残った財産は自分

今冬22歳になったガキンチョ。

思えば他の22さいよりも、濃い22年間を過ごしてきたんじゃないかな?

たった22年しか生きてないガキが何言ってんだ、って感じだが。

昔から我が家にはお金がなく、恥ずかしい思いを隠すように生きてきた。

流行りのおもちゃなどもちろんなく、お母さんと一緒におままごとの道具は手作りした。小学校の時から校費を期限内に払うことができず、先生に伝えるのが苦痛だった。遠足の時のお弁当も、皆が見せ合いっこしてる中自分のお弁当が恥ずかしくてならず、どこかのスーパーで買ったお弁当と、中身を詰め替えて持っていったこともあった。

小学生ながらどこでそんな知恵を得ていたんだろう。そのくらい悪知恵は働き、息をするように嘘をつく子供に育っていた。幾度となく親に叱られ、頭を下げてもらったこともあった。

また、家庭内の雰囲気も良くはなかった。朝は親同士の怒鳴り声で目を覚ましていた。

親も、世が言う 普通の人 ではないと思う。怒るとまともな会話は出来ない。認めたくはないけれど、多少なりと障害があるように思える。

でもわたしは親2人が好きだ。

負けず嫌いな父と、真面目で頑固な母。だからぶつかっていたんだろうが、いいところを受け継いだ。

仕事も部活も人一倍がんばる。父のおかげだ。

勉強もなんでも、それなりに器用に出来る。母のおかげだ。

長い長い反抗期、どうしようもないクソガキ期、2人にはほんとうに申し訳ないことをした。

部活で全国大会に行くことになったのに、父には言わなかった、人づてに聞いて、悲しんだだろうな。

毎日送り迎えしてくれた母、家の外ではめちゃくちゃいい顔してるのに家ではあんな態度なわたしに、悲しんでただろうな。

高校卒業後の進路も、就職一択だった。

「周りに言わんでよ恥ずかしい」

うちは就職させるしかないけん、と他の人達に言ってるのを知り、つい言ってしまった。

思い出すたび涙が出る。

おかげでいい四年間になったけどね。

卒業後働いたあの4年間で、わたしの人間値はグッと上がったと思う。

うーん、それまでが他の人以下だったから、プラス20くらいかな。

あの4年があったから、今やっと進む道が見えてきたんだし。


今年は怒涛だな、既に。

コロナ別れというものを、わたしが経験するとは思わなかったや。

大親友だと思ってた人との別れ。

いろいろタイミングが悪かったもんな。

思い出すのも辛いから、もう、早く忘れたい。

高校も部活以外いい思い出ないし、中学楽しかったのもその人ありきだもんな。

過去のことぐじぐじ言ってるのもちっちゃいわたし。

尊敬するあの人も言ってたじゃん、付き合う人はステージごとに変わっていくって。

まあ、新しい本当の友達を作るのも下手なんだけどね

大丈夫、同じ状況の妹、絶対的信頼のあの人、少しでいいから、大事な人はいる。

「友達」でくくるから面倒なのよね。


とか思ってたら、今度は豪雨で被災しちゃった。

父母が、大事に守ってきた家が、失われた。

父はお金そんなに稼いでこない割に一生懸命働いてて、自分で勝手に学んでる。母はお金持ちになるのが密かな夢見たい。風水に頼ってる。喘息持って周りの目線気にしながら、一生懸命働いてる。

叶えてあげたいな。


一年半前に買った、大事で可愛すぎる愛車も、失った。

4年働いて貯めたお金で、何が残った?、

今学校に通ってること。学費。

つまり、残った財産は自分自身。

学生時代のアルバムなんて全て捨てていい。

思い出もいらない。むしろ忘れたい。

今と、これから、しかない。

家も、愛車も、いつか絶対取り返してやる。

2倍返しだわ。



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