”どうせ、ダメ” の呪縛 ~超ネガティブ思考~ 【前編】
母が徹底的におれに仕込んだ教えが、「どうせ、ダメ」だ。
本当にこれには参るぜ、全く。
いつまでも人生を狂わせ続ける、超ネガティブ思考。
おれはそれが「正しい事である」と、勘違いして育ってしまった。
それが間違いだと気付いて愕然としたのは、高3の頃だった。
当時、部活で、
”スポーツには精神のコントロールが必要だ”、という話が持ち上がり、
メンタル・コントロールを日常的に訓練するよう、部員に通達が出た。
その為の方法など、実践的な内容が書かれたプリントが配られた。
(当時はネット誕生以前。運動系の部活では ”根性論” がまかり通っていた時代。今でこそ当たり前になっているメンタルの重要性については、ようやく語られ始めたばかりだった。)
プリントの内容は、目から鱗であった。
「全てを前向きに捉えろ」という教えが、分かり易く書かれていた。
おれの(母の)常識は、スポーツも含め、
人生のあらゆる事に対処、対応するのに、
不適切で、失敗するやり方・考え方であると、
その時初めて知った。
母は、
「何かをやる時は、失敗するつもりでやりなさい。
そうすれば、本当に失敗した時に、
傷付かずに済むから。」
と、ことある事に教え、刷り込んだのだ。
これだと、ほぼ確実に失敗する。
何かうまく行った場合、それはまぐれや偶然だろう。
今だから分かる。
成功するイメージでやらないと、成功しない。
「失敗する予定」でやると、失敗する。
当たり前だ。
今なら、当たり前の事だと分かるが、
高3までのおれは、あらゆる事を失敗するつもりでやり、
ゆえに失敗し、
「ああ、やっぱり失敗した… でも、そのつもりでやったから大丈夫…」
と、自分に言い聞かせていた。
それでも、しっかり傷付いた。
(母の、傷付かずに済むというセリフは、間違っている。)
そうやって、ひたすら傷を増やし続けてきていた。
この呪縛は、今でも解けていない。
メンタル・コントロールの訓練は、徹底的にやったし、
(それは耽溺と言えるレベルで、没頭した)
今でも日常的にやっているが、
そういう表面的な事よりも、もっと深い部分に刻み込まれた、
「おれは失敗する人間だ、何をやっても失敗するのだ」
という強固な ”自分観” が、
強烈に行動・思考をコントロールしているのが、今でも実感できる。
ほんの少しでも気を抜くと、それが顔を出す。
放っておくと無意識に、
ネガティブ思考がおれを支配している事に気付く。
ネガティブ思考に関して、2つ、大きなトラウマがある。
これらは、おれの精神疾患に、つまり人生そのものに、
大きな影響を及ぼした。
だが、長くなっているので、
後編へ続く。
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ありがとうございます! (ノД`) 頂いたサポートは、いつの日かパンを、 パンが無ければお菓子を食べればよいので、 お菓子の専門学校で作り方を習う必要性、 そうなってくると学費とか交通費、 え、ちょっと待って下さい、 紙に書いて考え直そう、そうするとやはりパン、 いやペンか、ペ