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月の色のはなしをしよう

わたしはキムソクジンさんの前で、よい人でありたい。考えつくかぎりの美しい言葉をかけたいし 今までに聞いた美しい話を聞かせたい、それができないなら、わたしはいつも少しよい人でありたい。


それがわたしが彼を愛するたしかな理由、そう思っていた。


しかし最近わたしは気づいてしまった。

キムソクジンさんに対して抱くこの感情が、愛とは似ても似つかないこと。


私は彼をベランダに来る雀と同じ目で見ている。

もう一度。


私は彼をベランダに来る雀と同じ目で見ている!


愛おしい、そっと見守り時々ごはんをあげたい、いや本当はさわりたい、捕まえて籠に入れて眺めたいけどきっと死んでしまうから嫌だ、それにしても、………かわいいな…


わたしはキムソクジンさんの前でよい人でありたいという感情と同時に、それをかなぐり捨てるくらいの強い感情を抱いている。これは愛じゃない、これが愛なら結婚できない。


だからキムソクジンさんはわたしの恋人になれない。わたしは恋人とキルケゴールの話がしたい 雀は籠の中でふるえているだけでかわいい。そういうわたしはきもい。


彼に対してよい人であろうとしても、実際出会ったら彼が嫌がっても抱きしめてしまうだろう、自作の親父ギャグを披露したりしてしまうだろう。


これが愛?


昨日読んだ本の中に、月の色の話があった。
宇宙船から直にみる月の色は、人によってさまざまに見えるらしい。
緑がかっている、水色、淡いグレー。
同じものを見ているのに、どうして?

筆者はそれを「人々は、見たことのない色を既存の色に片寄せして認知する」からだと言っていた。


ほんとうは皆、月の色を表す言葉を知らないのだ。月は、見たこともない色をしているから。


わたしの彼への感情は、月の色をしている。既存の言葉に寄せれば、愛とか恋になるのかもしれない。でも月の色は、緑色にはなれないもの。


キムソクジンさんはわたしの恋人になれない。
でもわたしが月色の感情を抱く人は彼しかいないので、やっぱり彼はとくべつな人だ、わたしによい人であろうといさせてくれる人だ。


ここまで書いて、やっとわたしは「紫する」の意味がわかった気がする。わたしが月の色だとしたように、彼らも自分の中の愛みたいな感情に名前をつけたのだ。人は名前をつけることで対象を征服する、と本に書いてあった。


わたしはわたしの感情を征服する。
キムソクジンさんのこと、月の色のように思ってる。

ジンさん、あたたかくしてね、おやすみ。

こういう気持ちがいつもわたしを明日に向かわせてくれるのだ。

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