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いつか君が踊れなくなっても

いつか僕が踊れないくらい歳をとっても、ただ舞台の上に座って、メンバーと一緒に歌って、ファンと交流したい。

舞台で生きる人だと思っていた。

わたしはジミンちゃんを、その艶のある踊りや、舞台で魅せる狂気的なまなざしから、舞台の上で生きていく人なのだと思っていた。


それは半分正解であり、半分間違いでもある。

わたしはジミンちゃんを「舞台で完璧に演技すること」を求める人だと思っていた。彼に、踊りを踊れなくなった瞬間、何の未練もなくふいに舞台を降りてしまいそうな、そんな危うさを感じていた。

でもそれはちょっと違った。

わたしはなぜか彼の言葉に、くまのプーさんを感じてしまったのだ。

「プー、ぼくのこと忘れないって、約束しておくれよ。ぼくが百になっても」
プーは、しばらくかんがえました。
「そうすると、ぼく、いくつだろ?」
「九十九」
プーはうなずきました。
「ぼく、約束します」と、プーはいいました。

いつか来る踊れない日のことを思って、それでも舞台の上でメンバーと、ファンと一緒にいたいと言う彼は、わたしにこの会話を思い出させた。

まるで子ども同士がかわす守る必要のない約束。その瞬間だけ幸せで、大人になればいつか忘れてしまう、その程度の。

でもジミンちゃんは子どもじゃない。
彼はクリストファーロビンじゃない。
とっくに大人になってしまった彼の語る「いつか」は、彼が生きてきた時間分の重みがある。(と勝手にわたしは思う)

わたしはジミンちゃんのことを何も知らない。
でもおたくの戯言として一つ言うならば、彼は昔なら「踊れないくらいなら舞台を降りる」と言っていたのでは無いだろうか。

自分の欠点を許せない気高い彼。
今までの彼なら、舞台に強く惹きつけられながらも、舞台上で踊れない自分のことを認められなかったのではないか。

もしかしたらそんな彼を変えたのはまわりの兄弟たちであり、応援するファンであり、支える周囲の人だったのかな、と思ったりする。

「ぼくたち40歳になっても一緒に宿舎で暮らしましょうよ〜〜〜」と兄たちにしなだれかかっていたジミンちゃんを思い出す。

結局それは叶わなかった。彼らは自分の家を持ち(365日中360日を共に過ごすものの)別々に朝を迎える。誰かはいつか愛する人と結婚して、それぞれの人生が進みはじめる。

彼がいつか踊れなくなっても舞台に上がってくれるかどうか、そんなことは今は問題ではないのだ。

彼が、アイドルとして、大人としてそれ相応の重みをもつ「いつか」を、表現者としてファンの前に立ちたいと「今」語ってくれたこと、それだけが大事で、それだけが答えなのだ。

もしジミンちゃんをクリストファーロビンに例えるとするならば、私は彼の「くまのプーさん」でありたい。

とっくに大人になった彼の中にある子どもらしさ。無邪気に遠い未来のことを語って欲しいし、愛はなによりも強いんだ、ときらきらした目で言ってほしい。

子供の頃になら許されたそんな“信じる”を、彼らにあげたい。確証のない未来の話をしてもいいよ、わたしもそんな「いつか」の話をしてもいいですか。

いつかあなたが踊れなくなっても、わたしはあなたを応援したい。

プーさんにとって、クリストファーロビンは全てではなかった。彼にはピグレットもイーヨーもラビットもいて、家にははちみつがあって、穴につまりさえしなければ大丈夫。

でもプーさんの中にあるクリストファーロビンはやっぱり、大きいのだ。彼の人生(熊生)の中で、とても大きいのだ。でも全てじゃない。

わたしにとってジミンちゃんはクリストファーロビンで、会えなくてもいつも思い出す幸せでいてほしい人。

だから、何も心配しないでほしい。
難しい話だけど、あなたがいなくても大丈夫、という言葉を使いたい。
いつかあなたが、いまあなたはそんなことない!と頬を膨らませて言い切るかもしれないけど、違う人生を歩みたい、と感じた時、わたしは大丈夫です。

あなたがいる今があるから。
あなたがいる今があるだけでこの先何年でも楽しく幸せに生きていける。

わたしは防弾少年団のいつかの話をするのが大好きです。

ジミンちゃん、しあわせな言葉をくれて本当にありがとう。わたしはあなたに直接話しかけることはできないけれど、できることならこんな会話をしたい。

「プー」と、クリストファー・ロビンは、いっしょうけんめい、いいました。
「もしぼくが  あの、もしぼくがちっとも」
ここでことばが切れて、クリストファー・ロビンは、またいいなおしました。
「たとえ、どんなことがあっても、プー、きみはわかってくれるね?」
「わかるって、なにを?」
「ああ、なんでもないことなんだ」

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