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ここではきものをぬいでください

 小さい頃、私は本を読むのが好きだった。3歳でひらがなカタカナの読み書きができていたこともあり、幼児期は本ばかり読んでいたようだ。小学生になってからは父の書斎の雑学辞典が大好きで(この辺りからのちのWikipedia好きが伺える)、飛行機に数えるほどしか乗ったことがないくせに飛行機の発着時間はどのタイミングをさしているのか、パンダのしっぽは何色か、というような雑学を蓄えていった。

 しかし、私には悪癖もあった。読み方のわからない熟語・単語に関しては比較的飛ばしてしまう傾向があったのだ。今回は高校生まで勘違いをしていた単語を二つ紹介する。
 
 まずひとつめが、「未明」。私の小学校時代は湾岸戦争と重なっている。クラスメイトにイラン国籍の子がいたこともあって、このニュースに高い関心を持っていたのだ。
 「今日未明、空爆が起きた」というのが初めて意識した「未明」という言葉だ。そしてわずかな陽の光と爆発の閃光の映像、異国の地であることから私が考えたこの言葉の意味は「未だ明らかでない」だった。混乱の情勢から正確な時間がわからない、という解釈をしたのだ。
 その後、天気予報や火災のニュースで「今日未明」という言葉を聞くこともあったが、「誰も起きていなかったので正確な時間は不明」の意味でなんとなく通じてしまっており、その誤解を解くのに10年ほどかかってしまった。
 
 そしてふたつめが、「脱サラ」。初めてこの単語を聞いたのはドラマ「渡る世間は鬼ばかり」だったと思う。21時になるとリビングにいることが許されず、寝室に入った私は、ふすま越しにテレビの音を聞いていた。その時に聞こえてきた単語である。
 脱サラをして店を持つ、という意味から、なんとなく言葉を類推し、至った答えは「脱・サラ金」であった。今より消費者金融のCMが多かった時代、脱サラを知る以前にサラ金という言葉を耳にしたことがあったのだろう。借金を返済し終わり、自分の店を持つようになった、と文脈上違和感がなかったので、拓銀が破綻して地元経済に関心を持たざるを得なくなるまでずっと誤解をしていた。
 
 この話の怖いところは、文脈から自分の認識の誤りに気が付くことができなかったことだ。そういえば、小さい頃、弟とその友人が「ビルって高いよね」「そうだね」「30階くらいあるよ」「もっとするよ100万円くらいするよ」という会話をしていたのを思い出す。彼らは話の齟齬に気が付いていなかった。弟の例はほほえましい笑い話だが、お互い意思疎通ができていると思っていたのに、実は誤認だった、同じ日本語を話していたのに伝わっていなかったということが大なり小なり頻繁に起きているのだろう。そう考えると、それを起因とする損害やらどうこうより、もっと言語コミュニケーションをとる生き物としての原始的な恐怖を感じるのだった。

 noteに今までぼんやりと考えてきたことを書き起こしてみて、読み手に何が伝わっているのかと不安に思う。おそらく、言いたいことの半分も伝えられていない気がするのだ。いつになったら伝わるのだろう。そもそも伝えられないから書くのだろうか、なんていたちごっこを脳内で繰り返すばかりであった。

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