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メキシコ留学を終えました

帰国までの経緯

 4月8日、コロナの影響で、留学を中断し、日本に帰ってきた。メキシコにいたい気持ちはあり、ぎりぎりまで荷物もまとめず、本来帰国予定日だった7月31日に帰ることも検討していた。しかし、参加している日墨政府の交換留学プログラムの担当であるCONACYT(メキシコの文部科学省)から、希望者の早期帰国が認められ、家族に相談すると、母に一刻も早く帰ってこいと言われた。実際、3月半ばから通っていた大学は閉鎖され、政府から自宅待機の指示が出され、ほとんど家にこもりきりになり、することもなく、ストレスが溜まっていた。ホームステイ先の家族は優しく、以前と変わらず対応してくれたが、おばあちゃんに感染させてはいけないという緊張もあり、買い物へ行くのさえ気を遣ってしまっていた。日本に帰れば、少なくともそのような気遣いは減るし、恋しかった日本食も好きなだけ食べられる、もしかしたら大学院にも復学できるかもしれない、と思うと、自分の心の健康のためにも帰るのが良いかもしれないと思った。私は父と二人暮らしで、父のことも気がかりだったから、一緒にいたほうが安心かもしれないとも考えた。感染した場合のことを考えても、メキシコで、留学生の身として良い医療を受けられるかどうかは不安だった。隔離されてしまったら言語も完全には理解できず、孤独感が増すだろう。入院費もいくらになるかわからないし、そういう手続きを家族に任せるのも大変そうだと思った。とにかく、私の場合、メキシコに残ることへの不安要素が多かったので、帰国を決めた。

悔しさと情けなさ

 メキシコへ行くまで、様々な準備をしてきたし、多くの人に応援・協力してもらってきた。将来メキシコで働くことも念頭に置いていたから、現地では修論の題材を集めると同時に、働ける場所もできれば探したいと思っていた。とはいっても、「何となく農村でフィールドワークしたり働いたりしたい!」「先住民の人と関わりたい!」といった漠然とした夢というか理想があるばかりで、具体的に何を調べてどうしたいのかは全く形になっていなかった。だからこそいろいろ見て聞いて考えよう、とも思ったのだが、浅はかな考えだったなとは自分でも思う。それでも、日本の大学院の教授から紹介していただいたメキシコの教授が、先住民のコミュニティやイベント、農地に連れて行ってくれたり、メールして知り合った教授や組合員の方々がいろんな農地へ訪問させてくれたり、資料を送ってくれたりした。実際に訪れたのは、先住民の伝統的農法が残るソチミルコ、高地で農業が行われるミルパアルタ、ケレタロ(先住民オトミー族の交流イベント)、グアナファト(チチメカ族コミュニティ)、マヤ文化が色濃く残るメリダのマニ(農業学校に滞在)等である。研究テーマもまだ定まっていない外国人の学生である私を誰もが温かく受け入れてくれ、本当にありがたかったし、だからこそきちんと修論を書き、将来の仕事にも繋げようと思った。

 そして、4月にはプエブラのクエツァランという村を訪れ、森林農法や、環境に優しい農法について知りたいと思っていた。「トセパン組合」という農業組合で、コーヒー、コショウ、蜂蜜、オレンジなど様々な作物を混合して作っている。その、環境に対して持続可能な農法の、理念や組織作りに興味があった。メールしてみたところ、組合員の方が連絡先を教えてくれ、訪問の許可をくださった。そのトセパン組合について修論を書くことも考えていたから、あと少しのところで行けなくなったのはとても残念だったし、なんだか私の考えていた将来への道筋が閉ざされたような気もした。でも、もともと勉強は足りなかったし、テーマも決まっていなかったから、あのままクエツァランを訪ねても、表面的なことしか学べていなかったかもしれない。行けずに帰るということは、勉強してからまた来いということなのかもしれない、とも考えられた。「興味がある」だけでは覚悟が足りないな、とはずっと自覚していたから、もし次行けるならもっとパワーアップしていたいと思う。理論を勉強して、何に着目するのかもはっきりさせて、建設的な質問をしたいし、記録を確実に残したい。

 そういうわけで、メキシコでは様々な人に助けてもらって、いろんな経験をさせてもらったけれど、もともとの目標だった研究テーマを決める、とか就職先を決める、とか納得のいく答えを出すことはできずに帰国することになってしまった。あと半年あればもう少し深堀りできそう、と思っていたのもあるし、逆に半年間で自分の中での成果が出せなかったことに情けなさもある。けれど、経験を無駄にしたくはないし、半年で帰国することにも意味を持たせたい気持ちもある。

帰国後の決意

 帰国してから、大学院に復学できたし、オンライン授業で、通学時間が削減できるから、通常よりは時間が確保できるだろう。その時間を使って、メキシコでの経験を言葉にしていきたいし、研究テーマも具体的にしたい。実際、いろんなところへ足を運ぶと、言葉で説明できない感覚、体験がたくさんあって、知らない人や場所をどう理解するのかを学ぶ必要があると思った。特に、先住民の人たちは、地域によって使う言語も異なるし、集落によって人々の共有認識も様々だと感じたから、「国民」のような全体性を示す言葉で人々をくくることは、安易で、想像力にかけるのかもしれないと思った。それは、日本では考えたこともないことだった。また、メキシコでの歴史研究の豊富さや、それへの人々の関心の高さに驚いた。最後の方に一度だけ授業を受けることができたENAH(歴史文化人類学の国立大学)でも、アナーキーな校風や生徒の服装や雰囲気(ヒッピーのような人や、パンクな服装)、歴史や文化人類学に関する授業の豊富さに影響を受けた。そのため、以前より文化人類学に興味を持つようになった。まだまだ勉強が足りないし、関心が定まっていないし、思想もはっきりしていないし、将来の展望もわからないけれど、とりあえずメキシコで受けた影響は忘れたくないし、それを自分のものにしていきたい。だから、今興味を持っていることを、とことん突き詰めていきたい。どんな形であれ、メキシコにもう一度行けることをモチベーションに、また一歩一歩進みたい。



 

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