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七月の涼しい日は、神さまの贈り物

五月に夏日があるように、七月にも、涼しい日が隠されている。そんな日は神さまの贈り物と思って、日頃できない、着物の片付けをする。

着物は季節にあった決まりごとがあるが、それは、理屈ではなく、快適さを追求するためのものと、最近になって気づく。毎日着物生活を続けていると、自然とわかってくるのだ。

洋服と違って、一度着てしまったら、暑いからと、一枚脱ぐことはできない。最初からやり直す時間のないときは、たぶんほとんどの人はそうだと思う、朝起きたら、天気予報をみて、気温を確認し、その日の着物を選ぶ。

五月から七月までは、薄手の袷(大島)、単(大島)、夏大島や夏塩沢 というように、三つの季節が混在している。日替わりで、その中から選ぶのだが、六月の肌寒い時は、たとえば、絽の長襦袢に大島の単にする。半襟も絽にするのは七月から。それまでは、絽の長襦袢に塩瀬の半襟を付けて、涼しい顔をして過す。

着物は、暑いときも、寒いときも、何気なく平静心で、着ている。そのためには、着物と長襦袢や肌着の関係をよく研究して、その日の天候にぴったりしたものを選ぶ。汗をかきながら、着物を着ても美しくない。

夏着物を知る前には、単で京都に出かけ、こんなに暑いものをさりげなく着ているひとは、偉いなあと思っていた。そういう努力は、我慢大会ではないのだから、無理して続ける必要はない。綿の浴衣が涼しいと思う人は、浴衣を着る。洗えるから手軽と麻を好む人は、高額な小千谷縮もよい。これは本当にそのひとの好みだから、自分がいちばん快適と思う着物を選ぼう。

さて、表題の、「七月の涼しい日は、神さまの贈り物」だが、今日がまさにそんな日だった。天気予報をチェックして、夏大島を二枚洗う。重宝して着ていると、汗じみが出ていて、気になっていた。これは二時間くらいで乾くので、アイロンをかける。

そして、ようやく袷の着物をしまうことができた。日に当てて、日光消毒していたものを畳紙に包み、箪笥の引き出しに入れる。これは暑い日だと、汗が出てきて、着物に落ちてくるのだ。着物の片付けは、次の季節を予測すること。

単の着物も、盛夏には必要ないから、片付けた。七月に出ているのは、夏着物だけ。また、裾のほつれとか、補修が必要なものはメモをいれてしまう。次に出したとき、補修する場所が明確で、時間の節約になる。

夏が終わって、秋風を感じるようになったら、単を着るのだが、単でも暑いものもある。このあたりは、畳紙にメモをつけて、分類する。それをどこにしまうか、毎年、頭を悩ましてきた。しまったはずなのに、見つけられない。単の季節は、9月のお彼岸から、10月までのほんの数週間なのだから、すぐに取り出したい。

今年はお片づけメモをつけているので、しまった場所も明記する。二階の倉庫の棚の一番上。これから、ここに来て、上から順番に取り出せばよい。

夏の帯や小物は、子どもたちの部屋に箪笥を置かせてもらっている。献上の帯が好きで、集めていたら、かなりの数になったので、こちらも分類する。厚みのあるもの、薄手のもの、季節に合わせて、また、用途に合わせて、普段用、おしゃれ用と分ける。着ていく場所や相手を想像しながら、これが楽しい。

涼しい日は、これらの仕分けもはかどる。途中、休憩を挟みながら、なんとか、しまうことができた。明日は残った帯の整理をする。コロナウイルス自粛中で、家で過す時間が増えたから、丁寧に着物のメンテナンスもできる。

涼しくなったら、おうち着物も充実させたい。おうち着物についても、with コロナで今までとは、違ってくるだろう。

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