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なんでもポジティブ転換せんでよろしい

たまたま仕事で福岡にいたところ、たまたまポンコツ本の読者さんからご連絡をいただき、たまたま予約していたサウナまで時間があったのでお会いすることになった。

せっかく福岡に来たのだから、と水炊きのお店に連れていってくれて、博多通りもん…ではなくぜんざいをお土産にくださった。至れり尽くせりである。

水炊きをいただきながら、どうして本を手に取ってくださったのかを聞いてみると、彼女は定期的に本屋さんに通っていて新刊を把握しているのだそうで。

「書く習慣」は「ライターじゃないしなぁ」とスルーしたそうなのだが、ポンコツ本は「すげぇタイトルだなぁ」と著者プロフィールを見たら、「書く習慣」と同じだった、ということに謎の運命を感じて買ってくれたのだそう。

変なタイトルにしてよかった。

ところで、話を聞いていると、彼女はわたしとはちょっと違うタイプのADHDらしかった。

親に怒られまくっているのはわたしと同じなのだが、努力をすれば、苦手なりにできてしまうタイプ。つまり、ADHDと気付かれにくいADHDで、それもまた辛いこともあっただろうなと思いを馳せた。

「仕事の話」、「強みの話」、「ポンコツの話」、「好きな本の話」。

いろんな話のなかで印象的だったのが、「ポンコツ本は、ポンコツなことを無理矢理ポジティブ転換していないからよかった」ということだ。

つくづく自分でも「捻くれてるなぁ」と思うのだけど、わたしは無駄にポジティブなのが苦手である。

世の中にはポジティブ正義論が蔓延している気がする。

いつも笑顔で!ハッピー!みたいな。ただ、わたしは隠キャなので、「いつも笑顔とか無理やが???」とか思ってしまう。

ADHDに関する取材の質問項目のなかで、「いしかわさんは、どうやってADHDをポジティブに受け入れていったのですか?」と聞かれたことがある。

それでいくと、わたしは別にポジティブに受け入れたわけではない。受け入れないと生きていけないから受け入れているのだ。

そもそも、ADHDってどう考えてもポジティブなものではない。

きちんと前頭葉に血がドバドバ流れていて、然るべき物質がドバドバ出て、ケアレスミスなく、多動で疲れることなく、普通の人並みに生きられたほうがよいに決まっている。

「あー!ADHDでよかったー!」と思ったことなんてない。そんなん当たり前である。残念ながらわたしは必然的ポンコツであって、選択的ポンコツではない。

ただ、わたしは「できない」「あれが苦手」「生きづらい」ことばかりに目を向けて悲観的になるよりは、とりあえずまるっと受け入れて、せめて自己肯定感を下げずにいたいのだ。

「これがわたしなんだからしゃーない」「苦手は誰かに任せて、自分は得意を伸ばそう」と気楽に生きていきたいのだ。

ポジティブは悪いことなのか、と言われれば、悪いことではないと思う。でも、無理矢理自分を騙して、「ポジティブポジティブ!」とやる必要はないと思う。

ゆるやかにそっと、受け止める。

そのぐらいでいいんじゃないかと思う。

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