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終末期の患者さんと葡萄の話     ~長崎在住のM先輩との会話から~

天草 鬼池港

#人生の最後に食べたい葡萄 #人生の先輩との出会い #終末期 #ケアの本質とはなにか #高島屋 #フルーツ売り場の店員さんの自己裁量権 #支えあえる優しさの輪 #ラグジュアリーの実際

【熊本県天草から長崎への移動】


8月の23日から25日、2泊3日で、九州は、博多空港に成田から移動し熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県へとドライブで移動した。
その1つの目標は、常日頃看護師として接していたTさんとの約束。
その内容は下記の貼り付けをご参照お願いします。

【熊本県天草まで移動した目的】


以下の記述をご参照ください。

天草の地を写真に収めると言うことだった。

もう一つは、自分が看護師として仕事をはじめ、指導してくださったM先輩に会うことだった。
そうはいっても、先輩との出会いは、私が看護学生として、小児病棟で実習したのが、最初にお会いしたこととなる。

『Mさんが指導者の小児病棟の実習は、覚悟した方がいい』
上記が、小児病棟実習に向かう学生間の送りで、伝達されていた。
つまり、M先輩との出会いは、私が19歳の時ということなる。
怖いという伝達は、情が深い意味合いと知るのはその後数年経過してからだった。

長崎 大村湾

【人生の先輩Mさんに長崎で会いたい】


20歳は歳が離れている人生の先輩。親と同世代の先輩。
その方Mさんが退職をし、郷里の長崎に戻ってご夫婦で暮らしていた。
いつの日か長崎でお会いしようと、電話やお会いした折、お手紙で伝えあっていたのだが、なかなかその日を設定することができなかった。
千葉県まで足を運んでくださった先輩とお会いする事は、何回かあった。

約束と言うものは、単なる口先だけのものではなく、お互いに会いたいと思ったときにはどちらかが足を運ぶと言うことで再開が成り立つと思う。

今回私は、天草に到着しTさんとの約束を果たし、その翌日、フェリーで熊本の鬼池港から長崎の口之津に向かうと、決断した際、先輩のMさんに電話を入れた。
会えないなら会えないで仕方がない。しかし一瞬でも会えるのであれば、言葉を交わし社会人1年生の私を育ててくれた感謝の気持ちを伝えたい。そう思える先輩である。

熊本から見る長崎の口之津港方面

長崎にフェリーで移動し、目の前にした風景は、長崎は坂が多くて、だんだん畑がある。
どこに移動するにも、坂を抜きにはありえないという聞いたことのある台詞だった。そう、確かに、目のまえに広がる情景は、港のそばにせまる高台と、高台の頂点まで続く段々畑。その頂上までに確かに道が切り開かれて、人々が暮らす民家が点在している情景は圧巻だった。

長崎と熊本との県境に位置する港町であるにもかかわらず、そこには想像していた長崎の風景が確かにあった。

車を走らせ、約2時間の道のりを経て、長崎市内に到着した。

【出会えば看護実践論の実際】


~終末期の患者さんが望むこと~
これまで多く出会った人の中で、看護師一年生の私を育ててくださった先輩と話すのは、やはりこれまで自分たちが歩んできた看護と言う仕事を介して出会った、対象者とその家族への看護実践論。
その中でも終末期の患者さんの話になる。


【お互いの葡萄とスイカのストーリー】


M先輩は私にスイカとぶどうを並べて、
『召し上がれ』
と、差し出してくれた。

私の頭の中には、スイカを目にした途端、終末期の看護の対象者、今回の天草への度を思い立たせたTさんのことが浮かび、
九州から仕事場に戻ったらTさんのお部屋にスイカを用意して伺う予定だと、M先輩に話した。

長崎 オランダ坂

【冬の葡萄に込められた優しさの輪】


私の発言を受けたM先輩は、終末期の大腸がんの女性患者さんとの話を始めた。
時期はすでに冬。大腸癌で終末期にありほとんど食べ物を口にすることができない女性が食べたいと言ったものは、
葡萄だったと言う。

冬の寒い時期にぶどうが食べたいと言ったその女性の願いを叶えるためにM先輩はスーパーを巡ったが、当時は輸入の葡萄もスーパーに並んでいなかった。
M先輩は思い立ち、有名百貨店
『高島屋』に向かった。
フルーツ売り場のディスプレイに目をやると、確かに大粒の実をつけた巨峰が並んでいる。

その値札には、2万円と書かれていたと言う。数万出して買って帰ることはできる値段ではあった。
しかし、何度かフルーツ売り場を行き来して考えていると、店員さんに
『どうなさいましたか』
と、声をかけられたという。

M先輩は、終末期の患者さんと葡萄にまつわる話を、店員さんに告げたという。

すると、その店員さんは、
『少々お待ちください』
と、M先輩に告げ、ディスプレイしてあった葡萄を陰にもっていき、
しばらくして戻ってきた。

店員さんの手には、小さな透明パック。
そこに、巨峰の実を、5粒ほど詰めて、手渡してくれたという。

『どうぞ、その方に召し上がっていただけますように』

もちろん、バクバク食べることはできない状況にあっても、病床のベッド上で、
一粒一粒を味わいながら、召し上がっていただけたという。
ご家族も、女性の召し上がる様子をうれしさと、涙を浮かべながら、見守っていたと聞いた。

長崎 オランダ坂

このエピソードから私が感じたのは、
①    病床に伏している女性をなんとか勇気づけたいと言う先輩の気持ち
②    何も口にする事はできなくなってはいるけれども、自ら口にしたいと言った葡萄を探して召し上がっていただきたいと行動する先輩の優しさ。
③    食べたいと言うものを口にしたその女性にとって、自分の手元に葡萄が届くと言う瞬間の喜び
④    高島屋のフルーツ売り場担当者の自己裁量権を認めていたと言う社風
⑤    こうしたお客さんを大切にしようとする、社風とそれを受け取ったM先輩と家族の喜び
⑥    末永くM先輩も患者さん家族も高島屋のファンとなった

葡萄が高いから躊躇したと言うわけではなくこの話から先輩は、1人の人の願いや思いをなんとか叶えたいとする人間としての行動。その行動を支えてくれようとするその他の人間の優しさの有り様。と同時にその優しさを実際にぶどうの房から粒を取り分けて、1人の病床に身を置いている人間を満足させようとする店員の行動。

あらゆることが重なって、1人の人間がこの世に生を受けて人生を全うする直前に、葡萄の粒を口にすることができ、
『おいしい』
『幸せ』
と言って満足した表情を見せる瞬間。

M先輩からの学びは、今回の葡萄のエピソードの様に、
『目の前の人間を愛し、笑顔あふれる瞬間をどれほど作れるかと考え続ける』
私は、そんなM先輩の背中を追い続けたい。

大浦天主堂 猫の散歩

こういったエピソードを語れるM先輩だからこそ、ことあるごとにM先輩であれば、今この時どうするであろうと考え、選択してきた。
私自身も年を重ね、出会った時のM先輩の年齢を超えた今も、学ぶべきことがたくさんあって、今日もM先輩の話を聞きながら感謝の気持ちでいっぱいになった。

人は出会うべく人と出会って、自分の人生の彩りが重ねられていくと言うことを改めて感じた長崎滞在であった。

長崎 大浦天主堂

                      2022年8月24日(水)
                             MILK

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