集中するのはいつでも自分

他の誰かが気になって
隣の誰かが気になって、自分への
自信が無くなりかけて、また焦って。
そんな繰り返しをしていた頃は
全くといっていいほど『集中』なんて
できてなかったと思う。

比べて比べて、焦ったり
何をするにしても、どこかで
他人の基準に、自分を当てはめていたり
ごまかして、宥めすかしてばかりいて。
そんな自分が情けなく見えて
益々誰かと比べる結果になり……の
ループにはまっていた時があるけど

ものすごくしんどかった

今にして思えばそう感じてしまう。
常に誰かの視線や評価を気にしているから
自分の色や感覚を出せないし
言葉だって、『良い子のような』
誰にでも当てはまる言葉を使ったり
だから、自分に集中していない言葉は
決まって『こんなもんで良いでしょ』
妥協したようなニュアンスで取られて
そして、自分の感覚を見失う。
の、繰り返しになる。

集中する=熱中する、と同じ。
自分に対して、思いきり熱中して
楽しんでみると、周りが見えなくなって
自分の世界観を作り上げられる。

周りなんて気にせず

動いていけば良いんだ!と
自信だってつく。気にしていて
ビクビクしながら、顔色を伺いながら
挑戦していても、楽しくないし
身も入らない。
だからこそ、自分へ思いきり集中して
自分の世界に熱中することが大切。

大切なのは自分の目。
他の誰かの目じゃなくて、自分の感じる
感覚だったり、感情であったりの方が
大切なもの、ならば!
気にせず発信すれば良いし
発言だってすれば良い!

自分の表現を熱をもって
伝えられるのは強い!それも
楽しんでしているのなら尚更。

義務だからやる
やれと言われたから、という受け身でなく

自分がやりたいから
伝えたいから

熱を伴うとさらにパワーアップする。
他人の目を気にしていては
何もできなくなるし、なんだか疲れるし。
それなら、自分の主張や、言葉を
言葉に出す練習だ、と思って
『自分にだけ』集中すれば
自分だけのオリジナルの世界が出来上がる。

          ※※※

自分を出すことを躊躇うのは
どう思われるか、が気になるからだと思う。
こんなことを書いて良いのか
笑われたりしないか
批判されたらどうしよう
おかしいと思われたら……


これらは、不安が見せている幻想なんだ、と
ようやく気づいた、発信するのが怖いと感じる
それだって、自分が、批判されたくない
という思いがあるから、何とか
意見をする、発言をするのをやめさせようと
しているだけにすぎない。と知ること。
エゴはいつでも、不安を見せたりするからね。

集中が切れるのは大抵、不安がよぎったとき。
どうしよう、と思えば思うほど
動きが止まる、不安に飲まれて
自分の意見を押し込めて、それで良い?
と問いかけることから始めていこう♪

            

              ※※※

自分の気持ちに正直に。
素直になり、思いきり楽しみながら
自分の世界に浸ることは、大切なこと。

自分を知るきっかけになる。

人を気にして自分を出せないでいるなんて
もったいない、自分の声や言葉を
伝えて、共有していくことが
『自分の表現を磨き、世界を作る』
自分への集中力を高めることに繋がる。
 

            ※※※

私は自分の世界を作ることが苦手なタイプ。
考えすぎてしまい、作ることが出来ないんだ…… そんな風に思っていました。

どんな世界観であればいいのか……と。
そして、noteに戻って気づきました。

他人の目を気にしていた

だから、世界観が作れるはずもない。
自分が作る世界に自信が持てなかったから
いつも、心のどこかで
自信がない、不安がある、どうしよう……
こんな世界を誰が見たいのだろう?

私はそう考えが浮かんだときから
私が好きな世界を作ろうと決めた。

私はエッセイが好き。ならば
エッセイを主体にしよう、と。
裏の設定は

エッセイのような毎日を

自分の気持ちや心の動きを
手記のように、エッセイを書くように
伝えていこう、と。
これなら、続けられる。

だからこそ、私は今。
この世界観を作り上げている最中です。

自分が好きなら、その世界が居場所になる。
私が作る居場所を、共有できるなら
こんなに幸せで嬉しいことはないな、と。

好きなことを形にすれば
自ずと自分に集中できるんだな、と
感じてしまう。嬉しくなり、続けていこうと
思えるのです。