見出し画像

30代になる前note

来週、私は30歳になる。信じられない。
めちゃくちゃ実感がない。もうそんなに生きたのか… という気持ち。
だいぶ歳を取るような、過ぎた時間に寂しいと思うような気持ちで、30歳になるまえに、20代最後としてのnoteを書こうと思う。

最近、というか毎日、自分の生き方について考えているが、今、自分の人生について振り返っていこうと思う。

30代になるなんて信じられないし、この先どれくらい生きるのか分からないけれど、今まで生きてきた時間は、たしかにある。だから、残しておく。


もうすぐ生きて30年・・・ずっと私は思っていた。「小さい頃が一番楽しかった。」と。私は両親の優しさにすごく恵まれ、家庭の中で過ごしている時が一番幸せであった。家の中と、外(幼稚園や学校)の世界とは、全く別の世界に感じていた。家の中では安心できてありのままの自分で話したりできるけど、学校などの組織に行くと、私は喋れなくなり、「おとなしい子」だとどこに行っても言われた。
自分の「話すことが極端に苦手」だという性質に気付いたのは3才の幼稚園生の時で、その時に担任の先生からしゃべらないことを怒られた記憶は今でも残っているし、一番最初に焼き付けられた怖い記憶だった。
自分は、家の中や家族といる時、あと限られた友達と居る時はしゃべれるけどそれ以外の場所では話せなくなる・極度に緊張しやすいという性質について、慣れて「普通」だと思っていた。だが、歳を取るにつれ、どんどんと生き辛さが増していった。
小さい頃は、家族で過ごす時間がとても多く、近所の友達(普通に話せる)と遊んでいる時間はとても楽しく、その時間だけで充分だった。

小学校の高学年になり、「話せないことの辛さ」が身に染みてくるようになったり、無邪気で楽しかった時代から離れていくように感じてきたあたりから、「あぁ、私の本当の人生はもう終わってしまったのかもしれないな」という風に思っていた。だってこの先どんなに沢山ひとに出会えたとしても、私は喋れない確率のほうが高いし、嫌な思いをすることの方が多そうな気がしたから。
明らかに、小学校低学年の頃と、高学年になってからでは自分の世界が変わっていた。無邪気で楽しかった頃と、「現実」を感じることが多くなっていった時間。私はずっと、「この時間が人生で一番幸せな時なんだろうな。」と小さい頃に思っていた。それぐらい、学校や外の世界と、家族や安心できる人と一緒に過ごす時間との「時間の質」=「世界」があまりにも違った。

他の人はこんなこと無いのか、あるいは同じような気持ちがあるのかは分からないが、私が人より「話すことが苦手」なのには理由があることを知った。大学生の頃、ふとテレビを観ていた時に「場面緘黙症〜話したくても話せない少女〜」というようなテーマの番組を目にしたから。それは「自分のことだ」とギクッとなると同時に、「あぁ、そうだったんだなぁ」と分かったが、理由が分かっても別に楽にはならない。けれど名前のある症状だったのだと知れて良かった。これまでの経験がすべて腑に落ちると共に、「あぁ、やっぱり生き辛い人生なのだなぁ」と思った。

この⬆️テーマで書こうと思っていたわけではないけれど、書こうとしたらこのことが自分の人生で多くの割合を占めているため、避けられなかった。

私は生まれつき目が悪く、遠視でずっとアイパッチを付けたりメガネを掛けたりしていた。そして肌もアトピー性皮膚炎で痒みがひどく非常にストレスな子ども時代を過ごした。物心ついた時から人と話すことが極度に苦手で怖く、家族とだけ一緒にいたいと思っていた。身体にも精神的にもけっこう大変なものを背負って小さい頃から生きてきたのだなぁ。と思うと、すごく頑張ってきたなと思うし、何か意味があるんじゃないかなという気がした。

「外の世界(不安)と内の世界(安心)」という感覚があるのは今でもそうで、ずっと変わらないかもしれない。私は人生で一番大切なものは、一番最初(または最初のほう)に得られているんじゃないかな(私の人生の場合)と思っている。
そうだと思っているけれど、小学校高学年(自分が自分でなくなったかのような感覚になった頃)から29歳まで生きてきて、良かったと思うこともある。

ここからはそれを振り返っていこうと思う。

この先は、自分の宝物や、人には言わないような自分の内に秘めておこうと思うことをしまっておきます。
(インコ(ペット)の写真があります🫢🌼)

ここから先は

2,785字 / 13画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?