父の旅行記

筆まめな人、文章を書く習慣のある人、に、非常に憧れます。。昔から、「気づいたら日記帳が何十冊にもなっていた」みたいな人って時々いましたけど、、そういうの、すごーく羨ましかったですね。

世の中には、そうした、日々文章を書く習慣のある人、ない人、いろいろいますけど、、、文章を日常的に書くようになる人、に、なるには、読書習慣に加え、文章を書く習慣のある親兄弟がいるかどうか、も、影響するような気がします。。

うちの場合、私を含め、家族の誰にも読書家と言える人はいないし、誰も日常的に文章を書く習慣がある人はいません。。母の本棚など見ると、「長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい」だの、「いい人をやめると楽になる」とか、タイトルを見ただけで中身を読む必要もないような、家にあるのが恥ずかしくなってくるような本のオンパレード、、しかも母は、たまにそういう本を私に勧めてきたりします。その都度私は、「もうちょっと、知性と教養の溢れる家に生まれたかったわあ。。。」と憎まれ口を聴きながら嘆いてみせて、読むのを断ります。母は、「いいじゃないの、こういう本。」とまったく何がダメなのかは理解はしてくれません。父の本棚はもっぱら司馬遼太郎と、歴史の本、二度の世界大戦関連の本、、家族に勧めてくることはありませんでしたが、たまに兄だけが勝手にそれらの本を読んでいたように思います。

 こと書くことに関しては、小学校時代の兄が書いた作文など読むと、、これが妹のひいき目を差し引いても、かなり面白くて、、あー、兄はひょっとしたら、文章を書く才能があったんじゃないかな、、これが伸びなかったのはちと残念だった、親はもうちょっと気がついて導いてあげれば良かったのに、、、と、今でも妹としては、かなり悔やまれるのでした。

父も、日頃からまったく文章なんか書かない人だったのですが、、唯一活字になって残ってる文章というのがあって、それが800字くらいのヨーロッパ旅行記なのでした。。しかし、この文章、表向き、書いたのは母の姉、ということになっています。。どういうことか、というと、、まだ、海外旅行が今よりずっと珍しかった1971年、田舎で編み物教室を主宰していた伯母が、手芸雑誌のヴォーグ社の企画で、「ヨーロッパニットを学ぶ旅」、、というのに参加しました。13カ国を一ヶ月以上かけて回るという、田舎育ちの伯母にしてみたら、かなり思い切った、一世一代の旅行だったようです。しかし、日本に帰ってきたら、参加者全員が、その手芸雑誌に掲載するための旅行記を書かなくてはならなかったのだそうです。伯母は、「文章なんか一切書けないから、代わりに書いてくれ」と父に頼んだらしい。。。なんで父に頼んだか、その理由は、「大学出てるんなら書けるでしょ」、、というものだったそうです。。父は、ヨーロッパどころか、海外には一切行ったことがなかったのに、なぜか引き受けて、その文章を書いたのでした。しかし、、この文章、、よくもまあ、こんな見てきたような嘘が書けるなー、という内容なのです。  

 父によると、、「伯母の話は一切聞かずに書いた」ということだったので、完全なねつ造みたいな内容、、、「美しいパリの街並み、有名な服飾ブランドの名店も数多くありましたが、そういった名店ではなく、むしろ、街外れにあった、名もない小さな店のウィンドウのニットデザインの斬新さにハッとさせられました。」、とか、「フィレンツェの聖堂で見た、複雑なステンドグラスの色合いを、なんとかニットのデザインに活かせないものかと、苦心したくなりました。」、とか書いてあるのです。もはや呆れてものが言えないレベルですが、こういう、自分が実際に見たわけでもないことについて、延々と出まかせを書く力、ちょっと羨ましかったりもします。

 今は、ネットがあって、自分の日記をいろいろな方に読んでもらえる時代、誰にも読まれることのない日記帳を延々と書く時代よりも、格段に書くモチベーションを保って、書く習慣を続けやすい時代だな、と感じます。これからも、書く習慣のある人になれるよう、細々とこのnoteを続けていきたいと思います。

 

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