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つまらない大人に

 高校生の頃、進学校に通っていた私は、娯楽も限られた田舎を馬鹿にしながら、勉強することだけが都会に出る唯一の合法手段で、できるだけ偏差値の高い大学に行けば自分の可能性も世界も広がって、憧れてきたすべてが手に入ると信じていた。そんな馬鹿な高校時代には、周囲の環境と自分の思い込みで塗り固めた規範がたくさんあった。浪人してでもいい大学に行くのが当然だとか、本当に成功した人ならこんな田舎には帰ってこないとか。同じ高校の卒業生、人生の先輩でもある先生たちが、授業中にこんなことを言っていた。

 こんなに勉強ばかり打ち込めるのは今だけ。大学に行ったら何でも挑戦しなさい、それで人生の幅が変わるから。つまらない大人にならないように。

 あなたたちには可能性があると言ってくれた先生のことさえも、まもなく捨てて出ていこうとする田舎の一部にすぎないと、私はどこかで見下していた。だって先生あんた結局ここに帰ってきて教壇に立っているじゃないかと。先生の言葉は、私よりも偏差値の高いクラスメイトたちに発破をかけるためのものだと決めつけて、受け取らなかった。先生に反抗的な態度なんて一切見せず、むしろ先生のご機嫌とる勢いでいい子の顔しながら、内心悪意をもって聞き流していた。誰に逆らうよりも黙って勉強するのが、そこから抜け出す最短ルートだと本気で信じていたから。

 そうして私は結局、大学進学を機に故郷を出たけれど、刷り込まれた規範にも、先生の励ましにも応えなかった。私が浪人してでも行くんだろうと先生たちが期待していた大学は諦め、現役であっさり滑り止めの大学に行った。大学生になり、私は悟る。都会に出るためだけに勉強してきた自分には、好きも得意も、何かに対する憧れもなかったこと。遊びも勉強も何をしていいかわからなかったとき、就活で志望動機もまともに言えず他の子たちの半分もしゃべらないで集団面接が終わったとき、「つまらない大人」になる覚悟を決めた。勉強だけしていればいい時期はとうに過ぎていて、新しい武器も見つけられないまま社会に放り出される現実を受け入れるには、そうするしかなかった。

 かろうじてひっかかり、拾われるようにして就職した職場には、何の不満もなかった。ただ田舎に帰らず、人並みに生活できればそれだけでありがたかった。こうして今日まで生きてくるのに、苦労もなければ後悔もない。苦しくも悔しくもないから、気づかなかった。覚悟はしたはずだったけど、いよいよ「つまらない大人」になったな。

 こんなことを思うようになったのは、1月からドラマ化されるという漫画「初めて恋をした日に読む話」にぐっと来たから。元優等生だけど大学以降うまくいかないアラサー主人公が、ヤンキーやってる高校生に向かって「好きなだけ暴れなさい」「私みたいになるな」。こんなふうに言ってくれる大人が、あの頃ひとりでも周囲にいたら……と思ったのだけれど、高校の先生たちはまさに、そう言ってくれてたんじゃないか。私がまったく耳を傾けなかっただけで。ああ、後ろめたい。これをすっきり振り払ってくれるようなドラマを期待している。

 少しでも届くように、格好よく言いたい。言ってほしい。

 つまらない大人になるなよ。

 

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