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好きだと叫ばなかった後悔よりも

 最近、寄り道を楽しめるようになった。住んでいる町でも旅先でも、まっすぐ帰らないでちょっと遠回りしたり、ただ近所をぐるっと散歩してみたりする。旅行したり写真を撮ったりすることも増えてきた。

 大学進学を機に地元を出てから何度かの引越しと旅行を経験して、少しずつ、新しい場所でのびのびやるための流儀ができてきたように思う。

 早く地元を出たくてたまらなかった学生時代、息苦しいというほどの感覚ではなかったけれど、自分はあと少ししたら“ここ”ではない“どこか”へ行くんだという思いだけは常に心のどこかにあった。いつも先のことを考えていて、どこにいても誰といても、その瞬間が記憶として自分の中に先々も残っていくものだとは思えなかった。困ったり悩んだりすることもなかった代わりに、つまらないと思うことも多かった。
 だから、寄り道することに興味がなかった。あと数年もしたら自分は“ここ”にはいなくて、“ここ”で寄り道したって数年後の自分はあっさり忘れてしまうに違いないと思っていた。

 “ここ”ではない“どこか”へ行くことは、学生時代の自分にとって唯一の目標で、なかば強迫観念のような信条でもあった。
 親に期待されたわけでもないのにそこそこ勉強したのは、地元から都会へ出ていく最短ルートが勉強して一番いい偏差値の高校に行き、地元の大学よりも偏差値の高い大学に受かることだと本気で信じていたからだ。どんなにつまらない思いをしたって、十八歳になればすべてがチャラになり、都会で何倍も取り返せる。そんなばかな妄想を信条に掲げて、反抗期も挫折もない、たんたんとした学生時代を送った。
 ちょっとくらいいやなことがあったって飲み込もう。黙っていよう。十八になったら、解放される。今だけ、今だけ。そう思えばたいがいのことは耐えられた。中学の荒れた不良どもも、話のわからない先生たちも、地元を出れば二度と会うことはない人たちで、彼らに自分の邪魔はできない。彼らには行けない場所に行き、彼らには手に入らないものが手に入る。周囲の人たちみんなにいい顔して、ひねた心根で優等生ぶることは、狭い世界の処世術の域を超え、快感にすらなっていた。

 とはいえ当然ながら、遅くとも二十歳くらいまでには、十代を懸けてしがみついてきた信条がとっくに行き詰まっていて、そもそもいかにばかばかしいものであったかを知る。
 このつまらない田舎を抜け出したい。その一心で寄り道を避けてきた自分には、何もなかった。都会に行って何をしたかったわけでもないから、新しい街に出たところで何をしていいかわからなかった。できることもやりたいことも、何もなかった。好きなことも、自慢できることも。後悔していることすらも。
 無理もない。地元を出るための手段以外はすべて期限つきの記憶で、十八になったらチャラになると思い込んできた自分は、周囲の何ひとつ、自分のものとして扱ってこなかったのだから。

 子どもの頃にもっと遊んでおけばよかったとか、勉強しておけばよかったとか、好きなこと続けていればよかったとか、誰々と仲よくなりたかったとか。他人の後悔を聞くと、妙に気持ちが冷めてしまう。共感できない。
 本当につまらないやつがどういうのか教えてやろうか――そういう気持ちになる。

 中学や高校の頃、周囲がみんな何かしら好きなものがあるように見えて、うらやましかった。
 テレビからは流れてこないような音楽を聞いている子たちが。図書室の司書さんと本の話ができるような子たちが。サッカーの試合を観るために徹夜できる子たちが。部活を引退するときに泣いたり泣かれたりしている子たちが。
 彼らに合わせてミーハーになることで、その場をしのいできた。部活も委員会もちゃんとやったし、先生に頼まれたり友人に誘われたりすれば学校行事の運営までやった。クラスで流行っているドラマを毎クールふたつずつ追いかけた。オリンピックやワールドカップはニュースでハイライトだけは必ずチェックした。読書が苦手なくせに、小学校から高校までハリー・ポッターだけは親に買ってもらって、ほとんど読了の達成感だけで読み通し、映画を見てストーリーを補った。高校時代に買ったiPodには、カラオケ用にとりあえずダウンロードして聞き流したJポップばかり。友人に借りて読んでいた漫画は、卒業してから完結したようだけれど自分で手に取ることがなくて結末を知らないままだ。
 当時の自分にとってはこれは虚しいことでもなくて、結構楽しかったのである。ミーハー上等、友人と話すのが単純に楽しかったし、友人に合わせるために自分の趣味を抑圧していたわけでもない(無趣味だから抑圧されようがない)。
 大事なものは都会に出ればそこで見つけることができるんだと、ここでもあの「十八になったら」「都会に行けば」という愚かな信条を持ち出して、どれも好きになれない自分を正当化していた。

 思い起こすあの頃の媒体やイベントは、すべてがその時々の友人と結びついている。好きだったなあ、ではなく、流行ったなあ、という当事者意識のない懐かしさ。何がよかったのか説明できるものなどほとんどない。例えばハリー・ポッターとか、本を全巻読んで映画も全部観たわりに、そもそも内容をよく覚えていない。あの頃は、自分の言葉を持っていなかった。

 生まれ育った環境との距離がひらき、自分の内に蓄積してきたものがいやでも浮かび上がってくる段階の今になって思うのは、好きだと叫ばなかった後悔よりも、好きになれなかった後ろめたさと虚しさの方がはるかに堪える、ということだ。

 後悔しないことと、後悔さえできないことの間には相当の隔たりがある。思いがなければ後悔しない。本当につまらないのは、好きなものを我慢することでも隠すことでもなく、好きなものが何かもわからないことだ。好きなものがあることの喜びも苦しみも知らないことだ。
 たとえほんの一時期の趣味でも、現実逃避であっても、自分の好きなものに出会い、守ったり示したりしながら自分の言語や世界を積み上げてきた人たちは、どれだけ後悔があっても虚しくはない。けれども、自分のもの、自分のためのものだと思えるものが何もないのは、虚しい。
 そう感じたのは大学生の頃で、そこでようやく自分がミーハーをこじらせていることに気がついたのだった。

 “ここ”ではない“どこか”へ行きたかったのは、自分ではない“誰か”になりたかったから。これがそもそも間違っている。“ここ”ではない“どこか”に行ったって、空っぽの自分は変わらない。自分よりも満たされた“誰か”にはなれない。問題は、どうやって自分を満たし耕していくかだけ。
 地元にあったあらゆることをつまらないと思ってきたけれど、本当につまらないのはあらゆることを上っ面だけで通り過ぎた自分自身の方だ。早く遠くへ行くために寄り道しなかったのではなくて、実際は、どう寄り道していいかわからない焦りから逃げたくて、遠くへ行きたかっただけなのかもしれない。

 寄り道するようになったこの頃は、見知らぬ土地でたまにだが、忘れたくない景色に出会うことがある。そういう時はたいてい、うまくもない写真を撮ってみる。いつか、ここから遠くても近くても、自分がしてきた寄り道をたぐって感じる後悔の苦みと温かさの中になら、この青い虚しさも溶けていくような気がするのである。

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