤ」があるから、賛美歌のようでもあり…。
でも、けっこう人間くさいと思う。私としては。アダムとイヴのような世界観。
 
人間として生きる痛み、せつなさ。
その刹那(せつな)と玉響(たまゆら)。
 
宇宙・天文関係が好きだから、そういう情報を眺めていると、人間の一生なんて、本当にほんの一瞬の出来事なのだとつくづく思う。
だからといって、——確かに私の存在なんて、ちっぽけなものなんだけど、だけどそれでも——私にとっては“私”の存在がすべてでもある。
 
「私」という意識がなければ、私はこの世界を認識できない。
そして、「他者」がいなければ、自分という存在も危うい。
「私」という身体(器)がなければ、私はこの世界で認識されない。
(この辺の感覚は、「空の境界」からの影響もあるだろうけど、もともと昔から漠然と思っていたことでもある)
 
一人でいる時間が長いと、自分と自分以外の世界との境界が曖昧になってしまうこともあるかもしれない。
だけど、「“他者”に見られている“自分”」という認識をするのも自分だったりする。
 
「“自分”が思う“私”」と「“他者”が思う“私”」には隔たりがある。
「自分」は「自分」というフィルターを、「他者」は「他者本人」のフィルターをかけて、認識する。
何らかのラベルを貼らないと「他者」を認識できない人もいる。
認識というか「理解したつもりになる」というか、それができないと気持ち悪いと思う人もいる。
(別に無理に理解する必要はないと、私個人は思うけど。無視してほしいとかじゃなくて、とりあえず存在していることだけわかっていれば、それほど問題にはならないんじゃないかな。背景ばかり気にしてると、目の前のものが見えなくなるし、その逆もまた然り)

人は、そういったことに迷い、傷つき、虚勢を張り、励まされ、自分を奮い立たせ、目指す場所へ向かう。
各々が目指す場所へ向かうために。
自分がこうありたいと願う(思う)自分になるために。
 
あ、これは【progressive】【音楽】にも感じていることだなあ…。
→「Kalafina語り【第一弾】

なんか止まらなくなりそうなので、「red moon」はここで強制終了しよう。

“痛みを知り 人は人になれるのだろう”
“恋も夢もいつか消えて それでもまだ届かぬ声” 

【destination unknown】(3rd「After Eden」)

“夢を語りすぎて 命が軽くなりそうで”
“秘密抱えたなら 少しは重くなれそうで”
“探してるものは いつも届かない場所にあるのでしょう”
“自分の傷ならば 自分で嘗めて治せそうで
それでも傷跡を 見せびらかしたくなりそうで”

「red moon」よりかなり人間くさい。
歌詞のとらえ方によっては、エロいかもしれない(^_^;)
だからちょっと言及しにくいんだけど…うまく言えないんだけど…前回の「満天」でも書いたけど、「穢れないもの」って、愛とか憎しみとか、人間の感情とは無縁なところにあると思う。
 
「清浄・浄化」の象徴として、私は「巫女」とか「水晶」が思い浮かぶんだけど、それらは私のイメージでは、人間としての個人的感情は一切入り込む余地がない。
ただ、普遍的な一定の愛情というか、生きとし生けるものすべてのものに対する正当な生きる権利というか…そういうものはあるような気がしている。
「然」=“それ”が、あるべき姿で、あるべき場所にあること。
(これは新井素子さんの「緑幻想ーグリーン・レクイエムⅡー」のイメージが近いかも)
 
そして、すべては母なる海、水から育まれる。
歌詞には何度も「水」が出てくる。
愛も憎しみも含まない「水」が、いつのまにか「ヒト」になっていく。
「穢れ」を含み、纏わせていく。

“ヒトになるまで まだまだ遠い道かしら
心は何時からここにいたの”

「穢れ」の概念については次の記事で。↓
https://note.mu/mille_lapis/n/nd5700359cd3f

【signal】(4th album「Consolation」)
 
この曲は、歌詞に、私がいつも根底で感じていることのすべてが詰まっている。

“許さなくていい 自分のこと”
“私の事 私は許さないわ”

この曲は、歌詞の全部が突き刺さるんだけど、特に私の心を捉えて離さなかったのは、この部分。
 
私はこの言葉で、救われた。
「自分を許さなくていい」ということが、こんなにも私を癒やすとは思わなかった。
私はこの曲に出逢いたくて、生まれてきたのかもしれない、と思い上がってしまうほどに。
この曲を聴いて初めて、私は「私」を許したくなかったんだ、と気づいた。
「私は“私”を許さない」という「赦し」が存在することを教えてくれた、私を救ってくれた大事な曲。

ていうか、これ賛否両論あったの知らなかった…。
(↓まとめ内「7.signal」)

cf : 「Consolation」 収録曲毎の梶浦さんのツイートまとめ - Togetterまとめ
https://togetter.com/li/480053

Kalafinaは、曲以外の情報はあまりマメに追ってなかったからなあ。。。

「自分を許せない」ということは、コンプレックスを抱えていることでもあるんだけど、どこかで自分に対する期待が強いのだとも思う。
「今の自分に満足していない」ということは、「満足できる水準の何か」を欲している、期待している。
それが何なのか、はっきりとはわからなくても、おそらく「理想」と呼ばれる何か。
たぶんそういうものを求めているのだと思う。
この辺は「progressive」にも通じているかな。
→Kalafina語り【第一弾】
そんなようなことをつらつら考えて(当時はそこまではっきりと言葉にできるような感覚ではなかったけど)、「自分まだまだ青いな」と苦笑したくなる気持ちになったことを覚えている。
ちなみに私は今でも「自分」が嫌いだし、許してもいません。
たぶん一生許すことはないのだろうし、そもそも許す気がなくなってしまった、というのが一番近いかもしれません。


【アレルヤ】(「空の境界ー未来福音」主題歌)
 
最初は、それほど気にならなかったんだけど、聴いていくうちに、好きになった。

“幸福(しあわせ)の記憶だけ
残したいと願いながら
優しく無意味に 消える日まで”

これは「空の境界 — 未来福音」の「両儀 “織”」のための曲だろうと思う。
根底ではずっと近いことを思っていたので、どんどん突き刺さっていった。
 
織と自分の姿を重ねているわけではないけど、それでも、
いつかは消えゆく自分、
自分が大事に思う誰か、
その誰かが大事に思っている誰か、
そしてもしかしたら私を大事に思ってくれているかもしれない誰か、
それを思って、ものすごく複雑な感情に溺れそうになって、いつも泣きそうになる。

Kalafina語りはここでとりあえず終了です。

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