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なぜラテンアメリカ、なぜメキシコなのか—観察するにあたっての視点—

 メキシコで1年間住むにあたって、様々な人からなぜメキシコがいいのか、尋ねられることが増えました。そのため、改めて自分の原点を振り返ろうと思います。大きく言えば、小さいときに山口県から埼玉県に引っ越したこと、中学高校で「持続可能な開発」について学んだこと、家族の問題で悩んだこと、大学1年生でインドに行ったことがきっかけだったと思います。  

 私は山口県で生まれ、小学校1年生まで田舎で育ちました。海、山が近くにあり、特に海にはしょっちゅう行きました。家の周りは田んぼしかないようなところでした。家族ぐるみでの付き合いが多く、お互いの家を行き来してパーティーをしたり、バーベキューしたり、キャンプをしたり、親たちの飲み会に参加したり(居酒屋やカラオケで気分だけ酔っぱらっていました)して、毎日楽しくのんびり過ごしていました。しかし、小学2年生の時、東京出身の父が、祖父と近くで暮らすために引っ越すことを決断し、家族で埼玉に引っ越すことになりました。その時の衝撃は、今でも忘れられません。高層ビル、大量の人の往来、満員電車、交通渋滞、子どもにぶつかっても謝らない怖い大人、汚い空気・水、標準語、山・海・自然がない、小学校でみんな裸足じゃない、給食がまずいなど...。全く違う環境に触れ、カルチャーショックを感じ、田舎と都会の違いというものを強く意識するようになりました。どうして都会の人はぎすぎすしているんだろう?どうして冷たい感じがするんだろう?という疑問は、都会に長年住んだ今でも、自分自身に対しても常に感じています。と同時に、田舎の人や南の人はなんとなくあったかくてのんびりしていて開放的だな、なんでだろう?というのも感じています。そのため、あんまり細かいこと気にせず明るくて楽天的な人、無理せず人に親切な人、常に余裕を持っている人に惹かれるし、自分もそうなりたいと思ってきました。よってラテンアメリカの人に惹かれる理由はそれが一つです。日本人に比べて、都会に住んでいる人でもどこか余裕を持っているような感じがします。そう感じるのは私だけなのかもしれないのですが、その理由が知りたいと思っています。今を生きるのを楽しんでいるところにとても憧れます。

中学高校は、東京にある中高一貫校で、海外で住んだ経験を持った人、様々なバックグラウンドを持った人が多く集まる学校に通いました。英語や、国際的な社会問題に関する教育に特に力を入れており、「国際人とは何か?」「持続可能な発展とは何か?」ということを、常に先生たちから問われてきました。その学校で、親の仕事の関係で海外に行き、様々な苦労をしてきた友達の話を聞いたり、世界にある社会問題(貧困、差別、環境問題等)について知っていく中で、自分が社会とどう関わっていけばいいのか、この世界をどんな世界にしたいのか、真剣に考えるようになりました。日本をはじめ、先進国に関して言えば、経済成長を遂げて物があふれるくらいあっても、幸せを感じていない人が多いのはなぜだろう、逆に途上国でも幸福度の高い国があるのはなぜだろう?という疑問に対して、やはり経済成長よりも大切なものがあるのではないか?このまま経済成長を追い求めても、みんな苦しくなるだけではないか?と感じるようになりました。そのため資本主義の限界について感じ始めたのはその頃からです。

したがって大学では、社会主義をはじめ、資本主義以外の社会のあり方に興味を持ち始めましたし、資本主義の限界に気づいて行動を起こしている人々についても知りたいと思うようになりました。それは大きな行動についてもそうですし(社会運動など)、あるいはもっと小さなレベルで、自分自身のライフスタイルから見直して、日常生活から変革を行っている人(物を買わない人、ビーガン・ベジタリアン等、品質を選ぶ人)についてもそうです。そういった人々の行動を観察して、自分も見習おうかなと思ったこともありました。しかし、やはり物欲は湧くし、生活する中で必然的に物は消費してしまうし、一つ一つの行動に「NO」ばかり課してしまうと人付き合いが狭まるしストレスがたまるな、息が詰まりそうだな、と感じてしまい、自分にはまだ無理だな~と思うのでした。そのため、私自身が変わることはまずあきらめて、そういうふうに社会を変えようとしている、あるいは変えた人たちが、なぜそういう風に行動できるのかということについて、観察・調査してみたいと思うようになりました。そして、自分自身の生き方・ライフスタイルについてももう少し学びながら考えたいと感じました。

また、高校のとき、語学の授業で第二外国語を選択することができ、世界で二番目に多く話されているスペイン語をなんとなく選びました。発音が日本語と近くて親近感がわきましたし、単語を覚えるのも比較的楽しかったです。そのため、大学でも引き続きやってみようかな、と思って何となくスペイン語を受講し、さらにスペイン語圏の国々に関する授業を受けてみました。すると、ラテンアメリカの人々が同じように、資本主義に疑問を持っていることを知りました。その経緯は、次のような感じです。

 大航海時代、スペイン人による植民地化によって、ラテンアメリカの先住民は疫病や重労働、虐殺等によって激減しました。労働力がなくなり、アフリカから奴隷が連れてこられ、同じように大農園や鉱山の下働きとして労働させられてきて、彼らは貧困でした。国が独立し、様々な混乱期を経て、やっと先住民や混血の人の中にも権力者が出てきたと思ったら、今度はアメリカの大企業による土地の接収が行われ、農民や労働者の人たちは土地を追われ、行き場をなくしました。したがって、彼らの次なる敵は「資本主義」となりました。(私がこれまで学んできた中でのざっくりとしたまとめです。主観も入っていますし、正確ではないかもしれません。興味のある方は、改めて調べてみてください)

 貧困で行き場のない状態に置かれているにもかかわらず、暴力に訴えるのでもなく、悲しみに暮れるだけでもなく、互いに協力して声をあげたりデモを起こしたりして行動している人々が多く存在することを知ると、そのエネルギーの強さに尊敬せざるを得ませんでした。先進国では想像もできないような経験をしている人たちがたくさんいるんだろうな、どうやってそれを乗り越えているんだろう、と思いました。そのとき、家族の問題についても深刻に悩んでいて、それも合わさって、彼らの精神力の強さについてますます知りたいと思ったのでした。

 ちょうどその時期に、インドに3週間行く大学のプログラムに参加させてもらいました。様々な宗教寺院を巡って、自然に涙が出るようなことがあったり、マザーテレサの家(マザーハウス)で2週間ボランティアをして(本格的なボランティアをしたのはそれが初めてでした)、障害を持った子供と接し、うまく対応できない、かわいそうと思ってしまう自分が嫌だったり、ガンジス川のそばでヨガをして、思い切り叫んで楽しかったり、一緒に行った友達と悩みを全部共有し合ってすっきりしたり、単純に歌って元気になったり、自分の中でのいろんな感情に触れました。そこで学んだのは、自分の様々な感情を素直に受け入れるということでした。また、他人がその人自身についてどう思っているか(幸せなのか幸せではないのか)という判断は、自分の思い込みの部分が大きいので、「他人は他人で意外と強く淡々と生きている」ということを認めることが大切だということでした。どんな環境に置かれても、お金持ちでも貧乏でも、障害があってもなくても、楽しいことも辛いこともあって、みんなそれを認めて生きている、それだけですごいことなんだと思うと、なんだか生きるのが楽になりました。そして、もちろん家族や周りの人のことも大切だけど、自分が楽しいと思うこと、わくわくすることを突き詰めることも大事だと思いました。やっぱりスペイン語を話せるようになりたいし、ラテンアメリカの国に行きたいと感じました。マザーハウスで、チリ人の人と拙いスペイン語で会話したとき心からワクワクしたことも一つのきっかけです。

 それで、大学2年の時にスペインのバレンシアに3週間、語学留学に行き(バイトで稼いだ分もありますが、かなり親にも援助してもらいました)、スペイン語を学んだ後、1年間の交換留学は金銭的に厳しいとわかり、大学3年で、一人旅でメキシコ、キューバに行くことを決めました。キューバは台風で行けませんでしたが、社会主義であるにもかかわらず教育や医療が充実しており、他国との交流が一切断たれたときも国民が団結して有機農業・自給自足で乗り越えた、物乞いがいない、といった情報を得て(現在は事情がかなり変わっているでしょうし、実際は違う側面もあると思います)、ぜひ実際に行って確かめてみたいと思っていました。しかし、結果的に2週間滞在することになったメキシコも負けないくらい魅力的な国でした。知らないことだらけで、奥深かったのです。いろんな辛い歴史があったなかでも、いいことも悪いことも合わさって現在の明るい国民性があって、独特の文化ができあがっていて、純粋にもっと知りたいと思いました。食文化、祭り文化、衣服や日用品の伝統文化、芸術の文化など、歩いているだけで、少し生活するだけで、そういう文化が自分の中に必然的に入り込んでくるということが、不思議でならなかったです。また資本主義に対して闘っている人々、資本主義を受け入れながらもそれ以外のあり方を模索している人々、いろんな人がいそうだと思いました。そのため、メキシコを研究テーマに選びました。

 このように、生まれ育った環境や、家庭環境、経済状況によって得られた人間関係や経験によって今の自分がいて、ラテンアメリカ、メキシコを好きになった自分がいると思います。ラテンアメリカについて研究することは、理想主義的なことを追い求める部分があり、かなり自己満足の部分があるとも自覚します。でも、自分にしかできないことでもあると思います。その葛藤を抱えながら、その視点も踏まえながら、1年間メキシコに住んでみて、いい面も悪い面も、様々なことを観察してみようと思います。




 

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