家の外の音が、エアコンの音が、心臓の鼓動さえも遠のいていく。その代わり耳に響くのは、Xが名前を呼ぶ声である。Xは透明な腕で僕を抱きしめ、「ここにいたのか」と笑顔を見せた。その瞬間に僕は安堵し、Xの名前を口にしようと息を吸ったところから記憶がない。

 ふと見渡すと、そこには誰の姿もなく、ただ抱きしめられていた感覚だけ残っていた。誰だっけ、あの時僕と一緒にこの静かな夜を過ごしてくれるはずだった人間は。僕は夢中でSNSに齧り付き、片っ端から連絡先を漁り、トーク画面を見ては、「この人がXか、?」と淡い期待を寄せていた。SNSに投稿した文面を見たXが、もしかしたら僕に連絡をくれるかもしれない。そう思うと、深夜の投稿頻度は高くなる。Xの手垢が付いた心臓は、その手の形を求めるように拍動する。

 Xを探せば探すほど、Xの影が薄くなり、自らの虚無感が濃くなっていくのがわかった。深夜11時を過ぎた時の、誰からも自分に矢印が向かない時間は、僕にはぬるめの白湯のように味気なく感じた。僕は愛を齧って啜った味をよく知っている。その味は、この時間にはどうやら味わえないらしい。

 さっきあんなにXを求めて漁っていたSNSに目を落とす。この時間でも愛を食べている人間が山ほどいるのを見て、たまらなくなって大好きなあいつに連絡を、したくなる。24時間でも啜っていたい愛の蜜を、僕は飢えた蜂のようにSNSを飛び回って探す。

 それは、君がいい、から、知ってる人がいい、になって、同性ならいい、になって、最終的には誰でもいい、になる。

 都合のいい自分の欲求に身を任せることができない、自分の無駄に頭脳派な所に嫌気がさした。

 気がつけば空は明るくなり始めていた。Xの透明な手を掴もうとしたが、それよりも先に自分の瞼が落ちる。

 24時間後、Xにまた抱きしめられて、僕の夜は始まる。
 君が誰でもいい、明日の夜は少し会話をしていかないか。

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