見出し画像

憎しみの感情に動機づけられた行動をするな!

憎しみにとらわれた行動をしてはならない。

私たちは憎しみの感情を否定することはできないし、否定してはならない。
私達が禁止すべきことは、その憎しみの感情に動機付けられた行動をすることである。

憎しみの感情を持つまいとすると、それは抑圧される。人間は他人から悪口を言われたり、侮辱された時、くやしいと思う感情を否定する必要はない。

必死になり、感情を操作して、不快だったことを忘れようとしても無理である。 忘れようとすればする程、余計悔しくなってきて、感情をコントロールして相手を許してやろうとしても無理である。

人間は意志の力で物事を忘れることはできないのだから。

実際は恨んでいるのに、恨んでいないふりをしていると、益々恨みがましくなる。 つまり、恨んでいるという自分の感情から逃げているからである。
黙って笑って恨みそのものを取り去ろう!

恨みは恨みとして恨んでいればいい。
自分のせいにして、自分を責めることは止める。
これとは関係のないこと、他の領域の毎日のスケジュールを辛くてもこなす、克服するということ。

この関係のないことをするということが大切なのである。 それもこれも、どこにでもある苦しみを乗り越えれば、一つの克服心ができ、満足感に満たされる。

黙って笑って恨みそのものを取り去ろう!

人間は事実をどう解釈するかによって、幸せになったり、不幸になったりする。 その解釈は己がするもので、自分の力によってしか解決できない。
その当人が、己についての事実の解釈を変えない限り幸せにはなれない。
何故ならば、事実がストレートに人間に影響を与えるわけではないのである。


線路も複線が必要だし、切り替え路線もスイッチで設定できるものなのね。 そうか! 幸せのベクトルは向上心にしか生まれないのね。(笑)

時が解決できなくても、時の流れと共に、その記憶は遠のいて行くことは確かね。 それで克服だっていいじゃん?

そして自分の快楽をほんの少しでも見つけることができる者が、恨みとは関係のない者になることができる。

自然の風を受け止め、自然の光を浴びて、自然と幸せになっている自分がそこにいる。

後ろを振り返っても、後ろから押される風の方が強いのだ。       風に吹かれて、足がどんどんと勝手に前へ前へと歩いて行ってしまう。  私も視力は随分と衰えたが、まだまだ前に足がどんどんと歩いて行ってしまう。

人間は意志の力で物事を忘れることができないのか?
私の一歩は、いまだ意志の力で勇気づけられているのね。


加藤 諦三氏の「行動できない人」の心理学から言葉の応用をしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?