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間ノート

以下は、二三歳前後の僕が、青山ゼミで作成した『AA』という音楽批評家、間章のドキュメンタリーのための資料を集めながら書いた半ば台本のような、半ばただのノートのようなものである。

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「せせせせ・・・世界とおまえとの闘いでは常に世界を、ししし・・・支援せよ」フランツ・カフカ
〇字幕「A・A」点滅 (阿部薫、なしくずしの死 かかる)
 AIDA-AQUIRAX(RADIX→ラテン語で“根源”の意・ラディカルの語源、からとったのでは?)

長髪、黒ずくめ、毛皮のバッグ、マント、胸に銀のペンダントをぶら下げて、太った、髭面の、体臭のきつい、声の甲高い男。・・・怪僧ラスプーチンのような、、、

モノクロ画像―

〇波止場  古びた黒皮の手帳が糊でぴったりとくっつけられているのを、一枚一枚ナイフで剥いでいく。ひらがなでびっしりの紙面。中から世界地図が出てくる。

〇小さな女の子、ベッドに横たわっている。
                      

「私は牛の糞を食べるの
 もちろん白いパンはあるわ
 けれどそれはパトロンのもの
 私は牛の尿を飲むの
 もちろん白いワインはあるわ
 けれどもそれはパトロンのもの」 …『ブリジットⅢ/パトロン』

〇寄居浜 波が打ち寄せ、引いていく。かごめかごめの歌を少女が歌っている。
少女「後ろの正面だあれ?」

〇字幕―1946
 間、誕生。新潟震災の映像。

 間―行為以前
 
夏の間中、喫茶店(永遠の冷房装置)で時間を弄ぶ間。
「Hに言おう。“冬の時代”とは単に予感に過ぎないのだ。確かに我々は予感から、どうしようもない仮性を帯びた実感から始まるのだろう。しかし予感は常に来るべき苛酷の前期でしかありえない。我々は次に予感を振り払って、行為そのもののなかへ、根拠も見果てるものもない“現在”へ、もう一度入っていくのだ。君を見届けるものは、ついにあらゆるものを剥ぎ取られた君自身でしかないのだ。」

MUSIC ーー「音楽こそが巨大なメルティング・ポットであった」
 音楽こそがあらゆるものの<るつぼ>であった。肉体的情念とスピリチュアルなものとの、意識と無意識との、サンチマンとルサンチマンとの、合理的理性と狂気との、時代的なものと反時代的なものとの、個的なものと、共同体的なものとの。

-T・S・ハリソンは古代にあっては、芸術は何もなかったと語る。
「一つの円形劇場があって群集がいて踊るものがいて、奏せられ、歌われ、演じられるものがあったとしても、それはまるごとひとつのものだった。それは演劇でも音楽でも芸術家と観客でもない、ひとつのものだったのだ。」
 それは一つの共同体そのものの発現であった。その共同体を共同体ならしめているものが壊れた時、演劇や絵画、舞踏が発生したのである。その時からあらゆる名辞やジャンルが現れたのである。

「人間とは一つの概念であって18Cの主知主義が作ったものだ」 ミシェル・フーコー

音楽とは12Cの客観の成立と共に作られた一つの概念に過ぎない。構築そして秩序としての音楽体系はすでにバッハにおいて完成している。
-「音楽は危機の産物である」という言葉は、このように時代的なものとしてありながら、音楽が同時に時代的なものを離れた対立的なものをその内に横たえ、いつも危ういバランスの内に或る個の概念やイメージを通して、時代的なものと反時代的なものを照らしているからに、他ならないだろう。

1940-1950 (まさに資本主義の発展とともに・・・)

 シティ・ブルースから、アーバン・ブルースへの移行。黒人の演奏家たち大量にシカゴ、セントルイスへの移入→スウィング・ジャズ、合奏団(グループ・アンサンブル)として娯楽化。 R&B(暴力的カオスであったがゆえにロックンロールという毒と、フリー・ジャズという過激の芽を宿した)全盛。都市ブルースの転形の上に、開かれたカオスと暴力を抱えたR&Bはおよそアメリカという資本主義社会が異なる文化の階級的闘争のなかで絞め殺した未明の声と、それ以上にパワフルであるアマルガムのなかで産み落とした無産の悪夢、禍々しさであるといってよい。

 50年代 半ば
 セロニアス・モンク、チャーリー・“バード”・パーカー、バド・パウエルら・・・ビ・バップへのイノベーター。そしてニュー・ジャズへ。
〇ピアノの鍵盤 ―西欧主義(ロゴス)の強固な体制/<廃墟>としてのオブジェ。

 64-67
  64、フリー・ジャズ本格化。 6/16 新潟大地震(高校生)。「ジャズの十月革命」と呼ばれるほど、多くのジャズメンがNYに結集。そして、6月エリック・ドルフィの早過ぎる死。シカゴ前衛派(AACM)の始動は67年。これに刺激されて、間は69年にジャズ批評を書き出すことになる。またこの期間は多くのジャズメンが、ルロイ・ジョーンズのアジテートにより政治闘争に関心を持っていた。例えばAACMはブラック・パンサーと関わっていた。67‐コルトレーンの死。

〇字幕―FREE JAZZ (フリー・ジャズのフリーとは地獄の別名に他ならない)
 音の現前と、演奏表出性の側から見た時にジャズのサウンドは二つの側面を持っている。共同体と集合体へと向かい無名性(アノニム)に達しようとする側面と、弧と個へ降りてゆき一つの肉体の深奥そして暗部へと向かっていく側面である。                   

「骨髄の最も尖鋭な部分から発する叫び」 アントナン・アルトー

共同体へ向かおうとする局面は「フリー・ジャズ」という思想性をかいくぐって個のあらゆるレヴェルでの固定性を解体し、または超出(メタスシス)し脱自(エクスタシス)しようとする方向性のうちに見ることができるし、それはまた共同体における無名性と自我との内に個を究極的に開き際立たせようとする反作用を孕んでいるといえる。また一方個の闇へ降り一つの呪縛としての肉体と、存在性の末端が向かい、個のあらゆる限定性と責めの最中で個の闇、それ自体をむさぼり見つめとげようとする個の際立ちへと向かう方向性を持っているといえるだろう。そして個の二つの局面(自己解体・自己組織化)はいつも曖昧なまま、或はカオスとしてアマルガムとして存在し続けてきた・・・
「自らと自らの属する共同体や文化を作って支えなくてはならないし、演奏の支えを見出していかなければならないという不可能性に演奏者を向かわせてしまう」

〇字幕―ERIC DOLPHY  『Out To Lunch』

 我々はドルフィの個の地獄、闇、不可能性がついには現実にユニットとして形式として統合体として、イディオムとして達成できず、残り得なかったことにおいて、そのめまいのするかのような過程の隔たりにおいて、ドルフィの孤立と例外性を知り、評価し続けなければならない。まるで5・7・5の定型詩を修羅として受け入れるように・・・

 「ドルフィは明らかに自らを縛り、戒め、規制し続けた」


 1970                                                                                                       
〇字幕―ALBERT AYLER アイラーによって始まった確かな歴史があり、そしてともに終わった一つの確かな季節がある。

「アイラーは、今、耳にすると、暗い。ただ本当のことを、ジャズで吹いている」 ―中上健二 『破壊せよとアイラーは言った』

11・25 ハドソン川にアイラーの水死体が上がる。その同じ日、三島由紀夫が割腹自殺を遂げる。死に関してCIA関与の根強い噂。 
 ドルフィがロゴスの究極まで身を進めて深い闇と出会っていたとするならば、アイラーの闘いはより多くの狂気と文化的なアンヴィバレンツ と闘っている。ドルフィとアイラーの位相はこのことのうちにある。
 エリック・ドルフィが個的な、あまりに個的なもののなかで引き裂かれ、例えようもない個の深みの中で闘い続けたとするならば、アイラーは音楽行為を類へ向けてそれが必要とする共同体と、文化的な混沌の再生へ向けて闘ったのだ。

〇字幕―SAXOPHONE=EMPTY HOLL ・・・(欠陥性を帯びた陰的な未完成の楽器)
物=道具=オブジェ=異物=他者
 (物=道具がそしてそこにあるからこそ我々は狂気を免れているとさえ言えるかもしれない。その地点から言えば“物狂い”こそ我々を正気へ繋ぎ止めているともいえよう)

「サックスは一つの穴(ホール)なのだ。そしてホールが決して単純でも又安全でもなく他のあらゆる道具と同じに危険であるということを思い出させるためにマウスピースやキー・タンポンが複雑に付いているに過ぎないと私は考えている」   スティーヴ・レイシー

<アルトサックスという凶々しい光景>

 アルト吹きはアルト自体の悲痛さを押し殺すことによってしかアルトを意識して吹けないからだ。アルト独特の張り詰めた高音域の音色はアルトと音とアルト吹きの関係を痛みのように背負っているのだ。過剰でもなく、不足でもなく、アルトは裸性と現在を責めのように負っている。それは脆弱さであり、ハンディキャップである。
 チャーリー・パーカー、エリック・ドルフィ、マリオン・ブラウン、オーネット・コールマン、オリヴァー・レイク、阿部薫・・・或はソプラノ・サックスのスティーヴ・レイシー。
 それに比してのテナーサックスは堂々さを選んだ。過剰とレトリックと装飾性そして上昇志向をシンボライズしたダイナミックな行動性。 ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ・・・アルバート・アイラー。
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どのように複合音化されようともアルトはモノフォニックであるのに対し、テナーはポリフォニックになっていく。
「絶望することは出来ない。ただ私は自分が絶望できないということに絶望するだけだ」 カフカ
「サックスと演奏者の関係と対立そして闘いが、演奏行為というものの、とりわけジャズの即興演奏行為の原基性、乃至は祖型としてあると考えられるからであり、最もアナーキーなそしてアマルガムな様態を開示するからであり、楽器と演奏者のあらゆるレヴェルと位相における忌まわしい関係が、あからさまな形でサックスとその演奏者に見出されるからだ」
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極論するならば近代的自我との最後の闘いの可能性の一つがこのサックスと演奏者との闘いにシンボライズされていると考えている。
1. 私は音楽を、音楽の制度と我々の生存の制度(我制)との強制性の解放のために我々の音楽との関係の解放、我々の音楽体験の変革、音楽の存在の意味の変革、、、の地平で捉え、そのことに於いて音楽を捉える。
2. 私は音楽による我々の呪縛と、音楽と我々の間に専制するロゴスと近代的エゴの強圧的な在り方と囚われを解体し解放するために闘う。
3. 音楽を具体的な、シンボリックなその意味の体制から解き放ち、ロゴスとアンチ・ロゴスの共存する場としての音楽を人間の生存の命運と可能性の連関としてのダイナミズムの内に見極める。
4. ジャズを一つの有機物と見る。有機物はそして死に至る、有限である。観念もまた、そうである。

 「肉体と精神との対立は最も薄い、そして最も危険な対立の一つである
 「<自我>こそはあらゆる芸術と哲学の最高命題である」  ノヴァーリス 『断片』

〇カスパー・ダヴィット・フリードリヒの絵、「開かれた窓」
 注意せよ
 我々は侵されている
 帽子を吊るせ
 我々は攻められている
 精神の悪魔は
 君に襲い掛かり始めた
 君が取り除かねば
 悪魔は君を見逃さない  …GONG/ENGEL’S EGG

〇字幕―ABE KAORU 70・4 阿部薫の顔写真 『解体的交感』、かかる。69年19歳で登場する。
 新宿区の当時の航空写真、厚生年金会館の、当時の外観の写真。
 新宿厚生年金会館小ホールの跡地、物置と化した当時会場だった場所。
「全ての事物の全ての生命体の全ての時間の全ての場のせめぎあいと押し寄せに対しての人間共のなだれをうって納まっている日常性への転落を速度と静けさによって死に絶えさせるための行為・・・
「俺は静けさが爆発するところまでやる。そこでは全てが現れ俺はメクラになり、俺を聞いたものは死ぬ」 ・・・阿部薫
〇高柳正行の顔写真。
‐1971 
アイラーの死後、ジャズメンたちはブラックモスレムや多くの新興宗教に転向していく。
病気のために新潟に帰る、間。生活費を親に見てもらうというためでもあった。
〇インタビュー:清水俊彦、母親、元妻、副島輝人、高柳道子
〇字幕―IMPROVISATION(即興演奏とは或る特定の演奏に於いて実現されるものではない。それ自体が思想であり、闘いであり、行為であり、生であるような生き方そのものなのだ・・・
 (即興という行為は決して偶然の一時の行為ではない。それは生の連続への賭けられた闘いの様式なのだ。創造と虚無とのせめぎあいに投げ出された人間の現在への戦いの方途なのだ)

「存在しているのは諸世界の一つや、一つの存在であって、事実の総体とか観念の体系とかではなく、無・意味の不可能性、存在論的(オントロギッシュ)な空虚の不可能性なのである」 ―メルロ・ポンティ『見るものと見えないもの』

即興演奏―それは未知へ不可能へ、闇へ、虚無へ身を開き挺してゆく行為の他ではないのだ。即興演奏とは本来ありもしない、あるはずもない、テクストやテクスチュア、システムを現在の行為化によってだけ組織し、解体させる行為である。

即興演奏の根拠、それは先ず根拠など存在してはいないということこそを根拠とすることなのであり、演奏技術や展開性、生理、肉体、身振り、記憶、想念、イマージュ、感性、情念のままに、あらゆる予定調和を超える、演奏行為と肉体と意識との一体化の自動性(オートマチズム)に達し、さらに自動性の果てに、規制、強制として立ち現れてくる、文化の根や観念、剥き出された個の在り様と固有性に直面し、それらへ行為によってさらなる戦略を用意し遂行することを宿命付けられているもののことなのだ。

即興演奏の根拠はだから、自己組織と、自己解体との間を揺れ動く行為性そのものにあるはずなのだ。

・・・・・ジャズの全体や総体などというものはオブセッションかイマジネールか幻想の上にしかない。

〇演奏―灰野敬二の年末法政ライヴの映像
〇幾つかの顔写真―シド・バレット、リー・スティーブンス、ジミィ・ヘンドリックス、ルー・リード、スーサイド、ジャニス・ジョプリン、キャプテン・ビーフハート、ジム・モリソン、イギー・ポップ、ケヴィン・エアーズ、フランク・ザッパ、ブライアン・ジョーンズ、デヴィッド・アレン、マーク・ボラン・・・字幕―AVANT-GARDE

ナレーション「あらゆる<夜の子供たち>よ、<異形(フ)の(リー)者(ク)たち(ス)>よ、まだ夜の底へ堕ちてゆけ。まだ毒の海へ入っていけ。まだ狂気と亡びへ降りてゆけ。おまえたちが風化していかないためには、制度にくるまれないためには、秩序が与える<なしくずし>からのがれるためには、静止と固定と形式から逃れるためにはそれが必要なのだ。本当の地獄を探せ。本当の廃墟へ向かえ。おまえたちの<夜>はありとあらゆる意味で忌まわしく狂おしくなければならない。そのためには最後の夢さえも絞め殺して行かなくてはならないのだ」
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 間の矛盾。烈しい矛盾。ドルフィに於いて定型詩を持ち出して形式内での自由(=地獄・修羅)を見出したはずが、フリークのフリークたる所以に焦がれている。葛藤する、相容れぬ性質、すなわち破壊と建設。

「・・・そこにおいてみられるのはジャズに痺れれば痺れるほど、世界がうまく運び、スィングすればスィングするほどファッショが近づいてくる」
時代はいつも二様の方向において、異なった局面と現象を産み出していく。60年代の冷戦時代から、ヴェトナム戦争への移行は権力と体制の自己保存の戦略的変化の上にある訳だが、このヴェトナム戦争に代表される時代が、若い世代にあって、ドラッグやコミューンの、そしてドロップ・アウト、フリーク・アウトの時代であったことは極めて象徴的なことである。
60年代への進入を境として音楽は烈しい変容の時を迎えた。
現代音楽の分野でもジャズの分野でも、ロックにおいても、それまでとは全く異なる位相を生み出していったのである。フリークスたちが目指したものは、旧音楽体制への異議申し立て、反逆であり、自らがそこに生きさらに進入・発展可能な音楽のフィールドの創造であり、新しい音楽と生存のコンテクスト創出のための闘いであったといえるだろう。
彼等はそしてその反逆や闘いを、時代の<カオス>を抱えるようにして、音楽的<カオス>へ参入することによって始めたのである。これらの<カオス>への参入は、それが反逆の影を多く背負ったものであるにしても、その反逆は現存の体制の破壊と同時に制度の破壊を通してのアイデンティティ追求の意味合いをも又深く帯びていたといえる。

<カオス>のなかへ進入し、<カオス>とするどく直面しながらも彼等が求めていたものは、真に彼等が連なるべき何かと、彼ら自身の根拠であり、よって来るところの、行き着くところの、アイデンティティだったのである。
 終わりなき破壊作業が、世界の死滅か自己の死滅かという相と位置にあるとすれば、真に自己の闘いを未知の共同性や他者へ引き継ごうとし、新しいさらに発展可能な可能性の探求を目指すラディカリストたちが<カオス>のなかから、さらに開くための、さらに未知の進路を用意しようとするのである以上は、<カオス>からアイデンティティへ向けて、或はアナーキズムとしての闘いへと向けて進んでゆく以外にはないのである。

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