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落ちてる

「終了」が2つ、同時に続いた。
見方によれば好転の終了なのに、過去に邪魔をされる。

一つは一昨日、トップに今年度で終了を伝えた。残り1ヶ月の報復を恐れ、終了理由はあくまでも自分の問題として伝えた。うまく伝えられた事にホッとした。

その後対応した仕事の報告を直属にした時に、すごい言われ方をされた。まるで私がやるべき対応をしないと決めつけているような言い方をされた。ふとサブ担当に出し抜かれたかもしれないとい疑念が過った。

その日の夜、夢を見た。今まで理不尽なことや怒鳴られたりしてきたことを我慢してきたけど、辞めることがわかって、夢の中で思い切り言い返していた。言い返しながら殴りかかられそうな気がして防御態勢に身を固めていた。

ふと、私は何をやってきたんだろうなと思った。こんな危機感を感じていたのに、なぜ耐えたんだろう。

それは経験で危機感が麻痺してしまっていたことと、自分の区切りまで仕事を覚えたかったのだと思った。
こんな環境下だからこそ、この経験が今後の不利にならず、少しでも得るものを掴んで終わらせたかったのだと思う。
確かに得るものはあったけど、負の経験は積み重ねただけだった。

もう一つは山岳会にご縁がなかった。最初から後出しがあり、あまり気分のいいものではなかったけど、体験で参加したら楽しかったから入会を決めた。そしたら今度はお金のことで二転三転。微々たる金額なので、受け入れれば良かったのかもしれないと揺れたが、妥協してもいいと思える対応は得らず、お金のことなのに誠意が伝わってこなかった。私なりに折り合えるようにやり取りし進めたけど、諦めてしまった。最初からスムーズにいかない状況が繰り返されているわけだから、そっちへ行くなと言う暗示なのかもしれないと思った。

これで山仲間ができると嬉しかったから残念だけど仕方ない。
仕方ないと納得できているのに、どうしてだか私の人生は人を寄せ付けない運命なんだろう…とまた負の経験が蘇り人生を悲観し出した。

終わりを告げるのと、告げられるのはどっちが優位でどっちのダメージが大きいのだろう。私は傷付きたくなくて自分から告げてしまうけど、もしかしたら、告げる方がダメージが大きいのかも知れない…と思った。