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我が家にまつわるスピな話③見えないけど感じる姉

私が保育園に通っていた頃、母は我が家で義母を看取った。義母というのは母の叔母であり育ての親である。子供ができなかった叔母の元に姪の母が養子に出されたということである。母には二組の両親がいる、つまり私には三組の祖父母がいるのだ。
そんなわけで、都会から嫁いできた母は、義母の最後を看取りたかったのである。

義母のことを私達は「ばばちゃん」と読んでいた。
ばばちゃんを迎え入れるために、車庫の上に家が増築され、渡り廊下で繋がれた。
保育園から帰宅してばばちゃんと遊んでもらった記憶がうっすらとある。おそらく4歳頃か。
ばばちゃんのいた部屋にはしばらく遺影が置かれ、走馬灯が回っていた。
一緒に暮らしていた人がいなくなる、私にとって1番最初の“近しい人が亡くなる”という体験であった。

1番上の姉は、見えないけど感じる霊感持ちだという。ばばちゃんが亡くなってからも、しばらくばばちゃんのいた部屋にばばちゃんがいるのを感じていたそうだ。それは数年である。
その部屋はそのうちに私の部屋になった。
私はとくに何も感じなかったと思う。
部屋の下は車庫になっており、私が小学低学年の時に車庫の中で車が燃えるという(事件性のない)事故があった。
それは深夜のことであり、消防車も来て大騒ぎ、私以外みんな避難したのに、私だけ朝起きるまで知らなかった。どれだけ深く眠っていたんだ。無事で良かった。
ばばちゃんが守ってくれたのかもしれない。(知らんけど)


マサエ姉ちゃんは、母の妹。私の叔母さんだ。
なんで“姉ちゃん”かって、独身だったし(バツイチ)「おばちゃん」とよばれたくなかったのだろう。
わかる。私も14歳で叔母になったので甥っ子からは姉ちゃんと呼ばれている。

私の母は東京の産まれだったので、母の家族、マサエ姉ちゃんは東京暮らしだった。
小さい頃に母の帰省について行って何度か会ったことがあり、大人になってからも1度2番目の姉と一緒に様子を見に行った事があった。
マサエ姉ちゃんは持病があって、酸素を常に摂らなければならない状態であった。

マサエ姉ちゃんが亡くなった時、母も持病持ちで東京まで行くのが難しく、私達3姉妹が葬儀に出ることになった。葬儀の前日にイトコ(母の姉の娘)の家に泊めてもらった。

イトコの家を訪れ、お茶をいただいている時に1番目の姉が言った。「マサエ姉ちゃんが、私たちが来たからもてなさなきゃ、みたいな感じでこのへんをバタバタ動き回ってる」
2番目の姉と私は見えも感じもしないので「そうなの?」と言う感じであった。

「ここで寝てね〜」イトコが2階の部屋に3人分の布団を敷いてくれた。私達が眠るべく電気を消し静かになると、1階でドタバタとする音がしばらくしていた。ガタン!と大きな音がした。「イトコちゃん、明日の用意してるのかね〜」なんて姉1と話した。
翌朝、イトコは言った。「あの後2階の寝室ですぐ寝たよ」
姉1が言った。「マサエおばちゃんが自分のために姪たちが集まってくれて嬉しくて落ち着かなくてバタバタしてたんだよ」


そういえばこんなこともあった。
もう面倒くさいので1番上の姉を今後は姉1と呼ぶ。そうなると2番目の姉は姉2だ。

姉1が、母と連絡を経っていた時期があった。家は近所である。ある日スーパーで買い物をしていると、母の存在を感じたそうだ。そしてやはり、母とバッタリ会ってしまったらしい。
つーことは生きていても感じるんやないかーい

他にも(次々出てくるな)
祖父母の家は私が小学生の時に建て直されており、今は祖父母は亡くなっている。その建て直した家のある部屋のあたりで、祖母が暮らしていると姉1は言っていた。
私がある時帰省して、その部屋に泊まることになった。深夜、眠っていると目が覚めた。何か、おかしい。誰か…生活しているのだ。ざわざわとした生活感を感じる。祖母がいるとはこのことか。
私が生きている次元?と、重なる別世界みたいなものが、重なって存在していて、そこで生活している誰かがいて…そしてそこは深夜ではないのだ。そんな風に感じた。
後日姉1にその話をしたら「そうそう。なんか生きている時と同じように生活してるんだよね。まだいたか〜」
…成仏してないわけじゃないよね?

ばばちゃんにしても、祖母にしても、おそらく成仏してないわけではないと思う。だとしたらなんだろう?
サイコメトラーとよばれる人達は、物体に残る残留思念を読み取れるという。
もしかすると、その場に暮らしていた人達の残留思念みたいなものなのではないか…なんて。知らんけど。

つづく

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