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銀座 ベージュTOKYO アランデュカス

 お客様のご好意で、憧れのシェフ『小島 景』率いるベージュに行って来ました。
 料理は大大満足。ソース、火入れ、付け合わせどれをとっても完成度が高く、又必ず行きます!僕が解説するより是非足を運んで貰いたいお店です。(ワインを飲まれる方はご注意下さい。ちゃんとグランメゾン価格です。僕は次回行く時は絶対ボトルにします)

 2003年の夏 僕はニースにいました。パリからなんとかニース駅に着いて、直ぐに迷いました。笑 
 『どーしよこんなでっかいバリーズ持ってウロウロすんのやだなぁ。なんとか早くホームステイ先に着かなきゃ。』
 全然分かりません。駅を挟んで海側だと言うことは分かっているけど、初めての海外ですしドキドキのビクビクです。1時間位うろついて『恥ずかしいけど誰かに聞こう!』と相成りまして年上の女性なら怖く無いし大丈夫だろう。
 一人目、言葉が全く通じず言われた事も分からない。ムムム!地図のコピーを見せても英語で『あいどんのー』ありがとうとだけ言えてので、むにゃむにゃ言って別れました。
 二人目、同じく伝わらず、分からず。
 おいおいこれじゃ恥ずかし過ぎるじゃあないか。とは言え情け無かろうとなんだろうと寝床に着かなきゃ料理やる土俵にも立てない。諦めるとかじゃなくて、いいからやる!みたいな。
 三人目、よく考えてたら僕はアホなのか?日本人に聞けば良いじゃん!という事で日本人らしき人をわざとらしく待っているかのようにキョロキョロ。
 いたー!手荷物も少ないし、犬の散歩してるし現地の人に違い無い!
 『すいません!ここに行きたいんですけどもし、ご存じなら教えて頂けませんか、怪しいものではありませ!』めちゃくちゃ怪しい声がけ…今思えば絶対普通の人は無視するだろう。よっぽど心が広く得ない限り田舎者のナンパと勘違いされてもしょうがない。なのに
 『あーここでしたらこの横の大通りをジャンメディサンって言うのですが、そこの2本目に入ってそーそー角にサンドイッチ屋さんあるので、そこ曲がって最初の角の建物ですよ』
 『あ ありがとうございます!助かりました。』
 『それではごきげんよう』
 『ありがとうございました!』
 うおー助かった!明日があるぞー! 
 って事でやっとつけた。一人でできたわけじゃ無いけど、よっしゃー!あれ?よく考えたらこの建物にどうやって入るの?入り口にナンバー付いてるけどコレってオートロックだよね?あーでも部屋番号押したらつながるよね。
 506
 えっ?誰も出ない。間違ってるのかな?
 506
 やっぱり誰も出ない。
 えー!!!
 間違ってるー?!
 どうしよう。てかどうしようもない。せっかく助けてもらってここまで来れたのに…
 ずっと建物の前にいるのも変だよな。でもいないと。いやホストの人が女性か男性もわかんないし。情けない。
 バリーズに座ってうつむきながらオレンジーナ見つめて
 『なにやってんだろ?料理やりに来てコレかよ。情けないな。一人じゃなんもできんのか?できていない自分認めよう。カッコ悪いとこから始めたじゃないか。そもそもかっこいい時はあったのか?まあ良いそれは。足掻く。自分に負けない。コレしか自分には無いだろ?ヒロトだって、ベンジーだって、カゲロウだってこんな時はあっただろう』
 よっしゃ角のサンドイッチ屋さんでサンドイッチでも買って開き直ろう。てくてく向かって始めて本場のパニーニ食べてオレンジーナ飲んで、お金ないフランス滞在者代表スタイル。悪くないね。(ひよってビールやワイン飲めないのも僕らしい)
 トコトコ
 ん?さっき見たワンちゃん?
 あれ?
 『つけました?』
 あー!さっき助けてくれた人ー!
 『イヤ、つけたんですけど誰も出てくれなくて。』
 『ホームステイか何かですか?』
 『えと実は料理をやっていてニースで働きたくて取りあえずホームステイひと月しながら、職探しをしようと思っています』
 『えっ紹介とかないの?知り合いとか』
 『誰もいません、勢いで来ました』
 『ホームステイ先のデータありますか?』
 『データ?プリントアウトした紙でしたら。』
 手に持ってるクシャクシャの紙を見せると
 『そりゃそうですよ。15時に来てくださいってなってるんですから。まだ13時ですし。』
 恥ずかしい。日本でいくらでも調べる事もできたし、翻訳しとけば良いだけなのに。いけるっしょ みたいな頭の悪いテンションでここにいる。穴があったら入りたい。
『すいません何度も。藤井と言います。出来ればニースで仕事できればと思っています。』
 『そうですか。小島です。頑張って下さい。狭い町ですし困った事があれば聞いて下さいね』
 顔から火が出そう恥ずかしい。両親の昭和教育のおかげで女性は助けるのが普通で助けてもらうなんて恥ずかしい過ぎる。しかも二度も。

 その日から僕のプライドは無くなり迷惑だったと思いますが、何度か相談に乗ってもらいながら。何とかパリの佐々木さん(元代官山のレクテのシェフです)を語学学校の知人から紹介してもらい、シャンパーニュでの仕事を得る事が出来ました。
 言葉が分からなくて一人で何度もニースの海岸でビールを飲みながら泣いて。それでも何とかやれたのは恩をくれた方に最初に
 『頑張って』
 と言われたからだと思います。他人なのに中々言えないと思うのです。異国であるから、日本人同士助ける合おうという気持ちは本当にありがたかった。
 その頃勉強不足で僕はルイキャーンズもジャンフランソワピエージュもアランデュカスも知りませんでした。知っているのはポールボキューズとアラン・シャペルだけ。旦那さんがルイキャーンズで仕事していると言われても
 『ふーん。三つ星で仕事してるすごい人が旦那さんなんだー』
 ぐらいだし、それよりも地方料理に興味があったのでギンガムチェックのナイロンのクロスがかかったビストロがサイコー!パテやって、ニソワーズサラダの美味しさを考え、焼いた肉料理より煮込みのベストとは?って考えたましたから 笑

 そんなこんなでやっとお客様に教えてもらった船橋屋の葛餅を手土産に20年越しでありがとうございましたを言えました。病気をして『ごめんなさい』や『ありがとうございました』を伝えずに死にたくはないと思っていた所にこういった機会を与えて頂き
感謝しております。小沢さん本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

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