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我が家にまつわるスピな話① イトコは霊能者

母が亡くなったのは、ちょうど6年前のことだ。
その時あったいろいろを綴ろうと想う。
いや、その前にまず、前提としての話からしようと思う。

私の両親は新興宗教とか大嫌いだし、わが家は無宗教だ。
なのだが、うちの家系は信心深いというか…(どっちだ)なんか巫女系とかそういう血筋のような感じがする。両親はハトコで結婚しているので、遠い血縁関係である。
父は何故か猿田彦神社の神主の資格を持っている。家業(芸術系職人)もいわば鎮魂とかするようなところがある。そして我が家はスピな出来事や伝え話が多いのだ。
もしかすると一般的なご家庭も、言わないだけでわが家と同じ位あるのかもしれない。

祖父母の家はウチと離れたところにあり、お寺のど正面にあった。周りは商店街で、お隣は床屋さんとお菓子屋さんとタクシー会社。お向かいにはカメラ屋さん、お米屋さん、お蕎麦屋さん、下駄屋さん、数軒先は本屋さんやパン屋さん。
何故そんなところにお店でもない家が…と思うが、今の家業を始める前はタクシー(人力車)的なことをしていたようで、その関係なのかも知れない。

この祖父母の家は前と後ろを道に挟まれており、その2つの道は大きな段差があったため、祖父母の家は面白い構造でできていた。家を前後に分けて階層がずれている造りなのだ。玄関から入ると階段を降りて地下…ではなく1階駐車スペースがあるのだ。(渋谷ロフトみたいなイメージだろうか)子供心に「迷路みたいな家」と思っていた。

幼い頃祖父母の家に泊まりにいくと、毎晩祖母が般若心経を読んでいた。それをよく聞いていたので「ぎゃ〜て〜ぎゃ〜て〜はーらーぎゃ〜て〜はらそーぎゃ〜てほーじーそわかー…はんにゃ〜しんきょ〜」とか覚えてしまった。
まるで“門前の小僧習わぬ経を読む”そのままである。
そしてなぜ毎晩そうしていたのか謎である。
商売繁盛祈願とか?(知らん)

お盆になると祖父母の家に行き、浴衣を着て火を灯したぼんぼりを持ってお墓参りに行く。
お祭りの時も祖父母の家に行き、出店を見て回ったり、夜になると家の前に椅子を出し、からくり万灯やお囃子が乗った車を楽しみ、盆踊りを眺めた。
今思えば貴重な体験だった。

週末などに、祖父が杖をつきながら我が家にやってきていた。背広をピシッと着てハンティング帽子をかぶっていたイメージだ。オシャレ爺であった。
当時は我が家の隣に工場があったため、様子を見にきていたのかもしれない。祖父はうちの家業がしたくて、1人っ子だった祖母の婿に来て、曽祖父の始めた家業の“2代目”となったんそうだ。

他県に私と同い年のイトコ Jちゃんがいる。
私の父が家業を継いでいるため、長期休暇にJちゃん家族はわが家へ帰省してくることがあった。工場で一緒に撮った写真が残っている。
Jちゃんの茶色い髪は天然パーマでクルクルしており、笑顔が眩しい子だった。ニカっと笑う口元は、歯がボロボロだった記憶がある。こんな記憶でごめんJちゃん。あまりに衝撃で強い記憶になっているのかもしれない。

小学校の高学年頃だったと思う。
Jちゃんが悟りを開いちゃったとかで、子供ながらに大人が相談に来るスピリチュアルカウンセラーみたいな感じになった。それで、わが家に商売繁盛か何かのお祓い?祈願?に来ることになった。
Jちゃんは私の父に「観音様がついている」と言ったらしい。その時いたお仏壇のある部屋の一部分が片づいていなかったため『こんなところに観音様が…申し訳ない』と家族は思ったそうだ。
そして家業の工場(外)でJちゃんがお祓い(祈願?)を始め、「龍神様が来た」と…その時だけ雨がザーッと降ったのだと家族が話していた。
それは私が小学校に行っている間の出来事で、見ることはできなかった。なのに頭の中にその様子が浮かぶのはきっと、私が頭の中で想像した映像なのだろう。

そんなこともあってか、Jちゃんとは同い年ながら別世界の人のような感じもあり、個人的に連絡を取り合うことはなく、葬祭などの集まりで会うことがあるのみだ。いつだったか再会した時、「漫画家してるんだって〜集英社!私の本も出してくれないかな!」と綺麗な歯でニカっと笑う笑顔はあの頃のまま、眩しかった。
今は起業しているようだが、霊能者的なことも続けているようだ。直接そういう話をしたことがなく、姉から聞くばかりである。
何をもってJちゃんが“悟った”となったのか、何がどんなふうにわかるのかも、今だに私はわからない。

Jちゃんから、亡くなった祖父が工場の見守りをしているのだと聞いていた。
祖父母の家は建て替えられ、正面にあった蕎麦屋さんは取り壊され更地になっているため、今はお寺と真向かいになっている。2006年にあった中越地震の影響で、工場も大部分が建て替えられた。
寺町という町名も変わり、景色が変わった今でも、祖父は見守りをしてくれているのだろうか。

〈②につづく〉

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