実力主義と年功序列

ここ数年、新卒にも高給待遇をする会社がだいぶ増えてきた。
ただ、勿論、十羽ヒトカラゲではなく、学生時代に優秀なアウトプットを出しており、即戦力として期待ができる人材に限るのであろうが。

それはそれで良いことなのだが、自分はこういうことに対して全体感としての是非の判断はない。なぜなら、そんなものは会社毎に考え方が異なるからである。

ただ、給料が高いほど幅広くしかも良い人材が集まりやすいのは言うまでもないし、古い価値観での年功序列、終身雇用という概念は、経済的な成長が見込まれる時代にしかマッチしないであろうとも思っているので、それをベースとしながらも変化していく必要があり、いつまでも時代にそぐわない考え方で経営をしていると、いつの間にか会社はなくなっているだろうとも思う。

自分が以前在籍していたベンチャー企業は、学歴、年齢、性別、国籍、酒が飲める飲めない?に関係なく、アウトプットを出した人間が評価され出世をする(させる)という考え方だった。
よって、評価者としてはアウトプットをどう捉えるかが重要で、納得感を創り出すのかということや会社として何を求めているのかを具体的に提示することがいかに経営として重要かを実感したのだが、これらに普遍性はなく100%のものを作ることは不可能であることもわかった。

一方、自分がプロパーで入社した会社は、当時、完全に年功序列。
入社年度よって記号と数字で示される職級が与えられており給料の額が決まる。ボーナスでは多少の差があったと思うがそれ以外は皆横並びで、あと給与の額に差がつくとすれば残業代だけだろう。
肩書きがつく時期も、ほぼ入社何年目と決まっていたし、学歴(学士、修士など)も当然のごとく考慮されていた。よって、学士より修士の方が絶対に出世が早い。
さらに減点主義だったので、どんなに大きなアウトプットを出しても、何かのミスをすると出世が遅れることになる。
(自分は何回か始末書を書いていたので、間違いなく出世が遅れていただろうな(笑 )

ある時、同期が他部署から自分の部署に転属になったのだが、その時の部長が一言、

「〇〇くんは自分と同じ大学だから△△」と嬉しそうに言っていたのを覚えている。
これも学歴偏重の一つだろうか?(笑

残念ながら、その会社はもうこの世にない。
くどいのだが、どちらが良い、悪いの話をしているのではない。

ちなみに今の会社は完全な年功序列で社長が一番偉く、一番多くの給料を取っている。1人会社なのだが・・・

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