SNSが嫌い

 昔から自分を俯瞰で見るタイプだと思う。なんでこんなことをしたのか。なんでこんな発言をしたのか。めちゃくちゃ考える。考えて後悔する。そして病む。

 自分は先走って色々と行動してしまうタイプだと思う。良い、と思ったものにはすぐ飛びついて、好き放題やるだけやってしまう。この時だけ自分は主観的になってしまう。前述したようにのちに思い返して病むことになるのだが。

 それで縁が切れることが多くなった。失敗をすることが多くなった。敵に回されることが多くなった。敵として認識されることを私は過度に恐れた。「人を不快にさせない」ということは極めて難しい。10人いたら10人の受け取り方があるわけで、1人も不快にならないなんて無理だ。それはわかってる。私が過去にいじめられたのも、縁を切られたのも、怒られたのも、誹謗中傷を受けたのも、掲示板に書き込みをされたのも、全部誰かを「不快」にさせたせいなわけで。

 だから、私は自分の言動に「責任」も「信憑性」も「信頼」も持たなくなった。SNSでの発言を極端に恐れるのはそのためで。SNSなんて毎回毎回その発言をどんなディティールで、どんな表情で、どんな風に言っているかなんてわからない。だからSNSは嫌い。でも好きな人はみんなSNSを使っている。一部の「不快」には目を向けないのが正解だということを理解した上で、多くの人を幸せにしている好きな人を見ると、すごいなぁと思ったりもする。でも、少なくとも色んな人が不快になるような発言をしている人は、脳を介して一歩踏みとどまって発言できない頭の悪い人だと認識する。私は頭の悪い人が嫌いだ。その発信を人がどう思うかとか、考えられない人間が好きではない。私も含めて。

 SNSという媒体が嫌いだ。会って話したい。電話で直接聞きたい。でも最近の人はそうは思わないらしい。少なくとも私の周りで、SNSの悪い面にきちんと目を向けられている人なんて少なすぎる。そういう考えを話すと、やれ古臭いだの、だるいだの、言われてしまう。SNSなんて自分の生活とか、独り言を発信するものだよ、とか言われる。正直言うが、私は他人の独り言とか生活に深く興味があるかと言われればない。ただ、SNSというものを介して知ってしまった以上、興味を持ってしまうのも仕方ないという感じだ。でもそれだと知らなくて良いことまで知ってしまうし、本当にいらないツールだと思う。

 しかし、世の中にはSNSで救われている人がいるのも事実だ。その人を否定するわけでは決してない。ただ、私は他人とは直接会って話したことしかもう信用しない。

 めちゃくちゃ何かあった風の文章になってしまったが、特に何かあったわけではない。ただ、SNSという媒体が私には本当に向いていなくて、嫌いで仕方ないという話だ。しかし、じゃあツイートするなとか、インスタあげるな、とか言われてしまうと話が変わってくる。私は本当はSNSにあげていることなんて大切な何人かに直接会って話せれば良いことなんだけれど、私の気持ち悪い承認欲求が邪魔をする。私からの自信のない発信に何か良い思いをしてくれる人がいるかもしれないというわずかな期待と共に送信する。まあそんな期待も裏切られて終わる。

 今回で負の感情を不特定多数に発信するのはやめたい。心から思う。SNSが嫌いだ。

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