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3/28 FBに書いた投稿

ご無沙汰しております。

バタバタしているのもあり、最近めっきりFacebookに投稿していないですが、ショー・マスト・ゴー・オンってな具合で、Twitterには結構どうでも良いことをせっせと書いており、お喋りは止んではおりません。(そんな人がいるかどうかは知らぬものの)長岡の文章がなくて禁断症状が出てる方は、こちらまでどうぞ。

https://twitter.com/mile_nagaoka

なんというか最近オフィシャルな感じで文章を書く機会がやや増えており、これまでブログと決意表明、経過報告と宣伝みたいなことを必死に書いていた12年前くらいとは、文と自分との関係、そしてSNS全般との距離の取り方がシフトしてきた感があり、

そんなこんなでおそらく更新が減った感じです。これからももっと減るでしょう。だから久々に、長々と以下書こうと思います。

数日前に小松島界隈の実業家や、議員さん、デザイナー、アーティストの人々とちょっと語らう機会があり、

ーーそもそも芸術家は何のために存在しているのか。

ーーまちづくりにとって芸術家とはどんな役割を果たせるのか。

みたいな厄介な話題になり、

ーー芸術家と云う虚業家らは、他の実業家の人々ができない、素っ頓狂なことを言うのが役割

ーーちゃぶ台をひっくり返したり、「王様って裸だよね」と言ってしまうのがニギヤカシとしての芸術家を入れる意味

みたいなことを舌足らずな感じで熱弁しました。

それに続けて(その場では「社会芸術」と言ってしまったけど、ヨーセフ・ボイスの提唱した)「社会彫刻」という言葉があるように、未来へのビジョンや言葉やイメージの策定は、実業家や公務員だけでなく、自分らのようなものこそが協力したり担うべきだとも発言しました。

ヨーゼフ・ボイスは、「すべての人が押し並べて芸術家であり、すべての営為が社会を彫刻するための芸術である」的意味で、

「社会彫刻」と云う言葉を使っていたのだろうから、芸術家が政治に参画する的意味合いで引用するのは間違いかもしれませんが、ゲーテがワイマールの宰相をやっていたり、横山ノックや青島幸男が東西の知事、イーストウッドが一時期市長をしていたり、

シュワちゃんがカリフォルニア知事をしていたり、古来芸術家や詩人などが政治に関わってきた例は数えきれないくらい無数にあるでしょう。

自治体ごと、市町村ごとにアート・ディレクターを登用したら、ダサすぎるものや、無意味なもの、過剰なもの、不釣り合いなもの等々が減るんじゃないかと、僕自身もかつて思ったりもしていました。神山や佐那河内は、ゲーテが宰相をしていたワイマールと同規模の人口な訳で、特に自分が住んでいる佐那河内村の人々は

「ここには何もない」とすぐに言うけれど、自分のようなものが違う観点から協力できるんじゃないかと思ってもいました。

(ーー現時点で全く必要とされてはいないけれども)

その会から数日経ってみて、この時は言えなかったけど、

「アートというものは対立を助長させるものとは違うんじゃないか」ということを自分はこの時言いたかったんだと思い至ったので、少しだけそれについて書きたいと思います。

『人間の建設』という本があります。

批評家・小林秀雄と数学者・岡潔という当時の文系と理系の或る種の双極による対談本で、古典的名著として長らく読まれている本ですが、僕が興味をひかれ、今でも覚えているのは、

ーー小林さん、あなたはこの絵がわかりますか?

ーーわかりますな。良い絵というものは見ると胃がスッとしますなあ

ーーあんたは、さすがですなあ

というようなクダリです。

だいぶ前に読んだのでうろ覚えだけど、だいたいそんな事が書いてありました。

絵、芸術というものは対立や葛藤を助長させるのはなく、それらを氷解させ、融和するためにあるんだと二人は、説いた。

何か非常に腑に落ちた記憶があります。最初に読んだ時からもう20年くらい経ったけれど、その感覚は益々腑に落ち続けている。

で、そういう観点に立った時、今のウクライナとロシアとの戦争について、どんなことを述べればいいのでしょうか。

僕自身は、最近までまったくただのニュース・ウォッチャーだったけれど、あるきっかけがあって、2日ばかり睡眠時間を削ってゼロからウクライナ史をだだっと勉強しました。

そして、三つのドキュメンタリー映画を見ました。

その一つは、Netflixで見れる「Winter on Fire (2015) 」です。

https://www.netflix.com/title/80031666

今回の戦争を受けて、NetflixはYouTubeで無料で世界公開していますし、知人らもこれを今見ろと紹介している投稿を最近目にします。控え目に言って、西側の意見、プロパガンダを代表しているものだと言えます。

内容は、2013年の11月末から2014年1月にかけて行われた、通称ユーロ・マイダン、または「尊厳革命」の最前線や舞台裏を丹念に記録したものです。端的に言って、とても、とてつもなく、よく出来ています。胸が熱くなり、泣けるポイントもいくつもあります。

そして革命というものの実態や人の愚かさ、或いは尊さを具に見ることもできます。しかし感動に絆されて打倒ロシアを叫びたくなる衝動を抑え、冷静さを失わなければ、いくつか(いくつも)疑問点がでてきます。

インタビューイーの選定(ホワイトカラーの西海岸的ブルジョワだらけ)、時折映り込むどこかの取材班の姿、西側の正義を100とし、一応は民主的な手続きで選ばれたヤヌコーヴィッチ大統領を2004年のオレンジ革命の時と同じく、非・民主的手続きで追い落としたことなど…(まだまだある)

その疑問をなんとかするための2ndオピニオンとして見たのが、『プラトーン』で有名なオリバー・ストーン監督が出演・製作の

『Ukraine of Fire(2016)』という長編ドキュメンタリーです。

https://bit.ly/3uxTgOe

こちらも、YouTubeに全編アップされていますが、殺害シーンや死体なども数多く出てくるせいもあってか、あるいは見て欲しくないということもあるのか、「見ても良いけれど、これを見るのには覚悟してね」的な警告文が出てきます(YTでこんな警告が出たのは初めてでした)。前には何度か削除もされていたようです。

そんな曰く付きの本作ですが、なんとヤヌコーヴィッチ前大統領や、プーチン大統領、そして Winter on Fire では恐怖の武装警官部隊として描かれるベルクトを指揮していた内務長官まで登場してきます。しかし、これを見ると(英語しかないものの)前作で不満だった、あるいは疑問だったものが自分的にはかなり氷解する内容でありました。

本作ではウクライナのそもそもの戦乱に明け暮れた1000年史を振り返るところから始まり、オレンジ革命の詳細、Winter of Fire ともろに被るユーロ・マイダンの全く別アングルからの視点、キエフ以西を中心とする極右グループの非道行為、そしてユーロ・マイダン以降のクリミア併合等の経緯にまで至ります。目から鱗のことも多々出てきます。

ただしこれも全てが真実かどうかはわかりません。

多くの反論的指摘があるように、ロシア側のプロパガンダをただ間に受けている、というか垂れ流しているだけともとれます。プーチン大統領が執拗に指摘する、「ネオナチ」という言葉も、ゼレンスキーというユダヤ人の(元コメディアンの)大統領を選んだウクライナの人々が、ネオナチであるわけないではないかというユダヤ歴史学者のツイートも読みました。

(プラトーンに出演していたショーン・ペンも2016年あたりからウクライナに何度も出入りし、ドキュメンタリーを撮っているようですね。糞ロシアなどという彼の発言も見られたので、西側寄りの作品となるのでしょう)

最後の一本は、『DONBASS 2016』というフランス人の女性監督によって作られたドキュメンタリーです。

https://bit.ly/3qHFrf0

そもそも今回の戦争開戦の理由であるという、ウクライナ東部に、ヤヌコーヴィッチ逃亡後の大統領代行トゥルチノフ、そして次のポロシェンコ、またゼレンスキーになっても継続しているという、ドンバス地区への侵攻の具体に迫った作品です。

本作のアンヌ=ロール・ボネという作家は、現在もキエフ近辺で命懸けで取材しているようですが、彼女のフィガロ誌に書いたコラムは検閲後に削除されたり、映画のYouTubeから削除されたりしているようで、上のリンクもいつまで見れるかわかりません。

見たところ、その他二つのような大作ではなく、数人だけでできる最大限をやろうとしたのが分かる作品ですが、自分には本作が嘘をついているようにはまったく思えませんでした。これが嘘のデッチアゲならば、それはその他二作をしのぐ壮大なプロットと、何十人もの嘘の証言者を用意し、わざと素人っぽい、安っぽい作りにするという気の遠くなる作品、ということになるでしょう。

この3本を見て、僕自身の頭の中はぐにゃぐにゃになっています。

自分が、戦争を知らない、平和ボケの極東の島国の一作家として、一体どう考えるのか、どうこの問題から何かを積み上げるのか、というのはまだまだまったく不透明ではありますが、しかしこれら3本の作品は、現代のドキュメンタリー作家にとっては、非常に良い教科書になると感じています。

両論併記、Aの主張だけではなくBの意見も平等に聞く、中立というスタンスを守る事は、容易いことではまったくなく、相当難易度が高い上に、情報の精査やフェイクの有無や可否を判別するために多くの時間的・精神的コストを割く必要がある。無論、普通の人々にはそんな時間も、アクセス可能なソースも限られている。

逆説的にいえば、それをやるからこそ、ジャーナリストやドキュメンタリー作家というものには存在意義があるとも言える。

実は、数人のドキュメンタリー作家の仲間と共に、ドキュメンタリー作家のグループを作ろうと思っています。おそらく来月以降、最初の始動を開始することになるはずです。

このウクライナの戦争に対する解釈は、それを作るための大きな指針、あるいは踏み絵になるような気もする。

中立はブルジョワにしか立てないという誰かの箴言があるようですが(誰だったか)、しかしこれから作るべき作品は、誰かの心の中の戦争を、諍いを、悲しみを氷解させるものでなくてはならない。である、べきというより、そういうものが結局自分は作りたいと思うわけです。いや、自分がというより、そういうものでなければ作る意味も意義もないのではないかと。

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ダラダラ長い文章の最後に、急逝された青山真治監督のことにちょっとだけ触れたいと思います。

20年前、映画美学校でいろいろ教えてもらいました。PeaceのSuper Lightをカッコよく吸っていて、真似して同じタバコにしたり、八重洲の中華屋で、田村正毅さんも同席される中でピータンを生まれて初めて食べさせてもらったり、僕のなまっちょろい青臭いメールに、真摯に意見してもらったりしました。今になって初めて言語化できましたが、僕にとって(そして多くの同輩たちにとっても)或る種の絶対的な憧れであり、目標でした。

美学校の3年目に進んだ青山ゼミで(僕が途中で逃げ出した)『AA』という、音楽批評家・間章のドキュメンタリーの制作をしました。その時僕は資料部に配属されたので、まったく持って知らなかった膨大な情報に向き合った。なんてったって、僕は阿部薫の死後半年、間章の死後1ヶ月後に生まれているし、知りようがない。(偶然うちの息子の誕生日は間の命日と同じ…)

ありとあらゆる間章のテキストや、幾多のフリー・ジャズやらなんやら脳が溶けるまで聴きまくっていた。で、当時の自分にとっては雲の上の人であり、難解で、近寄り難く思えた土取利行さんと、去年まさか知り合う機会を得ました。きっかけは、僕の毎度のTwitterで、でした。

何せ、生前の間章を知る人が極度に限られていたので、土取さんには『AA』に出演して欲しかったものの、当時フランスに滞在されていて、連絡できなかったという経緯がありました。それから20年の時を経て、デレク・ベイリーや、ミルフォード・グレイヴスと共に演奏していた偉人が自分の目の前にいるというのは、ちょっと意味が分からなかった。

恐る恐る聞いてみると、土取さんは香川の出身で、父祖の里は徳島の三好である事がわかりました。三好といえば、箱回しの聖地なわけで、その血を持つ人が、世界的なパーカッショニストになったというのはすごい事だなと感じました。

土取さんの住まいは郡上八幡にあり、なんと僕が種の映画で取材している岡本よりたかさんが借りている農場のすぐ目の前に住まわれている…というなんとも不思議な、何かにしくまれているかのような、ことがありました。また「産土」というものをそもそも発見したといえる民俗学者の谷川健一さんや、僕のありとあらゆる取材に必ずその足跡のある小沢昭一さんも、土取さんと、奥様であった桃山晴衣さんのご自宅に度々訪れていたのこと。

「参」という名前を自分につけてからというもの、いろんな事が起こりましたが、また新しい章が始まる感覚があります。僕はEVOLUTIONという名前の会社に3月から所属しています。土取さんとも演奏されていたトランペッター、近藤等則さんと一緒に世界を巡って番組を作っていた西森信三さんの会社です。僕の新作「音、鳴り止まぬ」で出てくる雑司ヶ谷の御会式の話に登場するように、縁というものがどんどん波紋のように広がっていく感じがあります。

その土取さんから、この5月に彼の郷里である三豊の浜で、無観客でライフワークのようなサヌカイトと呼ばれる石を使い演奏をするのだと教えてもらいました。そしてその撮影を僕にしてくれないかと、恐れ多いですが、頼んで頂きました。それを実現するために、以下のようなクラウドファウンディングが立ち上がった模様です。

https://motion-gallery.net/projects/sanukaito22toshi

つい先日である3月の半ば、土取さんらとの打ち合わせのため、琴弾の有明浜にロケハンに行った日、土取さんがTwitterでそのことを投稿され、それには僕がAAのスタッフだった事にも触れてくれていたのですが、それを青山さんがリツイートしてくれていました。それが亡くなる二日前だったとのこと。それを聞いて、20年ぶりにいろんなことを思い出し、数日呆然とし、涙が出ました。

逃げださず、そのまま歯を食いしばって残り続けた同輩たちとは違い、僕は一回(どころか何度も)道を踏み外し、だいぶ遠回りをしながら、また映画の道(それも皆とは同じものではない気がする)に戻ってきたある意味裏切り者であり、ある意味全然無関係な人間なので、日本映画の歴史に燦然と輝くだろう人のことをあまり語る権利もないとも思うけれども、しかし世話になった、教えてもらった事は胸に残っているし、今も一つの撮影や一つの編集の都度都度に、その影響は残っているように思います。

最後に、いつか黒歴史のネタにでもしようと思って残していた、濱マイクのエキストラで出してもらった時の20年前のサムネイルをここにアップして、このダラダラをやめることにします。

黄緑のジャージの女性は、菊池百合子時代の菊池凛子さん。

ここまで読んだ方、お疲れさまでした。

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