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My funny valentine チェットの憂鬱

その波乱に満ちた生涯から悲劇のトランペッターと呼ばれるジャズマンがいる、近年はその数奇な生涯が二本続けて映画化されたのでジャズファン以外にもその名が知られるようになった、その名はチェットベイカー、天才的なトランペットの技術と甘い歌声、そして恵まれた容姿からジャズのジェームス・ディーンと呼ばれハリウッド映画にも出演するなど、正に一世を風靡するもドラッグに溺れ薬物中毒になり数度の服役を経験し、ドラッグ絡みのトラブルでトランペッターの命である前歯を折られ唇に重傷を負いジャズシーンから一度消え去り生活保護を受けるまでの困窮を経験した後に血が滲むような努力を重ね奇跡の復活を遂げる。ちなみに一時期ガソリンスタンドで働き生計を立てていたチェットの復帰の為に尽力したのはディジーガレスピーである。

晩年はヨーロッパを放浪しながら演奏活動を続け、1988年5月13日アムステルダムのホテルの2階の窓から転落死する、享年58歳。

その死因には様々な説があるが、どれも憶測に過ぎず未だに原因は定かでは無くホテルではなく売春宿の飾り窓だった説もあるが、どちらにしろ薬物中毒者や売春婦が集まるとても世界的なジャズマンの死に場所に相応しくない場所であったことは確かだ。

いや生粋のジャンキーだったチェットに相応しい死に場所だったのかもしれない。

事実オランダ警察はよくあるジャンキーのオーバードーズによる死だと当初考えていたようだ。

また死の間際にいつもより多量のヘロインを摂取していた事が後の検死で分かっている。

そのミステリアスな死因もまた彼を神格化した要素のひとつだと思われる。

チェットの生涯は常にドラッグと隣り合わせだったと言って良いだろう、ブルースウェーバー監督による傑作ドキュメンタリー「Let’s get lost」 の中でも「俺はとてつもない大金をドラッグに使ってきた」「自分で稼いだ金で自分の体にヤクを打って何が悪いんだ」などと自らのドラッグ漬けの人生を肯定どころか、誇らしげに開き直る発言をしている。

またかなり若いうちからドラッグを売る側でもあったようだ。
圧倒的なカリスマ性を持つ世界的なジャズマンの姿とヘロイン中毒のジャンキー、そのどちらもチェットの真実の姿だ。

薬物と多くの女性に囲まれ破滅的な生涯をおくった稀代の天才ジャズマン、ただとても残念なことにその破天荒な人生ばかりクローズアップされてしまう事でミュージシャンとしての正当な評価がされていない気がするのだ、そしてそれこそがチェットにとって何よりの悲劇ではないか。

技術的に優れたトランペッターでありながら実に個性的なヴォーカリストでもあったチェット。

多くのミュージシャンに多大な影響を与えている。

トランペッターとしてのチェットに影響を受けているミュージシャンに、海外ではティルブレナー、国内で伊勢秀一郎、そして生前のチェットと交流があり、チェットの愛器を譲り受けた事で知られるヒロ川島氏がいる。

そしてヴォーカリストとしてはそのアンニュイな独特な歌唱法がジョアンジルベルトに影響をあたえ後のボサノヴァの原点になったと言われている。

AORのマイケルフランクスの囁くようなノンビブラートのヴォーカルもチェットの影響を強く感じる物だ。


また僕自身、トランペッターとしていちばん大きな影響を受けたのがチェットベイカーでアドリブを最も多く採譜したのがチェットベイカーである。

若い時は上から下まで音が太く、安定したタイムに正確なピッチ、激しく吹き鳴らしたかと思えば、自らの甘いヴォーカルのような囁くようなハスキーな音色で吹く時もある。

トランペットという構造上コントロールが難しい楽器を正に意のままに使いこなしているような印象を受ける。

その圧倒的な実力の程はチャーリーパーカーが自らのバンドのオーディションでチェットが吹いた後にまだまだ他のトランペッターが残っていたのにオーディションが打ち切られたという逸話からうかがい知ることができる。

ジャズの伝説の中では譜面が全く読めなかったとされるが、それは恐らく誇張された物だろう。

ドラッグ絡みのトラブルで唇を傷め歯を失い義歯での奏法を編み出すことを余儀なくされるも、ハスキーでエアリーな音色で唇を傷める前と同等の、もしくはそれ以上に魅力的な音楽を作り上げたチェット。

ある意味でステレオタイプな破天荒なジャズマンの人生が魅力的に映るのも分かるが、その自堕落な薬物中毒の悪魔のような人間が真摯に生涯をかけて奏で続けた天使のような音楽に今一度耳を傾けていただきたいのだ。

あえてチェットの一枚を選ぶならチェット自らが生涯で最高の演奏だと語った二回目の来日のライブ録音盤であるLive in Tokyo をお薦めする。
そのアルバムではこの神がかり的な演奏を残した数カ月後に夭折する天才ジャズマンの正に白鳥の歌を聴く事ができる。

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