いのちのこと

訃報がある度、悲しくてやりきれない
気持ちになり、ノートに気持ちを吐き出す
そんなことを繰り返した来た。
苦しくて悲しい、他人事とは思えないほど
辛くて……それは、私も1才8カ月という
速い段階で、命の危機に陥ったからだ。

私は高熱をだし、泣き叫んでいたという。
そして、一度は風邪だろうという
診断を受けたが、泣き方が異常だったのか
祖母が大きな病院に連絡をしてくれて
生を繋いだ、という経験がある。

だからこそなのかもしれない。
訃報を目にしたとき、心が気持ちが
他人のことと思えないほど揺らぐのは。

正直に生きてみろよ

これはドラマ、片岡悠介の言葉。
嘘をついて生きてきてしまったり
やりたいことをやらずに妥協して
生きてきたしまったり、人の顔色を
伺ってばかりの生き方だったり……
私も、どこかで諦めたり、妥協した方が
楽だな、と思ったことは何度もある。

諦めたら簡単だもん。
傷つかなくてすむから……。だけど
そんな生き方を選んで、人を
羨ましく思ったり、卑下をしたりする
そんな人生や暮らしで良いの?
そんなときに出会った言葉がこれ。

これからは正直に生きてみろよ!

生きて見せろよ。そういわれた気がして。
生きていくのは簡単なことじゃないし
悲しくて辛いこともある。
だけど、その度に挫けてだけ居ても
始まらない。私達が生きているのは
今だから。今なんだよ!

1歩からすくんでいたら始まらない。
愚痴を言うだけじゃ変わらない。
文句を言うだけじゃ変わらない。
何かのせいにだけしてちゃ変わらない。
他人を責めてみたって変わらない。

変えられるのは、私だけ

それは暮らしを繋いでいくことでなのか
行動を取り続けることなのか
自分の意見を発信する事なのか
人それぞれによって違うと思う。
自分のやり方で伝えられるものがあるなら
私、生きていたいと思う。

悔い残したくない。
達成したい事がまだある。
挑戦したいことがまだあるから!
 

生きていきたいし生きたいと思う。

ルフィもロビンに言ったよね。
『生きたいと言え!!!!』
あれは本気の言葉だと、私は感じた。
生きたいなら、口に出せ!と。

形なくなるそのときまで、私は
人間の姿のままで居るよ。
感情があるから心があるから
感じることが出来る。
それが分かったから。

生きる事で見えてくる事がある。
だから頑張れ、とは言わない。
だから、隣で生きてね。
一緒に居ようね、と良い続けていたいと
思ってる。綺麗事でも構わない。

命を持って生きているのだから
その命を、私が守らなくて誰が守るの?

だからまだ。私は生きるからね

そんな宣言をしたくなる。