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人に「好き」と言えないのは、「同じくらい好き」じゃないのを確かめるのが怖いから

人の「好き」ほど不確かなものはないと思っている。

本来なら笑って「ありがとう」で済ませれば良いのに。

かつて、好きだった人がわたしを好きじゃなくなったことがある。さすがに月日が経てばそうなるのもまぁ仕方がないとは思うけど、そのときのわたしは頭がガツンと殴られたようだった。

ああ、永遠の「好き」なんてないんだ、と。

同じように、友だちも環境によって移り変わるから、あんなに好きだと言ってくれていた友だちも今や疎遠になっていたりするし、久々に会ったとしても「好き」なんて言葉はもう彼女の口から二度と飛び出すことはないだろう。

そして、わたしもきっと言わない。

それは、同じ程度の「好き」がこの世には存在しないということを知ってしまったからだ。

わたしの「好き」には、めっちゃ好き、命に代えても好き、という意味が込められているかもしれないが、相手の「好き」は、パンと同じくらい好き、くらいのレベルかもしれない。

それが、なんか嫌なのだ。

どうせ好きなら、同じくらい好きでいたい。

でも、好きのレベルなんて数値化できるものじゃない。

だから、わたしは人に好きと言えない。

その人の生み出したものや性格は好きだと言っても、その人を指して「好き」だなんて言えない。

例え相手が喜んでくれたとしても、その言葉の返事としての「わたしも好きだよ」に、「本当に…?」と疑問を抱いてしまうから。

それは、恋人とか関係なく。

「好き」の曖昧さが、嫌いなのだ。

わかるかなぁこれ。

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