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環境を変えるということ

昨今、オンラインでレッスンを受けることが当たり前になってきました。

家に居ながらにして、遠くに住んでいる先生のレッスンを受けられるという便利な時代になりました。

オンラインでも十分に学べるものだな。
対面でレッスンを受けるとまた違うんだろうけれど、今のままでも良いかな。

そんなふうに、オンライン慣れしてきている人も多いと思います。

自分はそれで満足なんだ、という人はそれで良いと思います。

けれども、変わりたい、音楽を真剣に学びたいという人にとっては、オンラインでは不十分である、ということは言いたいと思います。


どこかで環境を変える必要があるということです。

環境が変わらないということは、場所に限らず、周りにいる人たちも変わらない、ということです。

家族、友人、ご近所さん、地域の人々、仕事場の人々。

全て勝手知ったる我が家のような環境は、自分に安心をもたらしてくれるコンフォートゾーン(安全圏)です。

コンフォートゾーンがあるということは、いつでも帰れる場所がある、という意味では安心安全で必要な場所だと思います。

けれども同時に、そこに居続けることの弊害もあります。

「その環境の一部であるわたし」で居続けることになるからです。


特に日本の環境下では、みんなで同じお手本を下に、同じような方向性を目指す風潮があります。

95%の音楽家の演奏は、同じような表現、同じようなサウンドです。

そして、お手本がなければ何をやって良いかわからない。そんな音楽家で溢れています。

「自分ーお手本(正解)ー音楽」といったように、音楽と自分とのあいだに、お手本が介在しているという状態です。

それはつまり日本では、音楽とわたしが心地よい関係性を築くことが難しい、ということです。

本来、音楽を感じる力(ソルフェージュ)と技術が備わっていれば、1から10まで人に教わらなくても自力で音楽を理解することは可能です。

けれどもそれができないのは、音楽と自分との間に距離があるからです。

だからこそ、自分が変わっていきたいと思っている場合、ひとりで音楽と向き合う時間が必要なのです。

コンフォートゾーンの中で日常生活を送りながら音楽を学んでも、すぐに日常のあれこれに追われて、音楽モードは一瞬でかき消されてしまいます。

それに、今いる環境の中では、自分がやりたいと思っていることを本当の意味で理解してくれる人はいないでしょう。

その環境を完全に離れなくてはいけない、ということではありません。

人生のうちの、ほんの1ヶ月、2ヶ月でも良いのです。

環境を変えて、自分と向き合う時間、音楽に真剣に取り組む時間は必要です。

環境というものは強力です。それが慣れ親しんだものであればなおさらです。

たとえ良いことを学んでいたとしても、環境によってすぐに元の自分に連れ戻されてしまいます。

海外に20年住んでいる私ですら、日本に帰ると心がキュッと縮こまったり、緊張したりすることがあるくらいです。


変わるために必要なことは、新しい何かを獲得することではありません。

むしろその逆で、今までの当たり前を削ぎ落としながら、ありのままの自分を受け入れて、自分に起こる全てのことを受け入れていくことです。

どれだけレッスンを受けても、自分が変わらなければここから先へは進めない、という境目のようなものがあります。

環境を変えることは、変化を促すきっかけになります。大きく変わっていくためには、きっかけとなるような、ある種の衝撃が必要です。

私とイリヤンは、生徒さんたちに『ブルガリアにおいで!』と勧めています。

ブルガリアでの暮らしは音楽と共にあります。

ブルガリア人の音楽家たちを見ていると、彼ら自身が音楽そのものであり、彼らの中から音楽が自然と溢れ出ているようにさえ感じます。

自然体な人々と触れ合う。
その土地の人々の生き方、考え方を知る。
音楽が生活に溶け込んでいる暮らしを体験する。
ゆったりとした時間を感じる。
旧市街や自然の中を散歩する。

環境が変わるだけで、何気ない暮らしの中でも、音楽をより身近なものに感じることができると思います。

そして、音楽と自分との間に親密な関係が築けるようになったとき、私たちは音楽家として自立できるのだと思います。


人生には、『今ある環境から逃げる!』そんな時期が必要なときがあります。

環境を変えるのは勇気のいることです。

けれどもその恩恵は、とてつもなく大きいものだと思います。

今すぐには行動できなくても、いつかそのときがやって来たら、勇気を出して一歩を踏み出してみて下さいね!

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