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ここではないどこか、自分ではない誰か

 ここまで来たぞ。
 いつ、どこに着いたら、私はそう思えるだろう。
 初めてひとりで乗った国際線の機中、毛布にくるまって読書灯でクリスティの『終りなき夜に生れつく』を読んでこれから向かう国に思いを馳せながら、ふと思った。


 大学進学を機に、出たくてたまらなかった地元を飛び出してから、七回目の夏。夏のボーナスが入った通帳を見て、初めてのひとり海外旅行に挑戦しようと決めていた。盆の帰省ははなから頭になかった。
 中高生の頃、理由もなく憧れていた東京の生活にもすっかり慣れ、その便利さに浸る一方、その忙しなさにも疲れてきた頃。帰省するたび故郷は見慣れぬ街に変わっていった。見知った店はつぶれ、田んぼの跡地は分譲されて可愛らしい一戸建てが建つ。家族や友人にお客さん扱いされる食事はまるで会食で、あわせて祖父母や親戚の見舞いをいくつか回れば二泊三日の日程が埋まる。それ以上長い帰省にはきっと耐えられないだろう。東京に帰る日の朝、自分が「ああ今晩は自分のベッドで寝られる」と思っていることに気づいているからだ。年老いていく両親、知らないうちに入院したり老人ホームに入っていたりする親戚、地元に残った友人たちの結婚や出産。帰省するたびに、自分の知らない出来事が彼らの間では前提になっていて、どんどん内輪から外れているのがわかる。時間の流れの違いも明らかになる。小中高と一緒だった親友が第二子を出産するなんて信じられない。産休なんて、うちの職場では五年くらい上の先輩のものだ。
 遠くへ来たとは思う。住む場所も、地元との心理的な隔たりも、あの頃の自分が望んだとおり。


 中学三年生の時、いい大学に受かれば地元を出られるという単純な目論見で、進学校を受験した。その高校に受かってからも、中心にあるのはいつもその目論見だった。
 地元を出たい。ここではないどこかへ行きたい。
 十代の青春をかけたその願望は結局、平たく言えば、”こんな田舎を出てどこか都会に行きたい”だけだったと、今になればよくわかる。地元を出て何かしたいことがあるわけではなかった。
 大きな街に出たいという地方の学生にありがちな望みを、私は実現したことになるのだろう。

 けれども、なぜだろう。今でもたまに、あの頃の焦燥感みたいなものがふとよみがえる。達成感とは似ても似つかぬ何かがざわつき、心を襲う。

 ”ここではないどこかに行きたい。”
 こんな空っぽの望みでも、あの頃の自分には現実味のある目標として鮮やかに輝いて見えた。これだけは見失うまいと目を凝らして追いかけた。まるで夜の海に浮かぶ灯台の、緑色の光のように。
 東京での暮らしを手に入れた今、なぜ、海外旅行なんてして、自分が遠くに行けることを確かめるみたいなことをしなければならないのか。なぜまた、夜の海を渡らなければならないのか。
 あの望みの本当の意味は、都会に出ることでも、故郷を離れることでもなかったのだ。

 ”今の自分ではない、何者かになりたい。”

 こんな自分じゃなくて、と思うとき、願いはきっと二つある。ひとつは、誰かに選ばれたい、重んじられたい、認められたい。もうひとつは、ひとつめの願いからの解放だ。自由になりたい。自分自身に、なりたい。
 あの頃の「どこかに行きたい」という気持ちは、「逃げたい」に近かった。何が過酷なわけでも、何に苦しんだわけでもなかったけれど、周囲から与えられるものすべて、自分のためのものではないような気がしていた。褒め言葉はすべて自分より優秀な誰かのものに、説教はすべて田舎の文法に聞こえた。何もかも、十八になったら捨て置いていくものだと思うと、煩わしくてたまらなかった。
 そうやって空っぽのまま外へ出たって何も変わらないと気づいたのは大学生の頃だったが、何もできずに私はつまらない大人になった。焦るのは、空っぽの自分から逃げたいからだ。
 人生初のヨーロッパをひとりで歩いても、当然、「ここまで来たぞ」とは思えない。

 暗い夜の海が迫る。もう一度あの緑の灯火が現れるのを待っている。

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