【バビロン】デイミアンチャゼルの映画ヲタクっぷりすげーな!
『バビロン』 観てきました〜
監督はデイミアンチャゼル
ララランドやセッションが主な代表作ですね!
賛否両論とのことで、「どうなんかな〜」と思ってたけど
デイミアンチャゼルなら信頼できるだろ!と、早速観てきた。
その前に、日本版バビロンのポスター、ちとダサくない?笑
なんか、、よくある邦画のポスターのような
(ブロッコリーとか言われているやつですね笑)
さて本題。
というか、本編の話。
『バビロン』
ズバリこの映画のテーマは『映画に対する愛』だと思うんだけど、作中の
マニー「長く続く何か大きなものものの一部になりたい」
この一言が監督であるデイミアンチャゼルの映画に対する気持ちを表しているとも思ったし、映画が好きで好きでたまらなくて、それを仕事にしようと心に誓った人は同じようなセリフをみんな口にしているのかもしれない。
筆者はこのセリフが今作での1番のお気に入りポイントです。
それから面白いと感じたセリフは他にも
マニーの娘の「もう飽きた」
3時間という長尺で僕は正直、途中飽きてしまった。
というよりは「あと何分かな。」と思ってしまった。
それを代弁してくれたのが物語終盤のこのセリフだった。
これは意図的で、監督がこちらに対して投げかけてきているように感じた。
そして、バビロンを語る上で外せないのが『雨に唄えば』(1953)
という作品。
この映画は言わずと知れたミュージカル映画の金字塔。
筆者も「好きな映画10本選んで!」
と言われたら確実にその中に入ってくる作品です。
バビロン鑑賞前にあらすじだけ見てネタバレは無しで鑑賞。
けど鑑賞する前に「絶対、雨に唄えばのオマージュがあるだろうな。」と
予想していたら案の定、予想は大当たり!
なぜ『雨に唄えば』なの?その2つの理由!
①『ラ・ラ・ランド』にも『雨に唄えば』のオマージュが!
デイミアンチャゼルが監督し、数々の映画賞や映画祭を獲った作品。
この作品は過去のミュージカル映画のオマージュによって作られていることでも有名です。
『雨に唄えば』の他にも『ロシュフォールの恋人たち』、『シェルブールの雨傘』、『巴里のアメリカ人』など、たくさんのミュージカル映画が基になっているわけなんですね〜。それほどデイミアンチャゼルにとっても思い入れの強い作品なのでこれはまたオマージュを入れてくる可能性が高い!と思っていました。
②あらすじから紐解く『雨に唄えば』との親和性
どちらもサイレント映画からトーキー映画への過渡期を描いた作品であり、その激動の時代に揺れ動く人々を描く作品であるから、
「これは絶対に絡めてくるだろうな〜」と踏んでいた。
そんなこんなで予想していたら、
ちょろっとどころではなくガッツリやがな!!終盤に至ってはガッツリ映像使ってるし!
2つの作品を比較して見えてくる大スター像
『雨に唄えば』では”大スター”と”舞台出身の新人女優”の恋愛だったが、
今作の大スター ジャック役のブラピは作中後半から悲壮感が漂って最近のブラピと重なる気もしてもう悲しかった、、
なんだかこの配役は筆者が先日観た『バードマン』のマイケルキートンに近しいものを感じずにはいられなかった。
『雨に唄えば』では、ドン(ジーン・ケリー)はサイレント期の銀幕の大スターでトーキーに移行してもその名声は変わらず、言わば成功した人物でした。そしてドンの横にはいつも相棒であるコズモ(ドナルド・オコナー)がいてベストコンビ。
しかし今作の大スター ジャックはトーキー映画の波に乗れず、かつての名声は衰えてゆく中、親友であり俳優人生を彼のプロデューサーとして支えてくれたジョージは作中で拳銃自殺をしてしまう。ジャックも作中後半で拳銃自殺するのだが、おそらく唯一の友と同じ方法で死を選ぶことに意味があったのだろう。
『雨に唄えば』の大スターの描き方と正反対で、大スターの栄枯盛衰を描いていた。それにしてもジャックもジョージも女に悩まされた二人だったなぁ。
もしかして今って映画の過渡期なんじゃ!?
『バビロン』を観て思ったことがいくつかあるけど、のっけから
「汚ねえのなんの!!」というのが第一声。
これに対しての考察。
昨今の映画界は”クリーン”なものがよく作られる。もちろん不透明よりは透明なほうがいいけど何かと”クリーンすぎる”映画ってのもなぁと筆者は感じる。
例えば、新しく変更されたアカデミー賞の審査基準に
・黒人やアジア人を起用しているか
・女性キャストを物語のキーパーソンにしているか
・また、黒人やアジア人、女性を製作の重役に充てられているか
というのがある。
…う〜む。
もちろん人種やLGBTQに配慮したり、理解することは絶対に大事だけどそれを各作品に半ば強制しないと「評価基準に立てませんよ」というのはなんか押し付けがましいというか。なんというか。
過度なグロ、エロ表現に規制がかかる。日本の民放でいうBPOみたいなものも、最近は特に酷い。
こうしたものを、
「映画の歴史から消してはいけない!それも作品の魅力の1つなのに!」
とデイミアンチャゼルが訴えかけているように筆者は感じ取った。
この映画業界の”クリーンさ”がもっと過激になればそれは、サイレントからトーキーになったように映画の新しいフォーマットとして変わる可能性があるのだ。
まさに今はその過渡期なのではないだろうか。
作中終盤のチャゼル流、映画史総まとめ!
マニーが何十年ぶりかにL.Aに戻ってきて映画館に入るとそこでは『雨に唄えば』が上映されていた。
そこに観る、辛くも夢を追いかけていた激動の時代。
そして映画本編には映画史とも言えよう今までの有名作品が映し出される。
『月世界旅行』や『チャップリンの拳闘』、『オズの魔法使い』、『ベン•ハー』、『2001年宇宙の旅』、『トロン』、『ターミネーター』、『ジュラシックパーク』、『マトリックス』、『アバター』など。
いや〜近代史というか最近の映画は分かるけど、サイレント期の映画とかはさすがに切り取ったワンシーンでは分からなかったし、そもそもの各作品を知らなかった、、
もっと勉強します!でも今作をきっかけに知れた映画があるから勉強出来るのが楽しみ。
これも、映画の醍醐味ですな。
そしてフィルムを現像するときの色とりどりのインク。
赤や青の原色(おそらくRGBカラー)の一面のカットが入るところは昨年亡くなったジャン=リュック・ゴダールの演出を彷彿とさせました。
映画を愛した男が映画史総まとめをやってのけた。
シン・エヴァンゲリオンのネオンジェネシス前、綾波と碇シンジの間のシャッターに映写機で今までの『エヴァ』の場面カットを投影した演出のようでとても好みだった。
最後に 今作『バビロン』の由来を考察!
タイトルのバビロンとはなんなのだろうか。もしかしたらデイミアンチャゼルが公式に発言しているかもしれないが、今回はあえてそれも見ずに考察してみようと思う。
それを紐解く鍵は上記に挙げた"チャゼル流、映画史総まとめ"の中にある『イントレランス』(1916)という作品だ。
この『イントレランス』という作品は4つのイントレランス(不寛容)にまつわるエピソードから成り立っている。そのうちの一つのエピソードが古代バビロンの話なのだ。
『イントレランス』は、古代バビロンの巨大なセットを作り、大量のエキストラを動員させるなど、前作『國民の創生』よりも高額の38万5000ドルの製作費を投じ、文字通りの超大作となった。
ここからハリウッドの別名がバビロンになったとも言われているらしい。
そして現在のアカデミー賞の授与式が行われている会場も『イントレランス』のバビロンのセットを模して作られているとかなんとか。
このことから、映画オタクでもあるデイミアンチャゼルは今作のタイトルを『バビロン』にしたのではないだろうか。
ということで以上が『バビロン』レビューでした!
気になった人は良ければ見てみてください〜!(人を選ぶ作品ですが笑)
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