重箱の隅をつつくって言うけど重箱の隅って見たことなくない?
そもそもあんまり重箱自体見ないよね。おせちくらいでしか使ってるイメージないし。
言葉が気になってしまう。自分でも誤用や誤植をしてしまうこと多々あるが、人の間違いに気付くとすぐに自分のことは棚に上げてしまって悶々と考え込んでしまう。
この前、「こことここをテレコにしたいんだけど」と言われた。そもそも「テレコ」なんて令和に使うなよ、とも思ったがそれは置いておいて、その一言に違和感を覚えた自分がいた。
僕の中では「テレコ」はマイナスなイメージなのだ。何かと何かが逆になってる、あべこべの状態すなわち「正しくない」ことを指す言葉だと思っている。
だから、二つの何かをただ純粋に入れ替えたい時には「テレコ」は使えないんじゃないか?と考え込んでしまった。
「テレコ」=「間違いを指摘する時に使う単語」と感覚的に理解していた。
ちなみにそれを言われた後にネットで調べたがなんとも良い答えが見つからなかったので残念ながらわからず終いである。近いうちに友人にでも聞いてみたい。
「耳”ざわり”がいい曲」と言っている人がいた。これも気になってしまった。「舌触り」「肌触り」と同じ使いかたなのはわかっているのだが、漢字にすると「耳障り」、つまり良くない言葉な上に意味が通らなくなってしまう。
言うなれば「聴き心地」などがちょうど良い代用語になるのだろうが、「〇〇触り」という言葉の響きも悪くはないので仕方ないのかな、とも思ってしまう。
言葉は日々進化していくもので、半数以上の人が正しいと思っていたらそれはもはや誤用ではなくなってしまうのかもしれないが。
実際、上に書いたような例には逐一反応してしまう自分がいる反面、「全然おいしい」や「姑息な手段」などにはあまり違和感を覚えなかったりもする。
ちなみに、「違和感を感じる」という言い回しも別に問題はないらしい。実際この前小説を読んでいたらさも当然のように出てきて驚きつつもまあ、別に意味は通じるしな、と思ったりもした。
わからない。いいんじゃないか?重箱の隅なんて汚れたままで。
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