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ジャンパオロ就任に至った経緯から来シーズンのミランへの期待~その1~

今シーズン、ミランはジャンパオロ監督の元開幕スタートし、10試合もたたないうちにジャンパオロ監督を成績不振で解任、その後ピオーリ監督の元立て直しに成功し4シーズン連続のEL出場圏内を確保、ただ長期的計画としてジャンパオロ氏を招聘したうえでわずか数か月で解任し、再建請負人のピオーリ氏を続投するに至ったのかを書いていこうと思う

1リーノ政権からの計画の崩壊

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まず計画としては17-18シーズン終了後、ヨンホンリー体制が借り換えに失敗しクラブの所有権がエリオットマネジメントに移ってからが始まりとされる、17-18開幕時はプリマの監督だったリーノは17-18のシーズン途中にボヌッチを中心とする大型補強を行ったものの成績不振でトリノ戦に引き分けた後に解任となったモンテッラの後任として当時プリマを率いていたリーノをミラベッリが強く推薦しトップチームの監督に就任、その後コッパでインテルに勝利して以降調子を上げて、6位でフィニッシュでひとまず続投が決定、その後エリオットはSDとしてレオナルドとマルディーニを招聘し、昔からのミラニスタを呼び戻すきっかけを作った、そのうえでTASで訴えていたUEFAとのFFPの件でのEL出場権剥奪の処分を覆してEL出場権獲得が決定、しかしエリオットとしたら遅かれ早かれクラブ売却をするためにミランを所有してるだけであって、高い価格で売るために「財政健全化」が第一であり、レジェンドOBを戻したのはクラブ価値を上げるのとミラニスタを戻ってこさせるのが必要と判断したからであり、勝利に導きたいレオナルドやマルディーニと「財政健全化」のために招聘したガジディスとの間でシーズン中から徐々にズレが生じてきた、結果的に18-19シーズンは5位に終わりシーズン終了後レオナルドは退団でリーノも双方合意の元退任となった。

2ジャンパオロ招聘へ

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18-19シーズンの後半戦から、多くのミラニスタの間や現地メディアの間などでリーノの今シーズン限りの退任が多く求められるようになってき始めた、自分もリーノの昨シーズン限りの退任は必要だったとは思う、理由としてはあの当時のミランの戦力じゃ彼の戦術の引き出しをあれ以上出せないということや彼自身の限界が見えていたからである、ただ後任ではリーノの下地をうまく発展できる意味で個人的にはディフランチェスコかシモーネ・インザーギのどちらかを希望していました。そういう個人的な希望は関係なくリーノが自分自身の手でCL出場権獲得して勇退という形で次期監督に引き継がせてほしかったとは今からでも思います。結果的には5位で退任という形でリーノは双方合意の元退任、後任はシーズン終了前から二つのプランが存在しており、プランAはCL出場権獲得時でプランBはCL逃した場合のプランでプランAがジャルディム、サッリ(現ユーヴェ)プランBがディフランチェスコ、ジャンパオロとなっておりこの報道と別の報道のシモーネという報道がある感じで、いろいろな報道の末に長期的計画で監督はジャンパオロに決定、ジャンパオロの元、長期的計画で継続的に戦えるチームにするというのを決定した感じです。その後新たにボバンをフロントに迎え入れることを決定そのことが今後大きく悪影響を及ぼすことになる

3ジャンパオロ政権の誤算

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まずフロントはジャンパオロは4-3-1-2の使い手で全体が組織として展開するサッカーを作るために招聘したのだと個人的には思っていた、ただジャンパオロ式4-3-1-2のトップ下への依存は大きく、今シーズン開幕時のミランのスカッドでこなせるのはタスクを忠実にこなせるハカンぐらいしかおもいつかず、リーノ時代個人技の集合体のようなミランのスカッドからすればほとんどのスカッドを入れ替えなければ機能できないようなサッカーを求める監督だったわけで、ましてやジャンパオロの当時のコメントから「トップ下はスソ」と言ってたように当時のミランを象徴するような右サイドのアレをトップ下にしようとしてたから尚更不安ではあった、ただフロントがジャンパオロに決めた以上は彼のサッカーを完成させるために半年は我慢すべきだとは個人的には思ってはいて、またそのサッカーを完成させるためにジャンパオロの要求に応える補強をすべきとは思ってはいた、しかし、夏のメルカートでは昨日のnoteで書いたような代理人に利用された選手獲得やコレアを獲得できずにジャンパオロの意向とは違うレビッチを獲得、結果的にピオーリの元で活躍できたわけで成功はしているがジャンパオロ政権の元では失敗ではあった、こんなまずまずのメルカート期間を終えて、シーズン開幕したら案の定ジャンパオロの戦術はうまく機能できずに開幕早々解任の危機、個人的には選手との確執を起こさない限り最低10試合は待つべきとは思ってたがパケタと確執が起こった時点で空中分解、結果的にジェノア戦勝利したものの解任、ジャンパオロ招聘はフロントが選手のスカッドを詳しく見ずに招聘したミスで、ジャンパオロのほうも同じガレオーニ門下生であるアッレグリと違いスカッドに合わせて戦術を変えるのではなく無理やり戦術を4-3-3にしてでも合わそうとした時点で「ビッグクラブ向きの監督」ではなかっただけであると思います。

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